<2005年>
MOON CALENDER 1月
「謹賀新年」
初春の みどり 陽だまり 虫踊る
暖かいお正月です。皆様、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。MPT研究会では、本ホームページも一年を迎え、
昨年は初の公開学習会や定例勉強会など充実した一年となりました。
皆様お忙しい中、時間をつくり、前向きに勉強され、実践を積み重ねておられていて
本当に素晴らしいと思いました。私自身大変勉強をさせて頂いたと同時に、
ワークショップ等を通してお互いを感じあう喜び、
そして「知る喜び」を改めて感じることとなりました。
子供たちを真の意味で理解するには、色々な視点を私たちが持っていることが大切です。
今年も「人の成長・音楽・遊び」を三本の柱に、ひとつでも自分の引き出しが増えるよう、
そして仲間と共に試行錯誤しながら少しでも「人間の本質」に近づけるよう、
実り多い年にしたいと願っています。
4月には第2回公開学習会を予定しています。
言語聴覚士の方を講師としてお招きし、発声と身体の関係について皆で考え、
体験できたらと思います。
平日ではありますが春休み中の一日、皆様ふるってご参加下さい。
本年も皆様の幸せとご健康をお祈りいたします。
MOON CALENDER 3月
「ひな祭り」
10数年ぶりでしょうか。久しぶりにお雛さまを出しました。
ぷっくりと子どものような丸い顔に、淡い落ち着いた色合いの着物のお雛さま。
五段飾りの木目込み人形です。三人官女・五人囃子・右大臣・左大臣まで、
私が小さい時に、全て母の手で作られたもの。
文字通り世界にたった一つのお雛さまです。
当時は広島の社宅に住んでおり、客間に堂々と飾られていました。
引越しを繰り返すたびに狭くなる間取りに人形たちは徐々に出番を失っていきました。
度々「処分」の声が上がり、その都度私が「ダメー!」と阻止はしていたものの、
相変わらず押入れにしまわれたまま、ひっそりと年月を過ごしていました。
10年前今のマンションに入った時に一度虫干しをしたままのお雛さまが、
私はずっと気になっていました。
先日母と二人、思い切って箱を開けてみました。
幸いぼんぼりに穴があいていた程度で人形たちは全部無事でした。
一つずつ包みをあけて現れた人形たちを見てびっくり。
「えっ…こんなに小さかったっけ…?」当時はとても立派に見えたのに、
あまりの愛らしさにショックを受けました。
スペースが無いため、お雛とめ雛だけを飾り、後はまた箱に収めました。
ふと横でパンダのように背を丸めて作業をしている母を見て、
その頃痩せてガリガリだったことを思い出しました。
それでも彼女は、私と妹のためにこんな偉業を成し遂げるパワーがあったのです。
ある日自閉症のA君、いつものように一緒に太鼓の即興を楽しんでいる最中、
チラチラとお雛様を横目で見ていました。
すると急に振り返り、あっという間にめ雛の冠に手が伸びました。
きらきらと光るものが大好きな彼の様子を見て予測していたのか、
母親の手が素早くそれを止めました。
「きれいだねぇ、お雛さま。かわいいねぇ、見るだけだよ。ほら、太鼓ドンドン、上手だね。」
とさりげなく、また太鼓に促します。
じっと母親の顔を見ていたA君、母親のことばの裏の想いを読み取り、
また太鼓を叩き始めました。
昨年4月から入所施設に入ったA君、慣れない生活の中、
週末には家に帰れることを納得するまで相当時間がかかりました。
帰宅する度に母親にすり寄ったり、怒られるとわかっていたずらをしたり
ということが見られました。
もう20歳を過ぎたA君ですが、セッション中もわざとバチを投げて母親に怒られ、
「もう、わかっているのにやるんだから」という言葉に「んげげげ」と笑うこともありました。
そんな時も母親は、その行為の奥にある彼の気持ちを察し、
A君も同時に母の想いを察しながらも、きちんと伝えるべきことは伝え合い、
受け止めあう日々を小さな頃から積み重ねてきました。
お互いを想い合う母と子のやりとりは、思わず笑ってしまうほど
温かい空気に満ちているのです。
こんな初春の光景も静かに見守っている母のお雛さまはずっと大切に持っていたいと思います。
MOON CALENDER 4月
「春の学習会」
桜の花が咲き始めた4月4日、我がミュージック・プレイ・セラピィ研究会の第2回公開学習会を
行いました。新学期直前の平日で、あいにく前夜からの雨のため気温も低かったのですが、
23名の方々にご参加いただきました。
当初の予定より少なかったのですが、部屋の大きさと動きの大きさ、
そしてそれぞれの方が思い切りエネルギーを発するのにちょうど良かったと思います。
午前中は藤野先生の「創作わらべうたづくり」。
発音・構音と身体の緊張を説いたヴェルボ・トナル法の理論とそれぞれの発音が口・頭の
どこを使うのかを教えていただきました。
後半は実際の対象者を想定し、絵本をもとに動きながらの歌遊び、
ことば遊びをグループごとにつくりました。ことばとイメージを生かした動きをつけることで、
ことばが生き生きと空間に立ち上がってくるのがわかります。
それぞれのグループの個性が光り、素敵な表現が生まれました。
何より皆で新しいものをつくるって楽しいですよね!
午後はマミ先生のヴォイス・レッスン。呼吸のこと、声、発音、歌と盛りだくさんでした。
特に呼吸や、口の形を意識したアルファベットの発音などを通して、自分の身体なのに知らなかったことや、
使いきれていないことに気づかされました。
意識しながら声を出していくうち、子音の立ち上がりと共に、もう既に気持ちが高揚してきています。
本当に、声・ことば・身体には密接な関係があるんですね。
色々な声のお話をうかがい、マミ先生作曲の「ありがとう」を皆で歌いました。
いつも使っていることばなのに、いつもより「ありがとう」が細胞の隅ずみまでいきわたり、
光を放っているような、不思議な感覚です。
皆の一体感が増すにつれて、涙がこみ上げてきました。
「感動」――― 自分がどんどん浄化されていくようです。音楽の力って本当にすごい!
そして柔らかく、自然にこの状態まで導いてくださったマミ先生の力、それと参加者の皆様の感性も
本当に素晴らしい!今回はたくさんの喜びをお二人の先生にいただきました。
私たちの仕事ではまず自分が楽しいと感じること、幸せになること、それを素直に対象者に伝えることを
忘れてはいけないと思います。
よく言われることですが、本当に全身で音楽をする喜びを伝えられているでしょうか。
音楽をするのも自分、対象者と向き合うのも自分、一番大事なのは、マミ先生のおっしゃっていた
「愛」であり、「I(アイ)」=自分なのですね。
この感動をいつまでも持ち続けたいと思います。
とても素敵な会になりました。
参加者の皆様、講師の先生方、スタッフの皆様、ありがとうございました。
MOON CALENDER 5月
「情熱のタンゴ」
友人、職場の同僚4人でタンゴのコンサートに行った。冴木杏奈さんという、
海外でも活躍しているアーティストで、豊かな声量とエネルギッシュなステージ、
そしてめったに来ない夜の六本木ということもあって、私たちは若干興奮気味だった。
バンドネオン・バイオリン・ピアノ・コントラバスの音色にのって、美しく、悲しく、
語るように歌われるタンゴは、シャンソンや演歌にも通じるところがあるように感じる。
情熱的なその歌詞は、日本語で聴くとちょっと恥ずかしいものもある。
オリジナルの歌詞のもの(スペイン語)も何曲かあったが、驚くほど伝わるものが違う。
特にピアソラの曲では、彼女の声の出し方や身体から発するエネルギーも変わり、圧倒された。
「あ、これが本当だ」とその時強く感じた。
本物のタンゴ―――そもそもタンゴってどこで生まれたんだっけ?という話しになった。
私はバンドネオンの音色と、あの独特な2拍子系のリズムがくればタンゴと思っていた。
調べてみると、タンゴの形態はダンスと歌に始まり、大きな編成のオルケスタから、もっと小ぢんまりした
アンサンブル編成へと移り変わってきた。
発祥はというと、曖昧ではあるが1800年代終わりごろのようである。
港町ブエノスアイレスには様々な国籍の人たちが集まり、それと共に様々な音楽が出会う。
その場末街の下層社会の音楽としてタンゴは生まれたようだ。その後、1910年あたりからパリで
流行したのをきっかけに本場でも見直され、民衆の音楽として認められるようになった。
20世紀に入ってからはサティやストラヴィンスキーなど、様々な作曲家がタンゴの曲を発表している。
それでも本場のアルゼンチン・タンゴというのは何か「匂い」のようなものが違うように思う。
例えば、現在津軽三味線の新しい奏者はたくさんいるが、やはり竹山や吉田兄弟の演奏には
土や風の匂いが感じられるように。更にタンゴにはもっと人間臭い、生々しい感じがするのである。
『例えばエンリケ・サントス・ディセポーロは、タンゴを「踊られるひとつの悲しい思念」と呼んでいる。
一方「タンゴは内向的な、内省的なダンス」と言うのは、アルゼンチンの作家エルネスト・サバトである。
………ちなみにピアソラ自身はタンゴについてこんなことを言っている――
「例えばキャバレーやカフェ、ブエノスアイレスの小道で聞こえる音、それがタンゴの秘密だ」と。』
やはり音楽はそこに住む人や土地、生活と深く結びつき、生まれてきたのでしょう。
(参考・引用;小沼純一著「ピアソラ」河出書房出版社、1997)
MOON CALENDER 6月
「不思議発見」
今日、東京地方は一日雨。風も強く、子どもたちのエネルギーもあって室内は蒸し暑さが
こもっていました。このまま梅雨入りしてしまうのでしょうか…?
昨日行ったファミリーレストランでの出来事;年齢4〜5歳の一人の女の子が
床に這っている小さな虫を見つけ、「虫!虫!ヤダー!」と叫んでいます。
近くの私の席からも見えないくらい小さな虫です。
嫌なら離れればいいのに、女の子はずっと指をさして見ています。「動いてるぅー、ヤダー!」
その傍で緊張した面持ちで見ていた友だちの男の子がいきなり踏み潰そうとすると、
「ダメー、ヤダー!」。お母さんがティッシュで取ろうとすると、「ダメー、虫!イヤー!」。
女の子の見たこともない小さな虫との出会いです。
知らないから怖いけど、興味をそそられるから思わず見てしまう。
ボキャブラリーが少ないから上手く表現できない、子どもの反応を私は面白く見ていました。
まだ経験の少ない小さな子にとって世の中は不思議がいっぱい。
―――葉っぱはなぜ赤くなるの? 雨はどこから来るの?―――3歳位になると、
「これは何?」「なんで?」と質問が多くなります。
それは知りたいという欲求と“感動”の表現なのだと河合隼雄の本で読んだことがあります。
不思議に思ったその中に(特に自然の中に)、人間の力ではどうにもならない何か偉大な力を
感じとっているのです。
「神様がね」と説明する人もいるでしょう。
いずれにしてもその大きな存在を“知る”ことが大切なのだといいます。
人間が“絶対”なのではなく、その存在を感じ、畏れることで、人間は謙虚になれるのでしょう。
命を大事にしない事件が多いことを考えると、今こういう体験が少ないのではないかとも思えます。
・・・・・・どこから ザァーァ
そらから ザァーァ
泣いているの? ザァーァ
ぼくがいるよ ザァーァ
私が不思議いっぱいの子どもたちの気持ちを想像してつくった遊び歌「あめのおと」です。
この雨の季節にはよく用います。「空に上がった水蒸気が粒になってね、」
なんて説明はこの場合ナンセンス。不思議は不思議のままでとっておきましょう。
いずれその原理は知ることになるのですから。
子どもと一緒に「本当だね、すごいね、どうしてだろうね」と感動を味わいましょう。
MOON CALENDER 8月
「夏の公開学習会」
MPTの第3回公開学習会が終わりました。
今回もキャンセル待ちが出るほどの申し込みがあり、大変感謝をしております。
今回は前回の「BODY&VOICE」のVOL2ということで、
藤野篤子先生、マミ・ブラッドフォード先生の両講師に再びお越しいただきました。
さらに内容が進み、ボリュームもありましたので、
初めてご参加いただいた方々には戸惑うこともあったかと思います。
が、一日目の絵を使った、ことばあそび創り、
二日目のエネルギッシュな歌声を通して、共につくり、共に音楽をする喜びを感じることが
できたことを大変嬉しく思います。
色々な対象の方と向き合うには、まだまだ私も人間的に未熟です。
さらに経験を積み、もっと引き出しを増やし続けていかなければと思いました。
学習会を機会に、参加された皆様ともこれからもずっとつながっていけたらと思います。
参加者の皆様、講師の皆様、そして研究会のスタッフの皆様、本当にありがとうございました。
MOON CALENDER 9月
「夏休み」
2学期が始まりました。
夏休みが明けると、子どもによっては大きな変化が見られることが少なくありません。
何年か前のこと、5才のある子どもが夏休み明け最初のセッションにやってきました。
ニコニコとややハイテンション気味ではありましたが、活動を通して楽しめました。
どちらかといえば、緊張が強く、表情の少ないお子さんでした。
1学期の終わり頃、好きな活動でようやく笑顔が出るようになったところで夏休みとなりました。
お母さんの話では、夏休み中ずっと不機嫌で、怒ったり、騒いだりととても大変だったとのこと。
そう話すお母さんの方がブルーになっていたので、この日の彼の様子はあっけにとられるほど
驚いたとのことです。私も、感情の表現が噴出すように出てきた彼に大きな成長を感じました。
またある子どもは、休みに入り、セッションでやった手遊びの一部(おそらく彼にとって印象的だった)を
なんとなく手を動かしながら、繰り返していたといいます。
それまで自発的な模倣が見られなかったお子さんです。
彼らの中でいったい何が起きたのでしょうか。
見通しのつかない小さな子どもにとって「夏休み」といっても理解は難しく、気持ちの切り替えも大変です。
毎日行っていた療育園に「今日も行かないの?」と徐々に不安になっていったことでしょう。
他のグループでは、わざわざ園の前まで来て、「園はお休み」と確認しに来た子もいたようです。
時間の感覚がつかめていない子どもに「あと何日」と言っても納得はいかず、大好きな先生や友だちに
突然会えなくなってしまったことに寂しさも感じていたのではと思います。
前述の二人のお子さんのこの日の様子を見ると、
療育園での生活がしっかり自分のものになっていたことを感じます。
夏休みがあることで、大人も子どもも見えてくるものがあるのもしれません。
大きく情緒が動くきっかけになったり、1学期に学習したことを心の中、身体の中で思い出しながら
熟成させる時間にもなることがあるのです。
私の場合も、新しいこと、新しい曲など、消化し、自分のものになるまで時間(というか期間)が必要です。
上手に休んで身体にしみ込む時間、あるいは空っぽにする時間をつくり、
メリハリのある生活をしたいと思います。
が、結局次々にやってくる課題が頭から離れず、十分休み切れないまま、
時間が過ぎてしまうことも少なくなく、疲労も残ります。
子どもたちにとっても、ただ詰め込むだけではなく、上手に頭を切り替え、上手に休み、
自分の時間を上手に使える、そういう意味での「ゆとり教育」は、やはり必要なのではと考えます。
「ボディパーカッション」
10月末、我が研究会スタッフNさんの結婚式がありました(おめでとう!)。
先月のカレンダーでお伝えした通り、そのパーティで私たちMPTメンバーはボディパーカッションの
パフォーマンスをすることになりました。
二人のピアニストに連弾をしてもらい、後のメンバーで曲に合わせてボディパーカッションを担当、
タイトルは「Wedding Mozart」です。
モーツァルトの曲の中から抜粋し、つなげてみました。
ただ、私の準備が遅れ、楽譜を手渡せたのは10月に入ってから。
最終構成が固まったのはもう半ばにさしかかっていました。
緊張の練習日、譜面を配った途端に皆の顔つきが変わり、黙々と練習を始めました。
そのうち、自らを叱咤するようにビシバシ叩いている者あり、既に壊れかけている者あり、
床の一点を見つめてひたすら叩き続け、声もかけられない状態の者あり―――――。
「難しい!」「できない!」「ムリ!」などのさわやかなブーイングが降りそそぐ中、
私は「できる、できる。ガンバロ−!」をひたすら繰り返しておりました。
少し前から練習していたピアニスト組からは
「テンポは、テンポは!?」と再三の質問を浴び…。それでもさすが、
当日のリハーサルにはそれぞれの努力の成果が発揮され、部分的にはあやしいところはあるものの、
最後までまとまったものができました。すごいですねぇ。お祝いの席でもあるし、
間違えても楽しくできればいいから、と言っていた本番―――「ゆっくりね。」を主張していた
カウント出し係のRさんの想いはどこへやら、走る走る、よく最後までやり通せたと思う位です。
終了後、「いやぁ、(テンポ上げて)行っちゃってもいいかなーと思って♪」とピアニストの一人、
おっとりMさんがニッコリ。
皆本番に強い!そして本番が一番一体感を持ってできたと思いました。
会場にいた子どもたちも一緒にやりたくて、一生懸命ひざを打ったり手を叩いたりと、
皆で楽しめました。短い練習期間でよくここまでできたと改めて思います。すばらしい!
さて、次回春の学習会では、ボディパーカッションを中心にカラダの音を楽しむ講座を企画しました。
このボディパーカッションの楽しさを是非皆様にもお伝えしたいです!
そしてセラピィの中で採り上げる意味などを皆様と一緒に考え、深めていけたらと思います。
どうぞふるってご参加下さいませ。