『大切なこと』 -- その後のお話 --


「鷹臣さん?」
「うん」
鷹臣は、アパートの壁を見つめて、しばらく考え込んでいる。
駿介が話しかけても、生返事だ。
夜もふけたが、巧多門は仕事でいない、二人きりだ。
日課の筋トレをやめ、駿介は物思う鷹臣によりそった。
「ねえ、どうしたの?」
「いや、大事なことだと思って」
「どれのこと?」


決めなければならないことが、たくさんあった。
まず、駿介自身の進路だ。
一応、籍をおいている公立中を卒業できることになっているので、父から高校へすすむよういわれているのだが、今から志願できる全日制の高校はほとんどない。定時制ならまだまだ受けつけているし、成績がよければ補助金が受けられるところもあるらしいが、彼の立場で、夜に出歩くのは、あまりよいことでなさそうだ。それに、ただ勉強だけの話なら、通信教育を受けるという手もある。不登校の高校生は全国に数万人存在し、彼が特にめずらしい存在というわけでもない。テレビかネットが使えれば、学校へほとんど通わずに単位がとれるものらしい、ということまでわかっている。
むろん、勉強などせず働く、という選択肢もある。しかし、ほとんど学校にいっていない中卒の彼がいきなり働けるかということを考えると、それもなかなか難しい話で、あるていどの常識や知識を身につけておいた方が何かと便利ということは、駿介自身も感じていることだった。
「どうしたらいいと思う、鷹臣さん?」
鷹臣はため息で答えた。
「どうしたらいいのかな。俺は、駿介くんの保護者じゃ、なくなってるわけだし」
いわれて駿介はハッとした。鷹臣は「俺は学生だから」などといいながらも、満潮音興信所の中では、保護者のつもりで駿介を守っていてくれたのだ。
少なくとも、気持ちの上では。
だが、今の状況が、その気持ちをくじいてしまっている。
「俺自身も、どうしていいかわからない状態だからね」
鷹臣は、駅前の本屋がアルバイトを募集していたのを見つけ、そこで働きだしていた。
思っていたより力仕事も多く、初めてのことなので小さな失敗もあるが、例の声と持ち前のそつのなさでなんとかこなしており、今後の食費ぐらいは入れられそうだ。
問題は、大学のことだった。
すでに春休みに入っていて、学費をどうするか考える猶予があまりないな、と思っていたところ、知恵蔵から鷹臣あてに電話がかかってきた。
「姉さんが、来年まで学費は振り込むから大学は出ておきなさい、と連絡してきたんだ」
「家計にそんな余裕があるかな。延彦だって進学するはずだし」
「それでも行けというんだから、行っておいた方がいいだろう。今までも鷹臣くんの学費や生活費は、姉さんが払っていてくれたんだ」
「でも、ハイそうですか、っていうわけにはいかない。うちに電話してみる」
「そうするといい。鷹臣くん、姉さんの携帯電話の番号は知ってるか」
「携帯は知らない。教えてください」
それで母親に電話してみると、やはり、学費のことは心配しなくていいという。鷹臣が物心つく前、彼の祖父が、学資保険として孫二人用に積み立てていたものが残っているというのだ。鷹臣が家にいたとしても、交通費や食費がかかるのであり、それを考えれば、学費を払うぐらいの余裕はある、と。
「でも、俺はもう吉屋の人間じゃないし、未成年でもないから、保護者責任なんて考えなくて、いいんだよ」
「だからといって、私の息子でなくなったわけじゃ、ないでしょう」
鷹臣は動揺した。
家にいた頃、母はこういう情緒的な台詞をほとんど吐かない人間だった。
息子と距離がはなれたことで、そういう心境になったのだろうか。
美恵子はいつもの冷静な声で続けた。
「この頃は、奨学金をもらうのもずいぶん厳しくなってるようね。新しい家にお世話になりながら、さっそく借金を抱えていくの? ご迷惑をかけるより、今はおじいちゃんの好意を受けておきなさい。やめるのも行かないのもあなたの自由だけれど、とにかく、こちらで払っておきますからね」
電話は切れ、鷹臣は頭を抱えた。
しかたなく多門に、「大学の学費の件は心配しないでください、実は」ときりだすと、多門は、そうか、とうなずいた。
「それは遺産の前払いだと思って、うけておくといい」
「たしかに勉強は続けたいと思っていますが、甘えのような気がして」
多門は苦笑した。
「学生の時期に身につける学問は一生ものだ、人生を左右することもある。援助を受けたくないと思うのは若者らしい覚悟でいいが、なんでもひとりでやれると思わない方がいい。人に借りをつくれるのが、ほんとうの意味で、大人だ」
「そうなんでしょうか」
「駿介だって、まあ、高校は本人に選ばせてやろうと思ってるし、親として学費ぐらいは稼ぎだしていくつもりだが、ある日突然、鐘堂家から連絡が来て、私立のおぼっちゃん高校にいれてやるから来いといわれる可能性だって、あるだろう」
「え、そんな話が?」
「ありえないことじゃない。駿介が中学の時、一度打診されたんだ。断って公立にいれたら、鐘堂の孫が、反対に公立に転校してきたぐらいだからな」
「でも、また、断りますよね?」
「次は断らん。今の俺が教えられることは、駿介にほぼ教えてあるが、高校以上のことになると、守備範囲外の学問もある。同世代の間で揉まれないと、身につかない社会性というのもある。いい高校に通えるなら通わせて、本人が希望するならもっと上へやりたい、というのが、本音だよ。駿介の方が、俺より頭はいいはずだからな」
あまりに割り切った物言いに、鷹臣はそれ以上、会話の続けようがなかった。
多門自身も、養う家族が増えたため、新たな仕事を探しているらしい。
そのうち、二間あるところへ引っ越さんとな、ともいう。
ここは風呂つきアパートで、趣きのあるいい住まいだが、三人で住むにはやや狭い。
多門は明け方帰ってきて昼まで寝ているので、三人揃っている時間というのはそんなにないが、それでもだ。
そんなわけで、進路問題については、三者三様、いろいろと思うところがあり、大事なことといえば、どれも大事なことだった。
「鷹臣さん。僕、高校いった方が、いいのかな?」
「高校一年の勉強ぐらいなら、俺も少しみられると思う。とりあえず定時制に行って、全日制に転入するってこともできるだろうし」
「勉強させたい?」
「勉強っていうより、友達をつくった方がいい」
「それって、鷹臣さんは友達をつくりに学校へいってたってこと?」
「友達……」
鷹臣はハッとした。
自分は駿介に「これが俺の友達だよ」と紹介できるような人間がいない。
いつの間にそんなことになっていたのか。
いや、いつの間にじゃない。
それは自分が選んだことだった。
「鷹臣さん?」
「いや、それだけじゃない、駿介くんはもっと外へ出て、基礎体力を維持しないと。伸び盛りなんだから」
「そっか。体育は大事だよね。わかった。じゃ、どこに行くか考えてみる」


……などという会話を、ここ数日、繰り返してきていたわけで。
「で、今日は何を悩んでたの?」
鷹臣は腕組みしながら、ぼんやりした声で、
「ああ。多門さんは、そのうち引っ越すといってたけど、しばらくはここに住むわけだからなあ、と」
「そういえば、お風呂が狭いのに驚いてたね」
「いや、それはいいんだ。ただ、この部屋の壁に防音措置をほどこすにはどうしたらいいかと……ハンズにでもいけば、必要なものは揃うんだろうが、アパートって、やたらに工事しちゃいけないものなんだろう?」
駿介は苦笑した。
「なんのための防音? 隣の気配とか、そんなに聞こえてこないよ、大丈夫だよ」
鷹臣はしごく真面目な顔で、
「いや、それでも、男三人の部屋から、あやしい声が洩れたらまずい。それはそれで大事なことだよ。同じ場所で、しばらく暮らしていくんなら」
「ああ、そっか」
駿介は、そんなこと、と笑いかけたが、つまりそれは鷹臣の、「ずっと一緒にいたい」という宣言だ。しかもこの、ロマンチックさのかけらもない慎ましいアパートの一室で、防音を考えないといけないほど、熱心に愛しあいたいというなら。
「そうだよね、うん」
駿介は、背後から鷹臣の肩に腕をまわし、耳に口づけた。
「じゃ、今日は、声、がまんしてね」
「いや、その前に布団を敷かせてくれ」
まわされた腕を押さえながら、鷹臣は低く呟いた。
「たぶん、上掛けをかぶってれば、そこまで声は、ひびかない……はず……」


(2012.12脱稿、美少年興信所番外編『それから』用書き下ろし)

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