『天国をでてゆく』

「どうしよう、かな」
ついそんな言葉を口走って、キースはぬるい湯に、さらに深く身を沈めた。
暑い国では冷たい水を浴びてサッとあがるより、体温に近い湯にゆっくり沈んでいる方が、かえって涼しくあったりする。昼寝の後だし、ちょっと汗を流しておくかとバスタブに湯をいれて、身体をのばしていた訳だが。
「困ったな」
胸元から腰にかけて、モヤモヤとわだかまっているものがある。
昨日、あんなにしたのに。
この世の楽園にいる、開放感のせいだろうか。
これじゃ「しめつけて」ってウォンにねだられても、もう冷やかせないな。今は買い物に出ているが、こんな風にぼんやり思考をさまよわせていると、文字通り飛んできそうだ。
「欲しい、のかな?」
ひとつになって、ウォンの熱を中でじっくり味わっていたい?
うん。
やっぱり、欲しい。
「若いというのはいいですね。回復が早くて」
案の定、紙袋を抱えたウォンが、にこやかに浴室へ現れた。
「ああ、おかえり」
キースも微笑で恋人を迎えた。
「君こそ、そんなに慌てて飛んでこなくていいのに。とりあえず食べ物は、キッチンへ置いてきたらどうだ」
「キッチンでしたいんですか」
「だから」
キースはさすがに笑みをゆがめて、
「君も今すぐ欲しいなら、寝室へ行けばいいだけのことだろう?」

「ああ」
キースは小さく、ため息をついた。
「とけちゃい、そうだ……」
「私も……」
黄昏の淡い光の中で、二人は互いの体温にひたっていた。
「なんでこんなに、気持ちいいんだろう」
「そんなに、いい?」
額に口づけられて、キースはこくん、とうなずいた。
もう返事すらしたくなかった。強烈な喜びは去ったけれど、それでも余韻はたまらなく甘美で、目蓋も重い。
しかしウォンは、そっとキースの背を撫でながら、
「私も離れがたいのですが、そろそろ夕食にしませんか。続きは、また夜にでも」
「もう少し、ロマンティックなことを囁いてくれないか」
「おやおや。本当は仕事に戻りたくて、うずうずしているくせに」
「えっ」
突然目が覚めたような顔になったキースに、ウォンはもういちどキスしてから身を起こした。
「若いというのはいいですね、回復が早くて。少し休養をとると、すぐに元気になって新たな仕事に向かえるようになる。そもそもじっとしていられない、貴方の性分は知っていますが……昨日の手紙が、そんなに嬉しかったですか?」
「ウォン」
キースはうすく頬を染めた。
図星だった。
昨日、ウォンは出先で、とあるサイキッカーから、キースあての一通の手紙をひそかに渡された。二人が死んでいないことも、常に共にいることも半ば公然の事実だ。手紙に何のしかけもないことを確かめて、ウォンはそれを持ち帰った。
差出人は、キースたちが出てきた町に住んでいた若者だった。現在は大学に通うために町を出て、ひとりで暮らしているらしい。その近況を知らせるとともに、キースへの礼が書かれていた。

《町を出てみて、自分があの町にどれだけ大切に守られていたか、はっきりわかりました。厳しいと思っていた自衛の訓練も、必要なものだった。あの町はまちがいなく理想郷でした。いずれは戻って、貴方の精神を引き継ぎたいと思います》

あらたな設計図をひいていたキースにとって、こんなに嬉しいメッセージはなかった。
なにしろ、自分がつくりあげた場所が、正常に機能していた証だ。
理想郷は、他者と共存できる者をうむ場所でなければならない。たとえば『幼年期の終わり』のように、旧人類がすべて滅びればサイキッカーに明るい未来がおとずれるかといえば、そうではない。サイキッカーのみで自給自足するのは難しい。できたところで、それぞれの力の格差が、いずれサイキッカー同士の新たな争いをひきおこすだけだろう。
だから育てるべき若い世代は、自分を失ったり損なったりすることなく、人間とも協調できる者でなければならない。
その貴重なひとりが、この手紙の書き手だ。
大切に机にしまい、次の町の構想を広げたキースに、ウォンは寄り添った。
「ずいぶん楽しそうですね。草案から、具体的なところまですすみましたか」
キースはうなずいた。
「まあ、真の理想にはほど遠いが、きれいごとを並べても始まらない。僕は僕のできることを、するだけだ」
「謙遜しますね。おや、次の拠点はカナダの予定ですか?」
「異文化を受け入れる穏やかな土地柄だからな。人工的な町は、まず差別の少ない場所でこしらえていく方がいいだろう。チャイナタウンとは違うわけだし」
「いざとなれば協力することもできるのですがね。で、いつ動きます?」
キースは首をすくめた。
「すぐには行かない。この時期は寒いしな」
「私のために、仕事を延期しなくてもいいのですよ?」
「君のためじゃない。もう少し、この楽園で、愛欲の日々を楽しんでいたいだけだ」
ウォンは嬉しそうに微笑んだ。
「もう少しなんて、遠慮しなくてもいいんですよ? なんなら、永遠でも」

そのままたっぷり愛しあって、満足して眠りについたのが昨晩のこと。
そう、つまり、キースの中で疼いていたのは、情欲ではなかった。満ち足りてもなお溢れてくるもの、それはつまり――。
ウォンの身体の輪郭は、黄昏にやさしくけぶっている。
「腹が減っては戦ができない、といいますからね。いえ、仕事をしないにしろ、すこし食べましょう」
「わかった」
キースはシャツに手を伸ばした。羽織りながら呟く。
「どうして僕は、自分から天国を出ていくような真似をするんだろうな」
「そうですねえ」
ウォンもローブに腕を通した。
「誰かのために天国をつくっていくほうが、楽しいのでしょう?」
キースはふっと考え込んだ。
「そうか。やりなおせる、からか」
「そうかもしれませんね」
出されたウォンの掌をとり、ベッドを降りながらキースは真顔で呟いた。
「いや……君と一緒だからだ」

(2007.1脱稿)

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Written by Narihara Akira
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