2006年



<1月>

 2005年もあっ!!という間にすぎ、2006年が始まりました。去年もいろいろな場所へ行ったり、

新しい出会いがあったりとたくさんの経験が出来た年でした。その中で克服出来たものが

いくつかあり、楽しめるものが増えた1年でした。

ひとつはジェットコースター。

子供の頃乗り物酔いのひどかったせいで今までずっと避けてきました。

それが、去年なぜかふと乗ってみたい、今なら乗れるかもと思い挑戦してみたくなりました。

そしていざ乗ってみると、これが楽しい!!

大人になると乗り物酔いしなくなる、感覚が変わると聞きますが、

楽しめるようになった自分にびっくりしました。

ジェットコースターに乗った数少ない中では怖くて声も出せなかったのですが、

今回「ギャー」っと叫ぶことで怖さが半減することを発見(!?)しました。

年末にはフジヤマに乗りに行くほど絶叫マシーン好きになってしまいました。

もうひとつは食べ物。

これもまた大人になると味覚が変わると言いますが、今まで苦手だったものがおいしく

食べられるようになり、それからは食べず嫌いせずに1回は口にしてみるようになりました。

こんなふうに好きなものや楽しめるものが増えると、なんだか得した気分です。

今年も食わず嫌い、やらず嫌いをせずに、何か1度はやってみる、試してみるという風に

前向きにいろいろな経験を出来たらと思います。        (ゆん)


次は理江さんです!




<2月>
 
 今年もお正月に友達からたくさんの年賀状をもらいました。と言うより、年々もらう

枚数が増えてきました。友達が劇的に増えてきたわけではありません。これまで『年賀メール』

だった友達が、『年賀状』をくれるようになったのです。

その変化の理由は、『結婚』または『出産』です。気づけば私は26歳。

同級生や後輩が結婚・出産ラッシュになっていることも、写真付きの年賀状が増えたことも、

特にめずらしい年代でもないですよね。もともと子ども好きな私は、親戚などで集まると

『子守り担当』になりますが、チビと大騒ぎして遊んでいる私に親戚が『理江も早う産め』と

言いたくなるのも自然なことでしょう。

もっとも、産めと言われて産めるほど子育ては甘くないのでしょうが。

それはさておき、中学のころの親友が、このお正月にママになりました。

彼女は地元にいるのですが、年末が近づくと『いつ帰ってくる?』と必ず連絡をくれ、

彼女が結婚してからも私が帰省するたびに会っている親友です。

去年の暮れにもやはり連絡を取っていたのですが、出産予定日が大みそかだったので

『今年は会うのはムリかもねー』なんて話になっていました。

ところが、実家で寝正月を満喫している私の携帯に彼女からメールが届きました。

『今朝4時半に産まれましたー☆』写真付きです。

寝ぼけたまま時計を見ると午前8時。・・・・・・・・・・・・・・・・ついさっきじゃん!!

て言うか、子ども産んだばっかでメールなんか打てるの!?そんな余裕あんの!?・・・・・

見事にすっきり目が覚めました。おそるおそるお祝いの返事を返すと、

せっかく私が地元にいる間に産まれてくれたから(!)見においでよ、と誘ってくれました。

さすがに産まれた当日には気がひけましたが、東京に戻る日も迫っていたので、

その翌日にお見舞いに行きました。

産まれてやっと丸1日たったばかりの赤ちゃんは、小さなバスタオルにすっぽりくるまって、

まるで自分がママのおなかから出てきたことにまだ気づいていないかのように、

ぐっすりと眠っていました。ママいわく、ほとんど寝っぱなしの『眠り姫』で、

目を開けているところもまだあまり見ていないとのこと。

そんなわけで、ちょっとだけ抱っこさせてもらってからは、大仕事を終えた彼女と

近況を話しながら、すこやかに眠る赤ちゃんをずっと見ていました。

すると、眠りながらもときどき眉をしかめてみたり、かすかに笑ってみたり、

口をもぐもぐさせたりしています。

『今どんな夢を見てるんだろうね』と言いながら、こちらも自然と顔がほころんでしまいました。

どうして子どもは、そこにいるだけでまわりをこんなに幸せにできるんだろうと不思議で

なりませんが、ここ半年ほど疲れ続けていた私は、赤ちゃんの寝顔だけで癒されました。

もうあれから1ヶ月、毎日めまぐるしく成長していることでしょう。

次に会えるのはまたしばらく先の話ですが、とにかく元気に育ってくれることを心から

願ってやみません。

とりあえず、落ち着いたころに『起きているときの写真』を送ってもらおうとは思っていますが(^-^)

 (理江)


☆来月のひとりよがりは福田康恵さんです!康恵さん、よろしくお願いしまーす!!☆





<3月>


 2月の末に、前に住んでいたマンションを引き払い、1日に新しいマンションに引っ越しを

しました。前のマンション、更新をせずに新しい所に引っ越すことになるとは…

ベランダや台所が異常に狭くとても不便だったので、うれしい限りです。収納もなかったので、

本や山のような楽譜を段ボールに入れたまま2年間。やっと本棚を購入し、風にあてることが

できます。前のマンションに長くいるつもりはもともとなかったので、物もそんなに増やしていない

つもりでしたが、引っ越し準備は大変でした。部屋の中にだんだん段ボールが積み上げられ、

足の踏み場もないほど。包んでも包んでも食器は出てくるし…「始めたら終わるから」と手伝いに

きてくれた家族にも励まされ、なんとか無事に終了しました。

新居は新しいHIクッキングヒーターやらセキュリティーなど今までお目にかかったことのないものも

多く、毎日使用説明書を見て四苦八苦。初めてのフローリングに、水滴が落ちるたびに雑巾で

拭きふき…いつまで続くかわかりませんが…

ピアノも広い部屋にお引っ越し。調律もお願いし、さぁ弾くぞ!!!…と気持ちだけ。まだ弾けて

いません。家の段ボールが片づくまでは後回しになりそうです。

さてさて、つらつらと勝手気ままに書いてしまいましたが、学校の方も進級に伴い終了式の

後に教室の引っ越しがあります。使い慣れた机を新しい教室近くまで持っていくのです。

4月からの友だちは…担任は…と心躍る人もいれば、不安で一杯の人もいます。かく言う私も、

期待と不安で一杯ですが…。皆様にも楽しい春になりますように。



来月は廣本くんです。よろしくね〜!!






〈4月〉

 4月…並木道には桜が咲き乱れ、街には暖かな風と春の香りが漂い、自然と表情も優しくなる。

そして微笑みがこぼれる。そんな季節…そう、出会いと始まりの季節です。

学生を卒業して早3年…4年目の春がやってきました。

その間、いろんな人達との出会いがありました。

その中で意外と多かったのが、演劇や芝居をやっている人達、または役者を目指している人達、

いわゆる「役者のたまご」の人達でした。

そんな人達との関係もあって、自分の趣味の中に「演劇観賞」というものが生まれました。

TVドラマでもない、映画でもない、舞台の上で役者たちが時には活力に溢れ、

時には涙を流しながら、舞台裏のスタッフと1つになって目の前の観客にその場1回限りの

演技で感動を与える…そんな世界に魅了されてしまいました。

そして、その中で1つのある劇団と巡り会いました。その劇団は「演劇集団キャラメルボックス」。

今年で劇団が創立して21年目を迎えたという、とても歴史ある劇団です。

今の僕の楽しみの1つは、このキャラメルの作品を全部観る…というのは無理かもしれませんが、

1つでも多く観たい!!という事で、友人からビデオやDVDを借りたりなどしては時間のある時に

よく観ています。

そして、今までこの劇団の作品を生(劇場)で観たことはなかったのですが、昨年の年末、

20周年公演を初めて観に行くことが出来ました!!

その公演の作品は『クロノス/CHRONOS』。今回はある原作をもとに作られていました。

それは、あの「黄泉がえり」の原作者、梶尾真治さんの『クロノス・ジョウンターの伝説』で、

この本は昨年公開された「この胸いっぱいの愛を」の映画化原作でもあります。

この『クロノス・ジョウンターの伝説』は3つの小説から構成されていて、その1つ目の

「吹原和彦の軌跡」を舞台化したものでした。

『もしも過去に跳ぶことが出来たら』…そう、この話はタイムトラベルものです。

『もしも過去に跳ぶことが出来たら』…あなたならどうしますか?

もしも過去に跳ぶことが出来たら、人生をやり直すことが出来るかもしれない。もしも過去に

跳ぶことが出来たら、すでに滅びたものをもう一度この瞳で見ることが出来るかもしれない。

もしも過去に跳ぶことが出来たら、知らない時代へ行って歴史をこの身体で体感し、

変えられないはずの過去を変えられるかもしれない。もしも過去に跳ぶことが出来たら、

事故で亡くなった愛する人を救いに行けるかもしれない。もしも…

誰もが一度は考えたことがある『もしも…』。

そのもしもが現実となる、ある機械が開発されます。物質を過去に送り出すことが出来る機械

『クロノスジョウンター』。「クロノス=時の神」の名を持つその機械を使って、吹原和彦は事故で

亡くなった一人の女性を救うために過去へ跳びます。しかし失敗し、しかも戻ってくる時は

出発した時間よりもずっと先の未来に跳ばされてしまうんです。まるで時の流れを逆行した者に、

時の神が罰を与えているかのように。それでもまた過去へ跳ぶ…彼女を救うために。

吹原和彦の永く、そして短い自分との戦いと、時の神への挑戦が始まります。

物質過去射出装置が一人の男を過去へ飛ばす。伝えられなかった、一つの想いを運んで…。

この作品を観終わった時、もちろん大感動し涙したのですが、それと同時に時というものが持つ

残酷さや薄情さ、流れに逆らうからにはそれなりの代償が待っているということ…

すなわち何かを得るためには何かを失うということ。そして何かを失えば何かを得ることが出来る

ということ。そんな自然の摂理を学んだ気がします。でもそんな無情な時の中にも優しい時間は

必ずある。その優しさを求めて誰もが毎日を生きているのかな…と思いました。

吹原和彦、自分の人生を捨ててでも愛する人を救いに行く…ちょっとカッコ良すぎました。

今の世の中、タイムマシンなんてものは存在しません。いや、きっとそんなものは永遠に

開発されないのかもしれません。時の流れは誰にも止められないし、人は前を見て歩いていくしか

ないんです。でも命をかけた想いや願いはもしかしたら時を越えることが出来るのかもしれない…

それはまさに奇跡と呼ばれるものなのかもしれません。

4月、出会いと始まりの季節…今日もどこかでそんな奇跡との出会いが、そしてまた

新たな一日が始まります。それぞれの想いを乗せて…。
(裕司)






<5月>

 ワケあってこの3年間に2回引っ越しをした。最初は半年、次はちょうど3年だったが、

移動があることは最初から予定されていたので荷物は最小限で暮らすつもりでいた。

ところが、たかが半年の間にしっかりと「物」が増えているではないか!次の3年間はさらに

増えたこと増えたこと…。子供の成長に合わせて出てきた、不用品。片付け時だから捨てる

つもりでいた物…etc。リサイクルセンターに車で3回分、200s以上のガラクタを運んだのだった。

 2回目の引っ越しで最初の家に戻ったのだが、もともとあった家財は全部持っていかなくても

引っ越し先では充分暮らせた。ということは、それらは「なくてもいい物」だったのかな??

と素朴な疑問を感じている。

 今もって家の片付けに追われた生活をしているが、ふと疲れた心の片付けを思った。

悲しいこと、忘れたいこと、思い出したくないこと…。ゴミ箱にポイもできず、リサイクルセンターでも

引き取ってはくれない。でも食事もノドに通らないような思いをした時も、そのうちおなかはすく

ようになって、気付くと心の痛みは少しずつ癒えていた。渦中にいる時は「もういっぱい!

これまで!」と思ったのに。片付け方がわからなくなると簡単にパニックになるけれど、

案外心の中の戸棚は広いのかもしれない。捨てることのできない色々な思いは、次の新しい

出会いのためのやさしさになっていくのだろうと確信している。「今にきっといいことあるわよ」と

手のかかる息子が小さかった頃津守房江先生によく言われた。まさにその通り。息子たちの成長を

通して私にも目指す道や仲間ができたのだから。

 さあ、今日は片付けるには打ってつけのいい天気。エプロンかけておそうじ、おそうじ!! (M.K)





<6月>

 今、おなかの中に小さな命がいます。

母親になるのだ!という自覚は全くといってよいほどなく、ただただ日々のからだの変化に

とまどうばかりです。

知識の上ではどう変化していくかというのはある程度わかっていたつもりでしたが、

いざ自分の身の上に起きると、今までとは明らかに、意思とは関係なく変化していく自分に

恐れすら感じます。

自分なのに自分ではないような不思議な感じです。考えてみればもう一人いるのですから当たり前

なのでしょうが、そのもう一人のために自分のからだ、感覚、気持ちが自動的に変化していくことが

本当に不思議です。

大げさかもしれませんが、私という生命体のすべてがその命のために組織変換していっているようです。

このようなことがこだいから繰り返されてきているのだと思うと、もはやSFの世界です。

生命というのは、本当に不思議で、神秘的だなぁと純粋に感動している今日この頃です。(なおこ)
                                       



〈7月〉

 7月に入り、いよいよ夏も本番といった感じでしょうか?でも今年は梅雨明けも遅いようで、

不安定な天気ばかりですね。

世間ではもうすぐ夏休み!…とはいっても、学生でない今となってはそんなものとは無縁な今日この頃です。

でも、この時期になるとなぜだか心がワクワクしてしまう自分がいます。そう、はっきり言って僕は夏が好きです。

夏と言えば!…いろいろありますよね〜海やプールに花火大会、お祭りに団扇を持った浴衣姿のお姉様たち、

枝豆に冷えたビール(お酒は20歳になってから♪)、冷し中華にそうめんにかき氷、サザンにチューブ、

お盆に高校野球に肝だめし、蝉やクワガタ捕りになぜか終わらない夏休みの宿題etc…。

中学3年生の夏休み、友達5〜6人と海へ行った思い出があります。

ちょうど高校受験を控えていたので、今年の夏は皆で遊ぼう!という事で、自転車で20〜30分ぐらいかけて

行きました。着いてすぐに海に飛び込み、ビーチバレーやサッカー、野球などで盛り上がりました。

そんな時に誰かが、『落とし穴を掘ろうぜ!』と言い出し、やろうやろうという事で、皆で作り始めました。

どうせ作るからにはでっかいのをと思い、かなり深く掘り(大人の胸ぐらい!?)、

その上に枝やビニール袋を敷き詰めて、その上に砂を戻してかなり本格的な落とし穴を作り上げました。

そして僕たちは海の沖の方でターゲットを待機中…。

来ましたっ!若い男女のカップルがっっ!そして見事に男性の方が落とし穴にっっっ!

僕たちは腹を抱えて笑い転げたのを覚えています。なんて嫌なクソガキどもだったのでしょうか!?

あの時のお兄さんごめんなさいm(__)mでもあなたのお陰で忘れられない思い出が一つ出来たんです。

本当にありがとう♪

これも僕にとっては立派な!?青春の一ページです。

そう、自分の中で『夏=青春』みたいな感覚があって、そんな青臭い物事が実は大好きなんです。

毎日遅くまで部活に明け暮れた日々、ギラギラと輝く太陽の下で、汗と泥にまみれながら夢に向かって

仲間たちと駆け抜けた夏、最後の大会、ラストシュート、試合終了のホイッスル、決められなかったゴール、

涙がこぼれた最後の夏…青春です。

そんな思い出の詰まった夏が今年もやってきます
(裕司)



次は康恵さんです!かなり遅れてしまいました。スイマセン。後よろしくお願いします!






<8月>

 公開学習会も終わり、待ちにまった夏休みがやってきました。ここ数年、夏休みになるとリフレッシュ旅行にでかけます。

今年はなぜか、北海道。それも5月に仕事で行ったばかりなのに…。数回仕事(生徒と一緒に)で小樽・札幌など道央方面に

行っているので、道東方面にしよう!ということになりました。たまたま見ていた旅行番組で道東が取り上げられ、とっても

素敵なホテルがあって、“ここだ!!!!”と思ってしまいました。こんな感じで、全く計画性がないのですが、無事にホテルも

飛行機も予約でき、楽しみにしていたのです。


旅行前日、突然左手薬指が腫れて激痛が走り、なんだこれは!と思いながら、とりあえず湿布を貼って様子をみました。

時間の経過と共に痛みはひどくなり、湿布をはがしてみると、更に腫れ上がり、かなり太めのウィンナーのよう…。

さすがに焦って、病院へ。レントゲンを撮ると、関節に小さなかたまりが写っていました。診断は「偽痛風」。

症状は痛風に似ているようですが、原因が違うそうです。炎症止めをもらい、様子をみることになりました。

そんなこんなで、ガイドブックを見ながら、翌日からの旅行に想いを馳せる余裕もなく前日が過ぎてしまいました。


いよいよ出発。帯広空港から富良野方面へ。ラベンダーもしっかり咲いていてくれました。お天気もよく、広大な風景を

見ながらのドライブもなかなかのものでした。宿は天人峡という秘湯?。宿のすぐ裏には川が流れていて、

とても涼しく北海道に来たな〜という感じ。そして、いい温泉でリラックス。クーラーが無かったので、窓を少し開けて眠ると、

夜中にすごい雷。バリバリ…ピシピシ…ガラガラ…とすごい音がしていました。


翌日、宿の裏の川は、濁流・激流で、昨日の風情はどこへやら。一晩で自然は全く違う顔を見せるものです。

2日目は移動距離が長いので、早めの出発。大雨警報が出るなか、中標津までほぼ1日車の移動となりました。

宿は夕食後、天然記念物のシマフクロウが部屋の外の池の魚を捕りにきました。部屋の電気を消し、静かに1時間以上

観察をしていました。羽を広げると180cm程もあるそうで、おっとりしたフクロウのイメージが一掃されました。


3日目も雨。納沙布岬を見にいったのですが、霧がかかって全く見えず。海も大荒れでした。北方領土返還の看板が

あちこちにたち、ここではとても身近な問題なんだなぁと改めて感じました。頭で知っているのと、肌で感じるのは全く

違うものですね。そして、一目惚れしたホテルへ。大人の雰囲気の風情ある宿でした。食事も土地のものを使った

素晴らしいものでした。翌日は帰る日。もう1日泊まりたかった…。


4日目、待望の晴れ。釧路湿原に向かうと、久しぶりの青空。展望広場に出ると、「丹頂が見えますよ〜」とガイドの方の声。

(本当は丹頂鶴ではなく、丹頂と呼ぶんだそうです。)2羽見ることができました。レンタカーを返す時間が近づき、

急いで釧路空港へ。途中でしっかりお土産を購入し、予定時間に滑り込みました。空港の待合いでは、高校野球の決勝戦。

駒大苫小牧の応援に、盛り上がっていました。
4日間の内半分は雨でしたが、土地の名産を満喫し、温泉につかり、

心に栄養をあげられた旅行でした。走行距離は1000Kmを越え、北海道を走りまくった4日間でした。

来年はどこへ行こうかな。



次回はとしえちゃんです!






<9月>

 最近、『ミクシィ』なるものを始めました。

パソコン関係に疎い私には今イチよく判らないんですが、何というか、ネットワーク上の、

会員制のでっかい掲示板みたいなもの?とでも言うんでしょうか。

知人に招待状をもらい、訳もわからないまま登録してみました。そうすると、そのネットワークに登録している元々の

私の知り合いや友だちが(みんな本名ではなくウェブネームで登録しているにもかかわらず)、

『トシエ見っけ☆』などとメールを送ってくれて、学生時代の友だちと何年ぶりに連絡がとれて

『ずいぶん便利なものがあるんだなぁ・・・』なんて感心してました。

何度かそのページを開いてみたところ、どうやら名前・出身地・現住所その他のプロフィールから友人を検索することが

できるらしく、私の友だちもそれで私を見つけたようです。


ウェブ上で日記をつけたり、友だちの書いた日記を見ることができたり、その日記にコメントをかいたり

(つまり交換日記!?)、何やらいろいろな機能がついているらしいことがだんだん分かってきました。

自分の書いた日記をたくさんの人が見ると思うとちょっと引いてしまいますが、自分のページにどんな人が

アクセスしたのかが全てわかり、アクセスした人のプロフィールも見ることができ、

会員の紹介がないと登録できないシステムなので安心だというのがこのネットワークの良いところみたいです。

確かに、全国に散っている友だちとやりとりができるのは嬉しいんですが、バイト先で週に3日は会っている

友だちからのメールにはちょっと困っています。困るというより、『会ったときに話せばいいのに』と思ってしまうんです。

なんだかなぁ・・・・・。


でもそういう友だちの日記を見ると、なるほど普段とは違うイメージで、ウェブ上の彼らは彼らにとって『もうひとりの自分』

なのかなぁとも思います。そのアイデンティティを守りたいがゆえに、あえて不特定多数の相手に向けて

発信しているのだとしたらその気持ちは理解できる気がします。

普段は明るくてみんなを笑わせてばかりいても、本当は何かに苦しんでいたり、想像もつかないような視点で

ものごとを考えていたりして、それをこっそり誰かに知ってほしい。でも普段の自分のイメージが壊れるのも怖い。

だから違う名前でもうひとりの自分を解放する。・・・そんな感じじゃないかな。


『自分の中のいろいろな面を知ってその矛盾に思い悩む』ことは、誰にだってあることだと思います。

もちろん私にだってしょっちゅうです。『私っていったい何なの?どうしたいの?』みたいな。

だけど、考えて落ち込んで、悩みぬいた果てに、その矛盾が融合されて『自分』というものが見えてくるんじゃないかと

最近思うようになりました。(ちょっとエラそうですか?)『なんだかなぁ・・・』という気持ちは拭えないけれど、

『ミクシィ』を利用しているたくさんの人たちがその中だけで終わるのではなく、もやもやした矛盾を活字にすることで整理して、

新たな自分を受け入れることにつながればいいな〜と思います。
(としえ)


♪来月のひとりよがりはユンちゃんです!よろしくね〜(^▽^)






<10月>

今年の6月のことですが、友達に誘われてピアノのリサイタルに行きました。

ピアニストは李喜芽(イ・ヒア)さん。

韓国ソウル生まれの彼女は両腕の指が二本ずつしかなく、膝下の足もないという先天性の障がいを持っています。

ピアノは指の力を鍛えるために5歳の頃から始めたそうです。

その日のプログラムはショパンのワルツ、愛の夢、カノン、ハンガリー舞曲など有名な曲が多く、

中には連弾やヴァイオリンとの演奏もありました。

また、韓国民謡のアリランにふるさとの弾き語りもありました。

彼女の演奏はほんとに素敵でした。

ピアノの音色はとてもきれいで、そして力強く、全身で音楽を感じ、表現している姿に聴き入って見入ってしまいました。

リサイタルの後半ではショパンの幻想即興曲の演奏がありました。

4本の指でどう弾くのだろうと思っていましたが、始まると同時に胸が熱くなり、涙がこぼれそうになりました。

聴いている私達には計り知れないくらいの努力や想いがあったことでしょう。

この曲を弾きたい!!という強い想いを感じられました。

なんと毎日10時間にも及ぶ練習をしてるそうです。

演奏だけでなく、彼女の人柄にも惹かれました。

曲が終わると「ありがと〜」と客席に向かって手を振るなど、とても可愛らしい女性でした。

音楽への想い、周りの人への感謝の気持ち、自分と向き合って最後まであきらめない気持ちや姿勢を感じられ、

歳の近い彼女からいい刺激を受けました。

またぜひ彼女に会いに行きたいと思います。

(佳奈)





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