『パートナー』


この脱出ルートの先に、自分を狙う狙撃者が二人、高いところで待ちかまえている。
キース・エヴァンズは一瞬迷った。
ルートを変えるか。このまま突破して逃げ切るか。
自分だけが狙われているなら、シェルを装着し、ランスを二本連続で撃てばすむ。
だが、二人目の狙撃者が、自分以外の同志を狙ったらどうする?
彼等の力量でも防ぐことはできようが、バリアガードのタイミングがずれたら?
こういう時、自分と同等の、息のあったパートナーがいたら。
仲間も自分も、余計な危険にさらさずにすむものを――。
そう思った瞬間、ギャン、という微かな音とともに、視界が灰色になった。
世界に色がもどった時、狙撃者の一人はライフルをたたき落とされ、もう一人の狙撃者の方は黄金の大剣で背中を刺し貫かれているのを、キースは見た。
「誰だ!」
フシュン、という音がして、たっぷりした服をまとった長身の東洋人が姿を現した。
長い黒髪を後ろへ払い、丸い眼鏡の縁を押し上げると、男は微笑した。
「リチャード・ウォンと申します。貴方の声が聞こえたので、やってきました」
敵を倒したのは、この超能力者か。
キースの瞳に、もう迷いはなかった。
「我々はすみやかにこの研究所を脱出しなければならない。協力してもらえるだろうか」
「もちろんですとも。ノア総帥、キース・エヴァンズ」
キースとウォン、そして数名の同志たちは、傷ひとつ負うことなく逃げのび、彼らの仮住まいへ戻った。
「助かった。礼をいう、リチャード・ウォン」
「ありがたき幸せ、というべきでしょうか」
キースはあらためて、窮地を救ってくれた男を見つめた。
いかにも東洋人らしい、謎めいた微笑をうかべている。
心が読めない。こちらのテレパシーをブロックしている。自分とほぼ同じか、自分以上のサイキックをもっている、ということだ。
さて、どうする。
この男が、軍研究所側のスパイである可能性も、なくはない。
あの登場は、あまりにもタイミングがよすぎた。
この男をひきいれた結果、この仮住まいを捨てなければならなくなるかもしれない。
しかし、キースは直感的に、この男はスパイではないと感じていた。
狙いはわからないが、人に使われることをよしとしない男に見えた。むしろ人を支配しようとする側だろうと。
まだ十七だが、キースは修羅場をくぐってきている。それを今まで生きのびてこられたのは、本能的な勘によるものだった。幸いにしてそれは、外れたことがなかった。
まあ、まずは話をきくことだ、と、二人は同じテーブルにつく。
「本題に入ろう。どうして君は、ここへやってきた」
「最初に申し上げたとおり、貴方のテレパシー放送をきいたからです。同志よ、ノアへ集え、という声を」
キースはアイスブルーの瞳を細めた。
「君は優れた超能力者のようだ。同志が必要なほど困っているようには、見えないのだが」
金糸銀糸をふんだんに使った趣味のよくない服装をしているが、靴ひとつとっても、金がかかっているのがよくわかる。この男は、外見年齢にふさわしい、いや、それ以上の社会的地位をえているはずだ。
リチャード・ウォンは、細い瞳をわずかに開き、
「私は自分の能力を、今よりさらに高めたいと考えています。軍の研究所には、サイキッカーの茫大なデータが蓄積されており、増幅装置なども開発されているとききます。私は以前から、その情報に興味をもっていました。私の目的は、貴方の目的と、一致する部分があるのでは?」
「私の目的は、サイキッカーの理想郷をつくることだ」
「承知しておりますよ。この私が、資金の一部を提供しましょう。このような慎ましい隠れ家でなく、多くの超能力者を収容できる施設をつくらねばなりません。軍の直接攻撃をさけられるよう、できれば地下に、秘密基地を」
それはキースも、前々から考えていたことだった。
だが。
指を組み合わせ、顎をおくと、キースは挑戦的な眼差しをウォンに向けた。
「そして君が、ノアの総帥となるのだな。年齢的にも、私のような若造より、ふさわしいわけだが」
ウォンは眉をあげ、わざとらしく首をふった。
「いえいえ、そんなことを望んできたのではありません。純粋な組織のリーダーは、純粋な青年がふさわしいもの。私のような怪しげな東洋人が前にたっては、警戒する者もでるでしょうし」
「怪しげとは思わないが」
そういいながら、キース自身がウォンへの警戒をとけない。
「私にまかせていただければ、一ヶ月で準備をしましょう。もっと早いほうがよろしければ、ご要望にお応えしますよ」
「たしかに、早いほうがいいことは事実だが」
「危険をおかして研究所を襲い、増幅装置やデータを奪取しているのに、奪い返されてはたまらないでしょう? 安全な保管場所をつくることです。テレパシー放送を遠くまで届けるにも、本格的なバックアップ装置を用意した方が、いいはずです」
「君のいうことはもっともだ。だが」
「貴方は次は、どこの研究所を襲撃するご予定ですか。スケジュールをあわせましょう。イギリスの次はドイツ? それともロシアでしょうか」
「君はなんでも知っているようだな」
「いいえ。貴方の心は読めませんから」
リチャード・ウォンは、ふと寂しげな表情を見せ、
「すぐに信じていただけないのは仕方ありませんが、そこまで心に、しっかりと鎧をつけられますと……私はいつでも貴方の味方、などというつもりはありません。ただ、できれば共闘したい、と申し出ているだけなのですが」
「気にするな。私の心は氷でできているといわれ、それをとかしたものは誰もいない」
「とんでもない。じゅうぶんに熱い心をもってらっしゃいますよ」
「なぜそう思う」
「最初に申し上げました。貴方の声を聞いたのです。同志を救いたいという強い思いは、苦しいほどに伝わってきましたよ」
「共感した、というのか?」
「私も幼い頃は、虐げられる側の人間でした。何の罪もないサイキッカーが犠牲になるような暴力的な社会が、正しいとは思えませんね」
一瞬だけ、ウォンの瞳が大きく開いた。
その瞳の奥に、昏く青い炎がゆらめいている。
一方的な暴力への憎悪は嘘でない、とキースは判断した。
「わかった。利害が一致するというなら、君の援助を受けることにしよう」
「では私も、本日から秘密結社ノアの一員、ということで、よろしいのでしょうか」
「ノアはそんなに大げさなものではない。助けを求めにきたものは、基本的に誰でも受け入れるつもりでいる。聖書の方舟よりも窮屈だが」
「でしたら私も、貴方に助けを求めるべきでしたね」
「いや、それはいい。さっきもいったが、助かった。力のある同志がきてくれるのは、正直、ありがたい」
「お誉めにあずかり、光栄です」
「同志となるなら、かたくるしい言葉遣いなど、必要ないぞ」
「いえいえ、それはいけませんよ、キース様。貴方は総帥なのですから、私は敬意を表さなければ」
キース様、という呼びかけに、揶揄の響きを感じたが、あくまで黒幕として動きたいという申し出である。我慢することにした。
「わかった。では今夜、君が休む場所を用意しよう」
「帰る場所には、困っておりません」
「だが、命の恩人を、そのまま帰すわけにもいかないだろう」
「おおげさですねえ。キース様だけなら、あそこから何の苦もなく脱出できたでしょう」
「私だけ、ならな」
「そうですね。貴方だけなら、ですね。貴方はそういう人です。その優しさが、貴方の命とりにならなければよいのですが」
キースは苦笑した。
「そういう時は、ふたたび君が颯爽と現れて、助けてくれるのではないのか?」
ウォンは微笑で応えた。
「私の能力も、まだ完全ではありませんから」
「君の能力は……時間を操ることか?」
「ご明察のとおりです」
「あの大剣もか」
「自分の速度を変えるだけでなく、自分以外の元素を空中へ固定することができます」
「実に見事なものだった」
「貴方の力も、いずれ拝見したいものです。氷の総帥の実力を」
「見せびらかすものでもないが、共に戦うというなら、いずれ見ることになるだろう」
「そうですね。では、これから休む場所をお知らせください」
「その前に夕食だ。口にあわないかもしれないが、滋養のあるものを用意している。食べていって欲しい」
「ああ、お若い方は、空腹のままでは眠れませんか」
「私はいい。しかし君のその巨体、その能力では、食べないわけにはいかないだろう」
ウォンは含むように笑った。
「では、いただきます。が、自白剤などは混ぜないでくださいね。私は、そういう薬物がきかない身体ではありますが。ある程度の毒にも耐性があります」
キースは低く呻いた。
「君もずいぶん、苦労してきたようだな」
「キース様もご同様とお見受けします」
「私はそこまでのことはない」
キースは立ち上がり、食堂へウォンを誘った。
短いマントの背中を、無防備に見せる。
それは君を信頼する、という、キースの無言の意思表示だった。
ウォンは細い目をさらに細め、好ましげに若い総帥の背中を見つめた。
かなりの能力の持ち主だ。これは使える青年だ。
せいぜい利用させてもらおう、と。

★      ★      ★

「あ、あんっ……ねえ、ちょうだい、もっと」
若い肢体が快楽に跳ねる。
「ウォン、イイっ、イイの! 中でたっぷり出してえ」
「もう我慢がききませんか。もっと気持ちよくしてあげますよ?」
「いやっ、もうだめ。いかせて、はやく、いかえてぇ……」
ウォンは巧みに腰をつかって、相手を昇天させた。
みっともない悲鳴をあげて何度も達すると、死んだようにぐったりとなる。
その恍惚の表情と内部の反応をたしかめてから、ウォンは身体を離し、ゴムをはずして始末した。
今宵の相手は、貿易会社社長としての仕事関係の一人である。
若い男だが、しっかりとたらしこんである、もうウォンのいいなりだ。
具合も悪くないので、ウォンの方も、楽しんでいないことはない。
しかし、心は熱くならない。
ふと、一人の青年の顔が脳裏に浮かぶ。
キース・エヴァンズ。氷の総帥。
あの尊大な青年が、「もっと頂戴」とか「早く達かせて」などと、似合わない台詞を吐く夜はあるのだろうか?
乱れすぎるのも興ざめだが、感極まった時に、可愛いおねだりをするぐらいのことは、そろそろしても、いい頃のはずなのに。
実はウォンは、キースをすでに何回も抱いていた。
秘密基地が完成してから一ヶ月後。キースの書斎で今後の打ち合わせをしていたウォンは、ふと、相手の瞳にすいこまれるような心地になった。
思わず、そのまま口唇を奪ってしまった。
なぜかキースは、拒まなかった。
かすかな戸惑いを見せたものの、ウォンの口づけに応えた。
この年齢だ、初めてだとしても、犯されることの危険性はわかっているはず。
そうでなくとも、抱かれるというのは、相手を信頼していなければできない。
性欲は旺盛な年頃だろうが、そういう遊びに慣れているようにも見えない。真面目すぎるほどの性格は、会う前から知っていた。
その清潔な青年が、わずかに緊張しながら、自分の愛撫に応えようとしている。
ウォンの瞳は潤んだ。
貴方の甘い声がききたい。
責務にこりかたまった身体を、ほぐしたい。
氷の心を、とかしたい――。

キースの身体は、確かに応えた。
声こそあげなかったが、下半身は愛撫に反応し、一度ならず達った。
中の反応もよかった、彼が快楽を覚えたのは間違いない。
しかし彼は、その後も心を開いたようには、見えなかった。
氷の鎧はとけなかった。
だが、あまり楽しんでいないような顔をしながら、触れると身体は拒まない。
それなのに、何度抱いても、普段の表情がかわらない、なんて。
ウォンの心は乱れた。
なぜ、させる?
私が欲しいなら、なぜそんなに涼しい顔をしている?
まだ性の喜びになれておらず、求め方を知らないからか。
それとも、収容所で強姦を繰り返され、性行為に嫌悪感があるからか。
だが、それなら抵抗するはずだ。少しでも嫌な顔をするはずだ。
たしかに、誰とする時よりも優しく、気を遣ってキースに触れている。テクニックよりも愛情を重んじる年齢だろうから、大人の抱擁で包み込むようにしている。
それは効果があるようで、キースは抱きしめられると、一瞬、身体の力をぬく。ウォンの胸に、心地よさげに寄り添う。その、懐く幼子のような様子に、ウォンの胸はときめく。暖かくしてあげますね、と囁くと、キースは目を閉じたまま顔をあげる。口唇を吸い上げると、おずおずと応えてくる。
ああ。
愛しい。
愛しくてたまらない。
こんな気持ちは初めてだった。
考えてみれば、今まで他人と肌を重ねたのは、相手を利用するという目的があってのこと。だからこそテクニックを磨けるだけ磨き、ターゲットを虜にしてきた。
しかし、キース・エヴァンズの場合は違う。
もちろん、利用するために近づいたのは事実だ。
だが、虜にするために抱いたのではない。あれは、むしろアクシデントに近いことで。
でも、虜にしたい。今まで抱いた誰よりも、自分に夢中にさせたい。
いや、身をゆるしたということは、もうキースは自分に夢中なのだ。
好きだ、欲しい、ともいわないのは、いう必要を感じていないからだろう。
そういう感情に不慣れにみえる、愛情表現も上手くないタイプなのだ。
ウォンはそう自分にいいきかせるのだが、それはつまり、自分の方がすっかり夢中という証拠で。
「いわせたい、ものですねえ……」
「どうしたの、ウォン。もう一度、する?」
仕事相手の掠れ声に、ウォンはハッと我に返った。
「まだ、満足していませんか?」
「もっと気持ちよくしてあげる、っていったじゃない。それにウォン、まだ、したそうな顔してる。瞳が情欲で濡れてる」
「かないませんねえ、あなたには」
ウォンは相手に覆い被さった。
「続きを欲しがったことを、後悔するかもしれませんよ?」
「壊してもいいよ。ウォンになら壊されてもいい。そんな眼差しで見つめてくれるなら」
「素敵な口説き文句ですね。では、お望みどおり」
新しいゴムをつけて、ウォンは相手を犯す。
身体は再び熱くなっていた。
なぜなら、相手の嬌声をききながら、ウォンが考えていたのは、銀の髪とアイスブルーの瞳の持ち主のことだったから――。

★      ★      ★

「また、抱かれてしまった……」
キースはベッドでひとり目覚め、傍らにウォンの姿がないことを確認すると、ホウ、とため息をつき、乱れた髪をかきあげた。
ウォンがまだここにいたら、自分はどうしていたろう。
うっかり甘えてしまいそうで、怖い。
最初に抱かれた晩、キースはウォンを拒まなかった。
というより、拒めなかった。
殺意さえ感じなければ、身体の力を抜いて余計な抵抗をしない方が怪我をせずにすむ、汚れはあとで洗えばいい、という哀しい知恵を、キースは身につけていた。
しかし、ウォンに対しては、そういうつもりで身をまかせたのではなかった。
ウォンの身体は、あたたかかった。
その瞳は、慈しむ瞳だった。
あいかわらず心は読ませないが、その愛撫は、むしろ清潔と思えるほど、穏やかで丁寧だ。淫らな台詞でいじめるようなこともせず、ひたすらかしづくようにしてくる。
相手を快楽の泉につきおとして溺れされるテクニックを持っているのだろうに、それは決して使わない。
僕のためを思って、愛していますと伝えたくて、抱いているようにしか思えない。
そう、僕は、愛されているんだ――。

キースはずっと、自分を補佐してくれる人材が欲しかった。
リチャード・ウォンは、彼の求めていた有能な右腕になってくれた。
向こうは向こうで企みがあるのだろうが、キースは様々な場面で、大人のウォンに救われた。
それでキースは充分だった。それだけでありがたかった。
つまりウォンに、肉体的なパートナーであることまでは求めていなかった。
その、はずだったのに。
暖かい肌身が、心地よくて。
求められることが、気持ちよくて。
愛しています、と囁かれながら、身体を開かれるのが、たまらなく、よくて。
「なんていやらしいんだ、僕は」
こんな気持ちを知られたら、軽蔑されてしまいそうだ。
精一杯の虚勢をはっていないと、総帥業まで投げ出してしまいそうな気がする。
若いキースは、まだ肉体の喜びにめざめきっていない。
愛されているのが嬉しい、と伝えるだけの心の余裕もない。
むしろ氷の鎧を厚くして、動揺を隠している。
それがウォンに不安を与えていることなど、とうぜん想像していない。
「君の身体はあたたかい、なんていったら、誘っていると思われるんだろうな」
キースは再びため息をついた。
一度ぐらいは、ウォンを拒んだ方がいいのかもしれない。
本気を出せば、拒みきれるか?
今さらな。
優しい愛情と体温でくるまれて、抵抗する術などあるわけはない。
もし、ウォンが無理強いしようとしたのなら、迷わずはねのけられたかもしれない。
しかし、純粋に慕われて悪い気がする人間などいるわけもなく、キースはとりわけ、そういうことに、弱かった。
「愛したいというんだ、愛させておけばいい。向こうが僕の身体に飽きたら、自然に終わることだろう」
キースはそういいきかせ、身体を起こした。
「そうだ、こちらから誘ったりしなければ、いつかは終わる。いつか」
そう呟く自分の顔が青ざめているのに、キースは気づいていない。

昔といっても、ほんのわずかな年月だというのに、そんな初々しい《はじまりの日々》が、この二人にも、あった――。


(2009.12脱稿)

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Written by Narihara Akira
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