「魔 性」 -- それから「if」シナリオ --



「これが、バシアさんの、味……オイシイ」
白くねっとりしたものをくちびるにつけたまま微笑む彼をみて、バシアは新たな情感が背筋を走り抜けるのを感じた。それを打ち消すように、急いで言葉を継いだ。
「朝食なら、ピタパンにこのフムスを詰めるだけでいいと思いますよ。ただ、ひよこ豆を手に入れられなかったとか、フードプロセッサーを洗うのが面倒なら、ギリシャの料理ですが、こちらのツァジキもいいかもしれません」
「これも美味しそうですね」
「マリクの好物ですが、あなたの口にもあうのでは? ふかしたジャガイモにつけて食べれば、炭水化物もとれます。肉や魚の付け合わせにもなりますから、夜に酒のつまみとして出してもいいかもしれません。キュウリとニンニクをみじん切りにするのが面倒ですが、あとは水気を絞って塩胡椒とオリーブオイルで和えて、水切りヨーグルトを混ぜるだけですから」
「完全食っぽい感じ……おいしい」
安道はまた、ヨーグルトで口元を白く汚す。
弟としている時の様子が目に浮かぶようで、おもわず目をそらした。
「夜ならメインは、こちらのカプサがいいでしょう。本来は多めにつくってとりわけるものですが、二人で食べるなら、これぐらいの量でいかがですか。あなたはチキンが好きでしたよね」
「好きです。すごくスパイシーだけど、これも美味しい」
いい笑顔だ。
本来的にはとても素直な男らしい。子どものように無垢なところがある。
会社ではなるべく目立たないようにして、昇進の話なども断っているらしい。大人の責務とはいえ、人の上にたつのが厭なのだろう。しかし上役にたいしても新人にたいしても、態度がフラットでかわらないので、嫌われていない。ふだんは自分の心を守る鎧をかたく着込んでいるが、ストレートな好意にはあっという間に脱いでしまうこともある。そして一気に距離を詰めてくる。
一種の魔性だ、とバシアは思う。
今回、どうしてバシアが、安道の部屋で手料理をごちそうしているかというと、彼が会社帰り、スーパーで、エスニック系の食材の前でしばらく考えこんでいたので、思わず、「どうしたんです」と声をかけ、「マリクの好物ってなんですか」と質問返しをされたからだった。
「訊いてどうするんです」
「泊まりに来た時に、それらしいものをふるまってあげようかなと思うんですが、故郷の味が好きなのかどうかも、よく知らないってことに気づいて……バシアさんだったら、ご存じですよね」
「あなたが、手料理を?」
「今までも出してましたけど、思いつきでしかつくってないんで。よかったら教えてもらえませんか」
「……では、マリクが留守の夜にでも」
という流れで、安道の部屋にいる。
バシアは淡々と説明を続けた。
「お口にあったようで何より。米はバスマティがいいのですが、ない時は日本のお米でもいいですよ。チキンスープの炊き込みご飯なので、水の量を加減すればいいだけのことなので」
「細長い、アジア系のお米ですよね。あとでレシピ、書いてくださいね」
「チキンの焼き加減や味は、お好みでいいですよ。添える野菜もあるものでいいですし、ゆで卵も面倒なら入れなくていい。もし完全食にしたいなら、バランスを考える必要がありますが、マリクには十分なものを食べさせていますから、あなたが食べたいもので」
「そうですね」
「あと、あなたがマリクにふるまう場合、食費を出させていただきたいのですが」
「いや、僕も食べるので、ご心配なく」
「しかし、あなたは別にアラブ料理が好物なのではなくて、マリクのためにわざわざ買い物をしたり、彼のために食事をつくろうとしているわけですよね」
「んー、だめですか? 普通はおにぎりと味噌汁なんで、毎回それだと、マリクが可哀想かなって」
その前の晩に自分がいただかれているわけでしょう、そこまでマリクにサービスしなくてもいいのでは、という言葉を、バシアはのんでしまう。
「いや、あまりに申し訳ありませんから、私の口座から、月々、決まった額を振り込んでおきましょう」
「えーと、それだったら……バシアさんが買い出しにつきあってくれるとか、ダメなんですか」
「えっ」
「売ってるお店を教えてもらって取り寄せてもいいけど、食材を自分の目で見たい時もあるし」
「それは……あなたと個人的に会っていることが、マリクに知られてしまいそうで」
「だめですか」
安道はため息をついた。
「ほんとうは、三人で……したいな」
彼がそう呟いた瞬間、バシアは腰が疼くのを感じた。
三人で……マリクが彼を抱いている時に、その濡れたくちびるに、自分の……知らないはずの口腔内の熱さを知ってしまった気がして、バシアは喉を鳴らした。
「三人で?」
「僕はもう、バシアさんと顔をあわせてるわけで、マリクもあなたがお兄さんだってことを隠してないんだから、たまには三人でご飯を食べてもいいんじゃないでしょうか。アパートではちょっと、っていうなら、外食でもいいです。それともお店が遠くて、難しいですか?」
「外で、ですか」
それならいいホテルをとっておいて……などと思考がさまよいだすのをこらえていると、安道は返事に窮していると思ったらしく、
「ごめんなさい。無理につきあってくれなくていいです。バシアさんにもプライベートがありますよね。つきあってる人とかもいるんでしょうし」
「いや、いません」
「いないんですか。えー、もったいない。マリクよりイイ男なのに」
「えっ」
「顔だって綺麗だし、本当に万能でなんでもできるし、料理だって……モテるんだろうなと思って」
「いや、そういうことは」
「そっか、マリクの世話で手一杯ってことか……大変ですね。でもこの人いいな、とか、なかったんですか。好みのタイプとか、どんな感じ?」
そういってこちらを見つめる安道の瞳に吸い込まれそうになってしまって、バシアは思わず咳払いした。
「若い頃は、まあ、それなりに。今は別に」
「ああ、余計なお世話でしたね」
マリクに冗談でも「三人でしたい」といったら、どんな顔をするだろう。もちろん安道にその気がないのだから、現実にそうなることはないが、どれだけ怒るか、見てみたい気もする。それとも……いや、安道に本当にその気はないのだろうか。こんな風に自分の部屋に無防備に招き入れて、押し倒される可能性をまるで考えていないということが、あるだろうか。
「アンドー。あまり私をからかわないでくださいね」
「そうですね。すみません」
頭を掻く安道に、
「そんなことを言われ続けていると、あなたが私に気があるように思えてしまいます。マリクがいなかったら、あなたのことを、好きになってしまうかもしれないでしょう」
すると安道は笑って、
「僕は、バシアさん、好きですよ」
「えっ」
「もしかしたら、マリクよりも……」
そういって口を結んだ安道に、これ以上引き寄せられないようにするのが、精一杯で……。



2017年1月、「3p」として、ぷらいべったー(http://privatter.net/p/2089712)に書いた二次創作

written by narihara akira 2017.

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