『ご褒美』


「でかけますよ、刹那」
珍しく、ウォンが朝早くから刹那の部屋へやってきた。
刹那は眠い目をこすり、服に袖を通しながら、
「今日はいったい、なんの仕事なんだ」
「まあ、黙ってついていらっしゃい。増幅装置はおいていくのですよ、行く先は私の、プライベートなので」
刹那は小さくため息をつき、ウォンと一緒に基地を出た。

なぜか刹那は、数時間後、室内にある温水プールの前に立つ羽目になっていた。
「泳げますね、刹那」
「軍隊で泳げなかったら、死ぬだろうが!」
新兵の訓練で、着衣水泳までやらされるのだ。そうでなくとも、刹那は泳げた。川は貴重な食料源のひとつだからだ。
「では、着替えてプールに入りなさい」
「なんの実験なんだ? なんで軍の中でしない?」
「いいから」
しかたなく、刹那は与えられた水着に着替え、身体を洗って温水プールへ入った。
「で、どれぐらい泳げばいいんだ」
「泳ぐ必要はありません。まず、力を抜いて、浮いてごらんなさい」
「こうか」
刹那は仰向けに浮かんでみせた。
温かい水の音が、静かに耳を洗う。鼻と口は水から出ているので、呼吸は苦しくない。
力を抜けといわれたので、そのまま身体を楽にした。超能力を使うことなく、重力から解き放たれた状態だ。
刹那は目を閉じ、次の指示を待った。
水が動いた。ウォンが近づいてくるのがわかる。
「もうすこし、力を抜いて、刹那」
目を開けると、当たり前だがウォンも、水着姿になっていた。
見慣れているはずなのに、引き締まった裸身がなんとなく眩しくて、刹那はもう一度目を閉じる。
「いいですか、私の動きにまかせていてください」
ウォンが刹那の頭を支えて、ゆっくり後ろへ動き始めた。
温かい水の流れを感じる。導かれるままに動いていく。最初は少し緊張したが、気管に水が入り込んでくることもなく、楽に浮かんでいるので、自然に力がぬけた。
不快はない。水も空気もあたたかいので、なんとなく心もほぐれてくる。
そのうち、ウォンが動くのをやめた。
目を開けると、頭から掌をはずし、刹那を立たせた。
「どうですか」
「なにが」
「身体のどこかに、痛いところはありませんか」
「ない。眠くなってきたぐらいだ」
「では、そろそろあがりましょう」
「泳がなくていいのか」
「身体の緊張を緩めるためにしている作業です。あなたがどれぐらい泳ぎが達者なのかは、いま触っていただけで、よくわかりましたし」
「ふうん」
ウォンは先にプールからあがり、後から上がった刹那を、シャワーの前に連れていく。
髪を洗い、全身をさっと流した刹那を、ウォンは柔らかなバスタオルで包み込み、背後から、そっと抱きしめた。
「身体にどこか重いところはありませんか」
「別に」
水から上がったばかりなので、多少の抵抗は感じる。
しかしそれより、バスタオルごしとはいえ、ウォンに抱きしめられているのだ。まだ明るいというのに、刹那は急速に情感が募ってくるのを感じていた。
「では、移動しますよ。今のあなたのデータをとりたいので」
「ああ、わかった」
普通に返事をしたつもりだったのに、甘えるような掠れ声がでて、刹那は頬を染めた。
「ふふ」
ウォンは刹那にローブを着せかけると、その肩を抱いてプールを離れた。

「その姿勢で苦しくないですか。寒くはないですね?」
「ああ」
刹那は大きなタオルを敷いたベッドの上に、一糸まとわぬ姿で寝ていた。顎のあたりに枕をあてがわれて、それを抱きかかえる形でうつぶせている。
ウォンは掌にローションをとると、刹那の身体に薄く塗り始めた。首から肩。それから腰。腿から爪先まで。最初はひやりとするが、じんわりと肌が熱くなってくる。
これは性感をかきたてるものだ。刹那は自分の息が乱れるのをとめられなかった。
ウォンは無言で、マッサージをほどこし始めた。優しく、リズミカルに全身をほぐしていく。だが、きわどいところには決して触れない。
刹那はついに我慢しきれなくなった。
「なあウォン、これはいったいなんなんだ、なんのデータをとりたいんだ」
「あなたの身体が、どれぐらい緊張しているか、どれぐらいリラックスできるのか、疲労からの回復力を調べているのです」
「測る機械なんか、ないじゃないか」
「いいえ。室内のモニターで、あなたの様子を撮っています。肌の温度も記録していますよ」
「俺のいやらしいところなんか撮って、何が面白いんだ」
「いやらしい?」
ウォンはすうっと、刹那の身体を裏返した。
「なるほど、なかなか淫らですねえ」
明らかな興奮が露わになってしまい、刹那は身をすくめた。
ウォンはその刹那の耳もとに口唇を寄せ、
「素敵ですよ、あなたの身体は。どこもかしこも」
刹那は震えだした。悔しい。こんな風に焦らすのがウォンの手だと知っているのに、欲しくてたまらない。ねだりたい。
「ウォン……」
刹那は薄く涙を浮かべながら、
「あんた、いったい俺を、どうしたいんだよ」
「これは、あなたへのご褒美のつもりなのですがねえ」
「ウォン?」
「あなたは私に何も要求しません。時間も、金銭も、贅沢品も、ご馳走も」
ウォンが真顔でいうので、刹那は眉をしかめた。
「だって俺は、あんたから力をもらったろ。俺が望んでたものを、あんたはくれたんだ、それ以外に、別に、欲しいものなんか」
「刹那」
ウォンの口唇が、刹那の口唇を塞ぐ。
思わず刹那はすがりつく。優しい口づけだけでも、頭の芯が痺れるほど感じてしまう。
顔が離れると、ウォンは囁くように、
「ここは軍ではありません。どんなに乱れてもかまわないのです。今晩は、あなたの好きなだけ、欲しがってよいのです。私をひとりじめして、よいのですよ……?」
「ばかっ、俺は」
「さあ、欲しがって、刹那」
大きな掌で顔をくるみこまれ、額に、目蓋に口唇を押される。
しかし、身悶えるとすうっと離れる。
ほうけていると、再び優しく、なぞられる。
前にもローションを塗り込まれ、敏感な場所がさらに敏感になり、刹那は喘ぐ他、何もできなかった。
こいつはとんだタラシだ、こんなのただのテクニックだ、ウォンは俺を弄んで楽しんでるんだ。
そう自分にいいきかせても、身体は素直に反応してしまう。
「刹那。いくら私が悪い男でも、大切な人にしか、こんな風にはしませんよ」
歯を食いしばってしまった刹那の顎に触れ、頬をほぐす。
閉じた目から涙が溢れると、
「泣かないで、刹那」
そっと涙を吸われる。
刹那の胸は、苦しさではちきれそうだった。
きっとウォンの本命は、本当に可愛い恋人なのだろう。甘えるのも上手で、さりげなくウォンを求めるのだ。こんな男をすっかり虜にしてしまうんだから……その恋人に「優しくしたい」と囁いて、極上の愛撫をほどこすのだろう。
その何分の一かが、これなのだと思うと――。
「ウォン」
「なんです」
「俺、あんたと、身体の相性、ちょっとはいいのか」
「ちょっとだなんて」
ウォンは刹那の腿を押し開いた。熱いものが、刹那の敏感な場所をなぞる。
「とてもいいですよ、刹那。ほんとうに素敵な、身体です……」
刹那はもう、我慢ができなかった。
「あんたが欲しい、はやく……!」
どうせこの切なさが消せないのなら、快楽に溺れる以外、何ができるというんだ――。

夜もすっかり更けた頃、刹那は目を醒ました。
ウォンはしっかり、刹那を抱いたままだ。
「……」
さすがに疲れたようで、ウォンも本当に寝ている。寝息は静かだ。
数時間前、刹那は喜びに狂乱し、泣いてウォンを欲しがり、たっぷり犯され、達かされた。
シャワーで身を清められながら、刹那は呟いた。
「こっちは、消耗からの回復時間を計らなくていいのかよ」
刹那が皮肉をいうと、ウォンは笑った。
「記録している、といったでしょう」
「ほんとの話なのか」
「ええ。大事な身体ですからね。休める時は、ゆっくり休ませて、いい状態を保っておかねばなりません」
「そうだよな。道具にも、手入れってもんが必要だからな」
「刹那」
ウォンはたしなめるように、
「本当のことをいうと、心配なのです。以前より、回復力が落ちてきてはいませんか?」
「そんな感じは、しないけどな」
「自覚症状はないのですね」
「今のところはな」
「それなら、いいのですが」
そしてウォンは、刹那を拭き上げるとゆるやかな寝巻きをかぶせ、自分も寝巻きをはおると、刹那を腕の中に包みこむようにして、寝てしまった。
目覚めた刹那は、ウォンから身体を離そうとしてみたが、腕をはずすことができず、そこから逃れることができない。
刹那は苦笑した。
「寝返りがうてなきゃ、寝ても疲れがとれないだろうが」
だが、ふと脳裏に、ウォンの囁きがよみがえった。
《欲しがって、刹那》
「なあ、あれだけは本音なのか?」
たぶんウォン、俺のこと、すこしは好きなんだろうな……遊ばれてるわけじゃ、ないんだ。俺のこと、どうしたらいいか、わからないだけで……《私をひとりじめしていいのですよ》って台詞、逆だろ普通は……あなたをひとりじめします、だろ?
「今晩はひとりじめして、よかったんだよな、ウォン?」
結局今まで、この腕に甘えて眠っていたのだ。他に誰がいても、今は俺のものだ。
刹那は、眠っているウォンの首筋に口づけた。跡がつくほど強く。本命の恋人が見たら気を悪くするだろう、肌が露出しない箇所に、情事の印をつけていく。
あのクリスマスの日、すっかり心は死んだと思っていた。
しかし、こうしてウォンと身を近づけていると、まだ何かがかきたてられる。
思い返せば、出会った日から、この大男に興味をひかれていた。
素性も何も知らなかったのに、自分から近づいたのだ。
すでにウォンに他の誰かいたところで、責める権利があると思っているわけでもない。
「あんたさ、自分で思ってるほど、悪い男じゃないぜ」
あんただって、寂しい夜も、不安な日もあるんだろ。俺を抱いて気がまぎれるんなら、俺はそれでいいんだ。
「俺はな、軍に来た時、名前すらなかったんだ」
親がろくに文字も書けなかったので、まともな名がない。書類にいつもどおりLGWと書いた。
受け付けた男は眉をしかめ、
「名前ぐらい、ちゃんと書け」
「これが名前だ」
「こんな名前があるか。まったく、無学な連中はしょうがないな」
書類上、勝手に、エルジー・ウィリアムズという名に書き換えられた。使い捨ての兵隊の、過去や素性を詮索する気はないのだ。どうでもいい存在だからだ。
だが、特に憤りは憶えなかった。
なぜならずっと、そういう扱いをされてきたからだ。
もちろん、面とむかって罵倒する連中は、殴ってきた。
しかし、降りかかってくるすべての理不尽をはねのける力は、自分にはない。
半ば諦めの気持ちをもって、刹那は軍に入ってきたのだ。
だが。
この男は、新しい名をつけてくれた。
他の誰も真似ができない、超能力をひきだしてくれた。
そして、優しく抱きしめてくれた。
「あんた、わかってないだろ」
食うや食わずで、しかたなく身体を売った経験もある。たいした娯楽もない時、一時の快楽を求めて抱き合うのは当たり前のことで、場数は踏んできていた。
だが、優しく愛されたことは、それまでなかった。
一人の人間として尊重されたことは、一度たりとも。
新たな名とともに、ウォンの手で、刹那は文字通り生まれ変わった。
もう、弱いからと馬鹿にされることもない。
ウォンは何も欲しがらないというが、一番欲しかったものは、もうもらっている。むしろ、何か返してやらなければならないと思うほど、たくさんもらったのだ。
「俺はあんたの道具だから、あんたの役に、たってやるよ。あんたが喜ぶんなら、それがいちばんの、ご褒美だ」
ウォンの髪をかきあげ、額にも軽く口づける。
「俺、あんたが……だからさ……」

(2012.11脱稿)

《サイキックフォース》パロディのページへ戻る

Written by Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/