『ふたりね』

「キース様は、そろそろ御結婚のご予定でも?」
あまり親しくもないサイキッカーからそう耳打ちされて、リチャード・ウォンは目を剥いた。
内心の動揺すら隠しきれず、
「初耳ですね。どうしてそんな噂が?」
「そうですか。あなたが知らないのであれば、嘘でしょう」
うすら笑ってその男は去ろうとした。
次の瞬間、正面から襟首を締め上げられて、男は真っ青になった。
「将来のある若い身に、安易な噂をたてるということが、どういうことか判っていますか?」
眼鏡の奧でぎらついている黒の瞳に男は震え上がりながら、
「自分が言い出したんじゃありませんよ、ただ聞いた話で」
「なにをどこで聞きましたか」
「だから、そうハッキリした話じゃあ」
「フ。それでこの私をからかおうとは。百年早いですね」
ウォンが構えた手刀から殺気が走っている。男は悲鳴をあげた。
「わかりました。ぜんぶ話します。話しますから」

その噂が流れだしたのは、ごく最近だった。
キースが外歩きの時に、とあるアンティーク風の家具屋に入ったことが原因で。
彼は時々、街に散歩に出る。自分のテリトリーの安全度を確かめるためだ。ただ、インドア派の彼は、野外にいること、イコール気晴らしでない時もある。だから遠出はせず、ときどき本屋に立ち寄ったりすることがほとんどなのだ。
しかしキースはその日、いつも入らない店に入った。
会員制式の店で、キースは台帳にさらりと名前を書くと、中を興味深そうに見渡す。
初老の店員が近づいて、
「何かご希望のお品がございますか」
「これは、試してみてもいいものか?」
キースが指さしたのは、キングサイズながらシンプルなベッドだった。
「寝心地をお確かめになりたいんですね。どうぞ横になってみてください」
「ありがとう」
キースはするりと靴を脱ぐと、毛布をはいで、その上へそっと身を横たえた。
片側に寝て、空いたところへ腕を投げ出す。
まるで誰かを抱きしめるように。
店員はドキリとした。
ため息をついて中空を見上げたキースの、その切なげな顔。
あまりに無防備な、その姿勢。
いかがでしょう、と声をかけるのも忘れて見つめていたが、キースはふいっと身を起こし、
「いくらぐらいするのかな」
店員が値段を告げると、キースはふうん、と首を傾げ、
「買えない額じゃないな。できたら、取り置きを頼みたい」
「こちらでよろしいので」
「ああ。キャンセルする時は、電話で構わないだろうか」
「もちろんで」
「前金はいくらいれたらいい」
「めっそうもない。いただけません」
「そうか。じゃあ頼む」
そう言ってすうっと店を出ていったので、後で騒ぎになった訳だ。
恋の病に冒されたキース・エヴァンズが、新婚家庭を思い描いて巨大ベッドを買いに来たらしいぞ、と。

ウォンはようやく男を離してやった。
ほうほうの体で逃げ出した男など、すでに彼の眼中になかった。
「そんなに欲しいのなら、言ってくだされば……」
虚ろに呟く。
二人の部屋に置かれているのは、特注ながらそれぞれセミダブルだ。二人並んで寝るのには多少窮屈ではあるが、キースがいらないと主張するので、あえてそのままにしていた。互いの部屋をいったりきたりすることも多い訳で、むだに広いベッドもどうかとウォンも思っていた訳だが。
まさか。
本当に?
そんな相手が?
馬鹿な。
この間抱いた晩だって、別にそんな素振りは。
まて。
この前というのはいつだった?
しかもあの人はそう簡単に、そういう素振りを見せる人ではない。
ではまさか。

動揺が静まるまで時間がかかった。
しかしウォンも、いつまでも昔のままではない。
万が一、新しい恋人の出現という事態になったとしても、祝福はできないにしろ、恋情の激しさにまかせて、相手の命までおびやかすような時期は過ぎた。
今の彼なら、きちんと尋ねれば返事をしてくれるだろうという確信もある。
気持ちの整理を自分なりにつけてから、ウォンはその夜、キースの私室を訪れた。

「ああ、君か」
ドアを開けてくれたキースの微笑みを見て、ウォンはどきりとした。
湯上がりなのか、かすかに湿った銀色の髪。
薄く染まった白い頬。
色づき濡れている口唇。潤みきった深い青の瞳。
シンプルで清潔な部屋着姿だというのに、それでもどうしても立ちのぼる色香がある。
こんな艶っぽい貴方をみるのは、ほとんど初めてだ。
いや。
長く離れていた頃はこんな寂しげな笑顔もしてみせた。一刻も早くひとつになりたい、とすがりついてきた頃の貴方は。
そのまま、きゅっと抱きしめてみる。
「あ……ウォン」
かすれた喘ぎとともに、キースは相手の胸にくったりともたれこんだ。
可愛い。
だが彼は、そんなふうに甘えることで、相手が夢中になることも知っている青年だ。
ウォンはその顔を仰向けにし、唇をすってみる。
身体を一瞬震わせ、そしてキースはおずおずと口吻に応えた。
それは、どうみても演技ではなかった。
ウォンから求め触れてくれたことが、たまらなく嬉しそうで。
幼い子のように無防備で、それでいて瞳は大人の情感をたたえて。
いとおしい。
「……朝まで、離しません」
そう囁くと、キースの腕がウォンの背にまわされた。
ぎゅうっと強く抱きしめてくる。
図星か。
最近ごぶさた気味だったので、急にさびしくなってしまったのだろう。
遠出でもしなければ、二人でゆっくり眠ることはまれになっている。だから今までいらない、といっていたダブルベッドなど欲しくなって。
「ウォン」
キースは小さく呟くように、
「明日は、寝坊してもいい日?」
「もちろん。ですから、今晩はゆっくり、ね……」

キースが本当に離れたがらないので、シャワールームでも一度するはめになってしまった。犯されるところを鏡にうつされながら、キースは達した。明るいところでも平気な顔をしてみせるキースだが、自分の痴態を見ながら達くのはかなり羞恥心をあおったようで、全身を朱く染めながらくずおれた。
ウォンは空のバスタブにキースと入ると、もう一度丹念に洗いはじめる。敏感な箇所へ弱い水流をあてながら、
「貴方の声が、もっとききたい」
「きかせてる……」
呻きに近い呟き。
すっかり喜びに身をまかせているのだ。
ウォンは石鹸を泡立てて、キースの胸元をまさぐりだす。
「こんなに欲しかったのなら、早くねだってくださったらよかったのに」
「だってウォンも……忙しそうだったし……ん」
口唇を噛んで喘ぎをこらえる様子も愛らしい。かるくその口唇に指で触れて、
「可愛い我が儘は、相手の心をよりいっそうひきつけるものですよ」
「でも、ウォンだって、言わないし……」
「私も我が儘を言っていいんですか」
「うん」
「ではベッドへ戻ったら、ひとつだけ質問させてください」
「いいよ、今でも」
「今はだめです。今は貴方の肉体の喜びを、すっかり解放する時間です。余計なことは考えない」
「わかった」
ウォンの右手をキースの掌が包んで止める。
「本当に、朝まで離さない?」
「もちろん離しませんとも」
「すごく乱れても、淫乱ですねって、言わないで……」
「そんなに恥ずかしいですか」
「だって、本当に」
淫乱なんだから、とキースが呟く前に、ウォンは口唇を口唇で塞いだ。
「恥ずかしいってことを忘れてしまうぐらい、淫らなことをしてあげます。思い出しただけで達ってしまうほど、ね」

ホウ、と満足のため息をついて、キースはベッドに沈み込んだ。
その脇にウォンが腰を降ろす。
「いかがでした?」
キースは真顔でウォンを見上げた。
「君はいやらしい男だ」
「そのとおりです。ですから今度はキース様が、全身で私を洗ってくださると嬉しいですね」
「そんなことが君の望みか。それより、何かききたいことがあるんじゃなかったのか」
ウォンは微笑んだ。
「両方とも、答えはイエスです」
キースは赤くなった。
「質問はなんだ」
ウォンは身体をキースの上に傾け、耳元にそっと囁くように、
「新しいベッドは、私が用意してもよろしいですか」
あ、とキースは小さな声をあげた。
「貴方の部屋に置くのがいいならそうしますし、私の部屋に置くならそれでかまいませんから」
キースはわずかに首を振った。
「僕が自分で買いたいんだ」
「どうして?」
「僕にだってわずかでも財産があるんだ、ぜんぶ君に買わせたくない」
キースの隠し財産については、その存在をウォンも知っていた。エヴァンズ家も貧乏ながら貴族のはしくれ、国家から与えられた年金がある。そのうちの一部を、キースの祖父が知恵をしぼって某国の秘密口座を使い、子孫のためにとっておいてくれたのだ。当座の金がどうしても必要だという時、キースはその口座から引き出して使っていた。質素な暮らしを旨とする彼は、貯められる金は貯めていた。だからそれも、一人で生きるぶんには当分困らないものは残っているのである。
「だいたい、僕が欲しいものなんだから僕が買う。それでいいだろう」
ふいに彼は顔をそむけて、
「噂になって君の耳に入ってしまうことを……予想しないでもなかった」
「キース様」
「それでも言いづらかった。だっておかしいと思うだろう、毎日仕事で一緒にいられるのに。時々でも君は、僕の部屋に泊まっていくのに。朝までいる日だってあるのに。それに、迷ってもいた。大きなベッドを買ったら、君のいない夜は、かえって寂しくなるから」
ああ。
キース・エヴァンズはこんなにも新しい蜜月が欲しいのだ。
毎朝よりそったまま目覚めたいのだ。
むしろ昼間より寝室を一緒にしたいのだ。
それをそんなに素直に。
正直に。
ウォンはさらに身を屈めた。
「そうですね、隠しても今さら無駄な関係だというのに、二人バラバラで眠るのも、ずいぶんおかしなことですよね」
「……」
「キース様が買ってくださるなら、毎晩この部屋に帰ります。朝まで貴方と、ゆっくり眠れたら、私も嬉しい」
「嘘つき」
「それは嘘じゃありませんよ」
「嘘だ。寂しそうな顔がそそる、とか思ってるくせに」
「キース」
左手をとってそこへ優しく口づけながら、
「こんなに可愛らしくプロポーズされて、それでも貴方を寂しがらせたいと思う訳はないでしょう?」
「ウォン」
呻きに近い声が、キースの喉から絞り出された。
「しばらくでいいんだ。毎晩でなくてもいい。無理させたくない」
ウォンは身体を倒した。そうっとキースの全身を包み込む。
「では、私からもお願いがあります」
「ん」
「お願いですから、もっと、もっと甘えて……」

そう囁かれてウォンを見上げた無言の青い眼差しの、その熱さ――。

(2003.12脱稿)

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Written by Narihara Akira
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