『誘 拐』

濃い紫の靄の中で、重い瞼を開く。
後ろ手に枷をはめられていた。足にも金属の枷がかかっている。
膝を崩したまま顔を上げると、リチャード・ウォンはいつものとぼけた声を出した。
「おやおや、こんなところで懐かしい顔にお目にかかれるとは……」
結界の向こうにいた男は、憎々しげに呟いた。
「それはこっちの台詞だ、元司令官殿」
アメリカ軍サイキッカー研究所司令官としてつとめていた時、お目付役でつけられたT補佐官だった。
ウォンは身体のばねを使い、器用に立ち上がった。不敵な笑みを浮かべつつ、
「皮肉のつもりでしょうが、軍研究所はそれこそおしまいですね。機密が漏れているどころか、重要な公職についていた人間が、民間の研究所で堂々と働いているとは」
「ふん。キサマが研究所を骨抜きにしたんだろうが。この機関にスカウトされるのがあとちょっと遅かったら、機密ごと俺は殺されていたろうさ」
ぬっと迫ってきた男をにらみつつ、補佐官は透明な壁をコツ、と叩いてみせる。
絶対安全な障壁ごしの対峙。
「それにしても、直々に乗り込んでくるとはな。相変わらず、自分の手を汚すのが好きな男だ」
「ふふ、それは誉め言葉ですよ」
「ハ、戦力が少ない証拠だろう。いずれ、おまえ達すべてを駆逐してやる」
「そんなことがあなたの目的だったんですか。つまらないですねえ」
彼らの本拠地のシステムを先日かきまわした連中の正体を、ウォンはずっとさぐっていた。そしてついに、その背後にある民間サイキッカー研究所の存在が明らかになった。小規模とはいえ、こちらの情報に精通しているようだ。無事撃退できたとはいえ、今後の脅威になってはと判断した彼は、単身調査に向かったのだ。
そしてこのように捕縛され。
「ずいぶんな余裕だが、いつまで涼しい顔をしていられるかな」
「どうするつもりです?」
「その菫色のもやもやが、なんだか判らないキサマでもないだろう」
「わかっていますよ。私の超能力が、吸い取られているということでしょう?」
シェイディークラウド――かつてウォンが、軍研究所時代に、人工サイキッカー刹那に与えた能力だ。相手の超能力を吸収して大きな力を出せないようにするものだ。刹那には他にも、一定時間相手が力をとりもどせないようにする能力や、直接相手の力を吸い上げて自分の体力に変換する技をもたせていた。補佐官はその実験を間近で見ていた訳で、その機密を持ち出して、この研究所で再現しているのだろう。人を媒体に使わなくとも、サイキッカーを捕らえておくことのできる結界を。
補佐官はふん、と鼻を鳴らし、
「能力なしで、簡単に脱出できるとでも思っているのか」
「そうですねぇ。侵入もたやすかったですからね」
「罠だとは思わなかったのか」
「こうしておめおめと捕まっておいて、といいたいんですか?」
カシン、と音がして、ウォンの手枷が落ちた。関節を戻しながら、
「なぜ私が人工サイキッカーの研究をしていたか、あなたにはまだわかっていないようですね。機械でつくりだせるものは、非常に脆弱なのですよ。人体の神秘というものを、あなたはもう少し理解すべきです」
ひょっと床に片手をつくと身を踊らせ、足枷のついた部分をガン、と結界にたたき付ける。普通の人間なら骨折するだろうと思う勢いだが、壁面には傷が付いていた。もやが漏れだしてくる。
「まあ、今日でその命を終える人に、何を言っても仕方がありませんが」
「くっ」
補佐官は新しい防護壁を降ろそうと、手近なボタンに手を伸ばした。
その瞬間。
「待て。その男を返してもらおう」
補佐官は、自分の身体が凍りつくのを感じた。
文字通り凍っていた。氷の龍に巻きつかれて。
馬鹿な。
いつの間に侵入した。この部屋に入る前に幾つも関門があるはずなのに。
キース・エヴァンズ。
おまえにテレポート能力などなかったはず……そう呟く前に、補佐官は真の闇へ墜ちていった。

基地へ戻る途中、並んで飛びながらウォンが笑う。
「貴方がそんなものを身につけてこられるなんて……よくお似合いですよ」
「君が無茶をするからだ」
キースの胴には、ウォンがつけているベルトのレプリカが巻かれていた。ウォンの能力増幅装置と原理は違って、それは一種の加速装置だった。自分の速度を増すことで、相対的に相手の時が遅くなる。うまく使って、少しも気付かれずに研究室に忍び込めた。しかし金色のカラーリングといい、前面の円盤といい、チャンピオンベルトとしかいいようのない造形なので、つけるのにかなり勇気がいる。
ウォンはさらに笑って、
「幽霊の、正体見たり枯れ尾花――あんな貧弱な研究所、私ひとりで充分です。キース様もわざわざ乗り込んで損をした、と思ったでしょう?」
「なら捕まるな」
「心配させてしまいましたか」
「行き先ぐらい告げていけ」
「だって、喧嘩したばかりじゃありませんか」
「あんなもの、喧嘩でもなんでもない」
「おやおや」
ウォンは首をすくめる。

喧嘩をしたのではない。
むしろ、キースが一方的にからかわれたのに近い。
立入禁止のウォンの個人研究室、そこを前触れなしに訪れたのが原因で。
「変なものばかりあるな」
「おもちゃ置き場ですよ。大人は入らないでください」
苦笑いしながらウォンは、青年の侵入を遮った。しかしキースは構わず踏み込む。
「子ども向けばかり置いてあるとでもいうのか」
「あまり邪推されても困りますが」
そこは過去の研究の展覧会とでもいうべき一室だった。未だ科学で解明されえないサイキックの根幹はさておき、その能力をいかに封じるか、もしくは自在に引きだし強化するかということがリチャード・ウォンの大きな関心事であり、遺伝的な要素のない普通の肉体まで、改造することで超能力を使えるようにしていた。その成果がずらりと並べられている訳だが、ウォンが胴に巻いている、空中元素固定装置のレプリカもこっそり飾られている。通常のファッションセンスではつけられない、例のギミックだ。
「ここにあるのはすべて補助具ですから、誰でも使えますが。貴方にふさわしいものとなると、難しいですね」
ウォンの説明もきかず、キースは金の腕輪を拾い上げる。
「もう少し目立たない工夫はないのか?」
「まあ威嚇の意味もありますから。もしそれがお気に召したのでしたら、改造しますが」
「君の愛人のおさがりなどいらん」
「おや、焼きもちですか。嬉しいですねえ」
図々しい、とキースはそっぽを向いた。
せめて「おや、よくご存知で」とか「刹那は愛人なんかじゃありませんよ」ぐらいのことを言えばいいものを。しらばっくれて欲しい訳ではないが、自分を勝手にひとりぼっちにしておいて、その間適当な青年をひっかけてさんざん慰み者にしたくせに、よく澄ましていられるものだと腹が立つ。こちらは嫉妬などしていない、むしろ気の毒に思っているのだ。
「お互い様、なんて思ってはいませんよ、私も」
重ねて言われてキースはカッとなった。
君の留守に孤閨を守っていたなら、もっと早く戻ってきたとでもいうのか。
誰かに抱かれずにはいられないほど寂しくしたのは、いったい誰だ。
「馬鹿にするのもたいがいにしろ」
だが、ウォンはふと真顔になって、
「馬鹿にしている訳ではありません。ここへ勝手に入ってきたのは貴方です。機密というほどではありませんが、私以外はこの部屋は立ち入り禁止とお伝えしているはずです。しかも貴方は、ご自分で難癖をつけはじめたんですよ」
「君の研究についても知っておかねばならないと思ったからだ。難癖ではない、忠告だ」
「ご忠告、いたみいります」
ウォンはうやうやしく頭を下げた。だが、
「しかし今更、過去は変えられません。常に未来に備えるべきです」
正論で封じられて、キースはいらだった。
君は僕ばかり責める、自分も悪いと口ではいいながら、僕を。
「本当にそう思うなら、過去の遺物に囲まれて一人で悦に入っているのはどうか」
「過去の遺物ばかりではないんですよ」
ウォンはベルトのレプリカを取り上げ、キースの腹部にあてながら、
「これは一種の加速装置で、私の能力とは根本的に違うシステムです。しかも肉体への負担は比較的少なく、それに対して効果は……」
「もういい!」
キースはウォンの掌を払いのけた。
「わかった。君が正しい。私は出ていこう!」
足音も高く部屋を出る。
ウォンは追ってこなかった。
キースは私室で、しばらくウォンのおとないを待っていた。
しかし、しびれをきらして部屋を出たキースは、ウォンの不在に気付いた。
しかも、残されたデータから判断して、その行く先は。
「ウォン……!」
自分を遠ざけるためにわざと怒らせたのか、と思った瞬間、とるものもとりあえず飛び出していた。単身後を追うのが、どれだけ危険かも考えずに。

首をすくめたまま、ウォンはのんびりした声を出す。
「まあ、実際たいしたことがなくてよかったですよ。主要システムは完全に破壊しましたから、連中は二度と攻撃をしかけることができないでしょう」
キースは答えない。
どうでもいいからではない。その反対だ。
いくら小物相手とはいえ、わざと捕まってみせるなんて。
あえて我が身をさらしたのは、他に捕らえられているサイキッカーがいないか、実験台にされていないかを確かめるため、そしてシステムコアの最後のありかを知るためだったのだろう。例によって要所には、爆発物がすでに仕掛けられていた。脱出時にウォンは、そのスイッチを作動させていた。
なんとも古典的な特攻だ。
だが、時をとめる能力があれば、それは比較的安全にやれる。
慌てた自分が恥ずかしくてならず、キースはひたすら無言で飛ぶ。
基地が近づくと、ウォンは呟くように言った。
「好き勝手をしたあげく、こんなことを思ってはいけないんでしょうが」
「ん」
「嬉しかったです。助けにきてくださって」
キースはぱっと赤くなった。ウォンの瞳をみずに、
「取り乱した僕は、さぞおかしかったろう」
「そんなこと」
「笑ったくせに」
「謝ります」
「謝らなくていい」
無事に基地にたどり着くと、キースはギミックを捨て、ウォンをふりきって私室へ引きこもった。
ロックをかけ、簡単な結界まではった。
ウォンに今の気持ちを、かけらでも知られたくなかったからだ。

僕はウォンを助けに行ったんだ――そう自覚した瞬間、捕まっていたウォンの姿をぱっと思い出してしまった。
人工的な闇の中に、ぽっかりと浮かび上がる白装束。
後ろ手に枷をはめられ、膝を斜めに崩した艶な姿。
青味をたたえた深い黒の瞳。
乱れた髪が一すじ、白皙の額にかかって。
美しかった。
囚われの姿は普段とすっかり違う風情で、目の前にいる平凡な男が、このウォンを視姦していると思った瞬間、発作的に氷の龍をはなっていた。
許さない。
ウォンを縛っていいのは。
眼差しで犯していいのは。
僕だけだ。

ウォンは自分が俗っぽいというが、本当は僕の方がずっと俗っぽいんだ、とキースはため息をつく。
だって、もうこんなに身体が熱い。
抱きたい。
それこそ手錠でもかけて、抵抗できないようにして転がして。許して、とウォンが涙を流すまで、思うまま犯したい。

恥ずかしい。
助けにいったのに、守りたいと思ったのに、縛られた姿に欲情してしまうなんて。
勝手なウォンを怒らなければいけない、それを口実に縛ってしまうこともできなくはないけれど。
合意の上ですることと、それは別種の問題だ。
嫉妬もこの欲望も、けっして知られたくはない。
でもそれは、そんな姿を君が無闇にさらすからだ、ウォン。

「キース様」
石鹸の香りがふいに鼻をかすめた。
キースの私室、しかもその結界内に侵入できるものは、そう多くはいない。
するりと抱きしめられて、キースはもがいた。
「君はそんなことしか考えていないのか、帰って早々」
「キース様も、こんなに熱くしてるじゃありませんか」
「あ」
「もう我慢できないでしょう。一度ぬいた方がいい」
握りこまれて、キースは頭の芯がジン、と痺れるのを感じた。
「口でします? それとも下で達かせてあげた方が?」
ドキッ、としてキースはウォンを見上げた。
焼きもちも抱きたいと思う気持ちも、やはりぜんぶお見通し――。
「わかります。貴方に欲望の眼差しで見つめられたら。ドキドキします」
「欲しいのか、ウォン」
「ええ」
ウォンはようやく腕をほどいた。
キースは相手の滑らかな首筋に掌を滑らせて、低く囁く。
「ひどく、してもいいのか?」
ウォンの瞳がふっと潤んだ。
貴方の口からそんな言葉をきいたら、優しくして欲しくっても……と黒い瞳が訴えている。
キースは微笑んだ。
「わかった。優しくする」
「あっ」
囁かれて感じてしまったのか、軽い口吻にもウォンは敏感に反応した。
いっそ可愛らしいような乱れ方に、キースの中心は熱くもえあがった。ウォンの肉体を押し広げ、むさぼりたいだけむさぼる。
「キース……さまぁ……」
「君だけ楽しませないからな。終わったら交代するんだぞ」
甘く呻くウォンの口唇をも犯す。全身を愛撫しつくす。
「さあ、いつになったら反撃してくる、リチャード・ウォン」
「そんな……優しくしてくださるのじゃなかったんですか」
「これ以上か? 自分から挑発しておいてか。いつもの君の方が、ずっと意地悪なのにか」
「意地悪なんて」
「前も後ろも充分すぎるほど良くしてやる。少し我慢しろ」
「あ、あ……っ!」
この大男が、愛しくてたまらなかった。
本当は、ウォンはたっぷり甘やかして欲しいのだ。
我がまま勝手な行動の数々は、許してもらえるか知りたいから。
そんなことをして気をひかなくても、こんなに君が好きなのに。
ほら……!

お互いを堪能しあうひとときが過ぎて。
「ウォン」
「はい」
口唇を開きかけて、キースの言葉は止まってしまった。
いくら相手が小物だろうと、今日のように単身敵地に乗り込むことは、危険だからやめろと言うつもりだった。
しかし、自分の無茶はどうなのだ。
お互い様としか言われまい。
「キース様」
「うん?」
「私達は、やめたくなったら何時でもやめられることをしています」
ドキリとしたキースに、ウォンは微笑む。乱れた黒髪をかきあげながら、
「ですがおそらく、一人でいようが、群れをなしていようが、理想を追求し続けようが、あっさり捨ててしまおうが、狙われる危険は変わらないでしょう。むしろ仲間を捨て去る方が、危険かもしれません。それならば、自分の手を汚し続けた方が、まだリスクが少ない」
キースの頬に口づける。
「というのは建前で、貴方をあんなに疲れさせたものを、いつまでもほうっておけなかったんです。かえってご心配をおかけして、すみませんでした」
「わかった。もういい」
「それから……軽蔑したりなんかしませんから」
キースは思わず赤くなった。
ウォンに握りしめられる前から先走りがにじんでいた、それも悟られていたに違いない。
それでもウォンに、あんな艶っぽい姿を人に見せるな、とすら言えなかった。
「軽蔑されるのは私の方です。嬉しかったんです、本当に。貴方にあんな瞳で見てもらえるなら、また捕まってもいいと思うほど」
「ウォン」
キースはホウ、とため息をついた。
ウォンの手首を捕らえて、そっと口づける。
「まだ、わかってないのか……何処までも君をさらっていいのは、僕だけだ」

(2003.11脱稿)

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Written by Narihara Akira
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