『英雄たち』


六月上旬の天気のよい週末、洒落たオープンカフェで、ひとり絵を描いている少年がいた。
アイスブルーの瞳は赤レンガの街並みを見つめ、鉛筆をもった手は、ゆっくりとスケッチブックの上を動いている。雑音を遮って集中するためか、両耳から白いイヤホンコードを垂らしている。テーブルの上に置かれたチコリのコーヒーは、すでに湯気をたてていない。
バーン・グリフィスは、真剣な表情で風景をきりとる親友の姿に、一瞬、見とれてしまった。
《絵になるよなあ、キースって》
陽射しをうけて輝く、銀いろに近いブロンド。透きとおるような白い頬。長すぎる睫毛。端正な顔に、十四歳とは思えないほど大人びた、憂いの表情を浮かべている。
「悪いな、キース。遅くなっちまって」
我に返って声をかけると、キースはイヤホンを片方はずし、あわい微笑で応えた。
「いや、僕が早く来すぎたんだ。そろそろ一枚目を描き終えるから、少し待っててくれるかい、バーン」
「ああ、わかった」


今年の美術の最終課題は、今まで教わったテクニックを使って、外で好きな場所をスケッチしてくることだった。バーンは絵があまり得意でなく、キースにどうしたらいいか、アドバイスを求めた。
「うまくなくても、見たままを、じっくり描いたらいいんじゃないのかな。僕も上手なわけじゃないし」
どちらかというと、キースは一瞬で形をとらえて描く派で、下手ではないが、細部までもっと丁寧に、という指導をうけていた。その弱点を克服するため、スケッチブックに視線を落とさず、対象だけを見つめてその輪郭だけを描く練習をしている。バーンの場合はせっかちで、勢いで描きなぐってしまうので、いつも良い点をもらえないでいる。 だが、もうすぐ夏休みだ。美術の課題ひとつが終わらないというだけで、補習をうけるのはイヤだった。
「ねえバーン。次の休みに、一緒に描きにいこうか」
そうキースにもちかけられて、バーンは喜んだ。
日曜日に会うと決め、落ちあう場所はキースが選んだ。
「野外より街中の方が、描く対象がたくさんあって、描きやすいと思うんだ」
「そうかもな。じゃ、ランチタイムの終わり頃に行く」
「うん。いい絵が描けるといいね」


というわけで、バーンは待ち合わせ場所にやってきたのだが、キースのイヤホンの片方から洩れる、規則正しいリズムが気になっていた。
「なあ、なに聴いてんだ、キース?」
「ああ、ごめん。つけたままにしてた」
キースはイヤホンを両方ともはずした。
「デビット・ボウイの、ヒーローズっていう、すごく昔の曲だよ」
「俺も聴いてみていいか」
「もちろん」
白い本体ごと渡されて、バーンはイヤホンをつけてみた。

《ヒーローになれるかもしれない 一日だけなら

僕らは無名の二人 誰も助けてはくれない
お互い偽りに甘んじるなら 君は行くべきだ
安全な道を選べるのだろうか この一日だけでも

ヒーローになれるかもしれない 一日、だけなら……》

バーンは意外な気がした。
キースはいつも物静かで、めったに声をあらげることもなければ、勇ましいこともいわない。その彼がこういう種類の歌を、好んで聴いているとは思わなかった。
おかげで親友であるはずのキースを、よく知らないことに気づいた。両親の顔も見たことがないし、なぜイギリスからこんな田舎に転校してきたのか、訊いたこともない。
バーンの微妙な表情を見て、キースは苦笑した。
「昔の曲だって、いったよね」
「いや、そういうことじゃなくて、俺は……」
バーンが返事につまっていると、にぎやかな音が近づいてきた。明るい叫びがこだまする。
「マイノリティーに権利を!」
虹色の旗を掲げたパレードがやってきた。
羽飾りやサテンドレスを身につけた男性や、黒いレザーをつけた女性たちが練り歩く。派手な仮装している大人も少なくない。フロート(山車)に乗って、大看板を掲げてアピールしているグループもある。
毎年六月に各地で行われている、性的マイノリティーたちの示威行進だ。ただし、彼らのプライドを理解するのであれば、一般人も飛び入りで、一緒に歩いてかまわない。お祭りノリの明るいイベントである。
「ゲイ・パレードって、今日だったっけか」
「そうみたいだね」
キースは手をとめて、華やかなパレードを見つめた。
妙に真剣な表情だ。その横顔にバーンは問いかけた。
「ああいう派手なカッコして歩くの、面白いだろうな」
「どうだろうね」
キースは即座に答えた。妙に冷たい声だった。
「どうしたんだキース、気に入らないことでもあるのか」
「デモができる人間は、幸せだ」
キースの声は、どんどん沈んでいく。
「たしかに少数者かもしれないが、自分が何者なのか、隠さなくても生きられるじゃないか。安全だからこそ、ああいうアピールも、祭りもできる。幸せだよ」
らしからぬ台詞に、バーンは首をかしげた。
「ふだんは隠してる連中も多いんじゃないのか? わざわざ濃い化粧したり、仮装してたりするんだし」
キースは横を向いたまま、
「たった一日でも、自分の正体をさらけだせない者もいる。いることを無視されるか、迫害されるしかない人間が。何の選択肢もなく、誰にもすがれず、殺されるか、一生口をつぐんで生きるしかない、孤独な存在が」
「キース?」
読書家のキースは博識で、バーンの理解できないことを口走ったりすることもあった。しかし、差別主義者ではないし、こんな過激な発言も、今まできいたことがない。
「いったい何の、誰の話をしてるんだ?」
それに答えず、目を細めてパレードを見ていたキースは、ふと顔色をかえると、席を蹴って立ちあがった。
「危ない……!」
黒いウェディングドレスを着た若い女性が、街頭からヨロヨロと飛び出してきて、パレードに近づいていた。
だが、急に足を滑らせ、道端で転倒しそうになる。
キースはとっさにその女性を受け止め、抱きしめた。
バーンがあっけにとられていると、キースは女性の耳もとで、低く囁く。
「貴女の恋人は、貴女が死ぬことを望んでいません」
女性はワッと泣き出した。涙声で叫ぶ。
「あんたに何がわかるっていうのよ!」
「わかります。貴女にこんな危険なことをさせようとする連中は、貴女を利用しようとしているだけです」
「かまわない、かまわない、パレードをぶちこわしたいだけなんだから!」
「今年のパレードを中止させることはできても、彼らは来年、なおいっそう派手にやるでしょう。この街でやれなくなっても、別の街でもパレードが行われます。それなのに、貴女がひとり、こっぱみじんになる意味がありますか?」
女は激しく首をふった。
「いいのよ、こんなこと無意味だって、主催者に教えてやるのよ。私たちには私たちの幸せがあるの。他の人間がわかってくれなくても、いちいち認めてくれなくてもいいの。誰にもしられないところでうまくやってるんだから、権利がどうとか、騒ぐ必要ないのよ。こんなパレードのせいで、あの娘は、あの娘は……殺……」
バーンはやっと、事態を理解した。
この黒い花嫁には、かつて女の恋人がいて、前にパレードに参加し、素顔をさらしたことがあったのだろう。そして、デモが気に入らない連中に、生意気な、と襲撃されたのだ。
恨むべきは殺人犯だが、残された彼女の怒りはパレードへむいた。こんなものがなければ、恋人は死ななかったのだと。そして爆弾を身につけてパレードにつっこみ、後追い自殺しようとしたのだろう。
キースはドレスの背を優しくさすりながら、
「認められなくていいなら、なおさら死んではいけません。新しい幸せを探さないと。それにほら、神様も、貴女に生きろといっています」
ゴトリ、と重い音がして、何かがスカートの外へ転がりだした。もしかして自爆装置か、とバーンは思わず身構えたが、キースはあわてもせずに拾い上げ、
「ほら、スイッチが壊れてますよ。こんな、いいかげんな装置を渡すような人たちを、信じてはいけません。二度と近づかないのが賢明です。むしろ、今すぐにでも逃げ出した方がいい。嫌な思い出のある街にとどまる必要は、ありませんよね?」
「あんた、何者なの。童顔の保安官じゃないわよね?」
大人と間違えられて、キースは苦笑した。
「いいえ。ただ、僕も異邦人なので、貴女の気持ちも少しだけ、わかる気がして」
「異邦人?」
「ええ。事情があって、イギリスから来たばかりで」
女性は涙をぬぐい、深いため息をつくと、身体の緊張をといた。
「わかったわ。パレードが終わる頃には、この街を出る」
「そうです、貴女は生きていていいんです。彼女の魂が、きっと守ってくれますよ」
キースが腕をほどくと、彼女はゆっくり立ち上がり、折れたヒールを脱ぐと、パレードとは別方向へ歩み去った。
親友の名探偵ぶりを茫然と見守っていたバーンは、そこでようやく、キースに近づいた。
「なあ、なんで、あの女が自爆テロしようとしてたって気がついたんだ?」
キースは膝のあたりを払うと、テーブルへ戻った。
「歩き方が変だったからさ。たぶん腿に、この機械をつけてたんだと思う。それで、がに股にで動いてたんだ」
「その爆弾、大丈夫なのか?」
キースは苦笑した。
「大丈夫じゃないね。ただ、安全装置は無事みたいだし、遠隔操作式でも時限式でもなさそうだから、ここで爆発することはないと思う。後で届けた方がいいかな」
「今じゃなくていいのか」
「だってバーン、君はまだ、課題のスケッチを一枚も描いてないだろう」
のんきなことをいいだしたので、バーンは目を丸くした。
「おい、今はそれどころじゃないだろ。だいたい、歩き方がちょっと変ってだけで、なんで恋人が死んだってわかったんだ?」
まるでキースは、一瞬で彼女の心を読み取ったような動きをしていた。その鋭い洞察力は、まるで超能力だった。 キースはこともなげに、
「だって、プライドパレードに、喪服で参加するなんておかしいだろう。ウールリッチの小説に『黒衣の花嫁』っていう復讐物語があるぐらいだし。そっちは、婚約者を殺された女性の話だけど」
「そうなのか」
あくまで平然としている。
おかげで、二人から離れたところにいたほとんどの人間には、転びそうになった女性を、若者が紳士らしく助けたようにしか見えなかったはずだ。
が、それにしても。
「それ、故障してて、よかったな」
「そうだね。爆発してたら、僕たちも危なかったよ」
「いったい誰が、あんなものつくるんだ?」
「つくること自体は簡単さ。学校の化学の実験でだって、近い物がつくれるよ。自爆テロなら複雑な起動装置もいらないし、難しいのは材料をどうやって手に入れるかってことぐらいかな」
「いや、そうじゃなくて」
「ああ。パレードが気に入らない連中の正体のことか」
キースはふっと難しい顔になり、
「まあ、マイノリティーを不愉快に思う人間は、いつでもどこでも一定数いるけど、過激な方法で排除しようとするのは、売春を管理する犯罪組織の可能性が、一番高いのかな。弱い者を過酷な環境で働かせて利益をえている連中は、自分たちの商品が《我らに権利を》なんて言い出したら、たまらないからね」
バーンも眉をしかめた。
「で、自分たちの手は汚さないで、弱ってる人間につけこんで、罪もない人を大勢巻き込むようなテロをさせてるっていうのか?」
「よくある話だよ、バーン」
キースはリュックに爆弾をしまい、スケッチブックを閉じて立ち上がった。
「バーン、僕は前言を撤回するよ。彼らは彼らで大変だ。切ないことに、安全でも、幸せでも、なかったね」
「え、あ?」
「君の提案通り、しかるべき筋に届けよう。ここからも、なるべくはやく離れた方がいい。行こう、バーン」
「あ、ああ」
バーンはキースについて歩き出したが、ひとつだけ気になっていることがあった。
さっき、黒衣の花嫁が足を滑らせたところに、小さな水たまりがあったのだ。六月だというのに、日影でもないのに、路面の一部が凍って、キラキラと輝いていた。
《パレードの見物に来た誰かが、なんか食べてて、ドライアイスでも、こぼしたのか……?》
そんな些細なことが気になって、バーンはいつまでも、首をひねり続けていた。


だがその三年後、氷の総帥に出会ったバーンは、残念なことに、この事件をすっかり忘れ果てていた。なぜ自分の親友が、ヒーローの歌を愛したのか、異邦人などと名乗ったのか、「デモができる連中は幸せだ」と皮肉めいた口調でいったのか、疑問を抱き続けることができていたなら、新たな悲劇が幕をあけることなど、なかったはずで――。


(*作中の曲は、David Bowie 「heroes」(1977)の一部を、作者が意訳したものです)


(2012.10脱稿・零式さん主宰「PSYCHIC PARTY2012!」用書き下ろし)

《サイキックフォース》パロディのページへ戻る

Written by Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/