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<2004年>



MOON CALENDER 〜月の便り〜 1月


 今年のお正月、東京は天候にも恵まれ、暖かい三が日となりました。

私も元日に、恒例の初詣に出向きました。たくさんのおきつねさんが並ぶこの稲荷神社は、

私の大好きな場所のひとつです。

時折五拍子、七拍子などの太鼓の音が聞こえてくるのも大変心地好く、気に入っています。

 境内脇の七福神で、「一年お世話になりました。ありがとうございました。」と、

神様一人ひとりの身体を丁寧に撫でては手を合わせていらっしゃる方がいました。

お願いばかりをしていた私ははっとし、もう一度参拝し直しました。

感謝の気持ちを忘れてはいけませんね。

そして恒例のおみくじは「末吉」――謙虚に、謙虚に―――。

 今年もたくさんの年賀状をありがとうございました。年賀状を書く人の数は年々減っていると

言われていますが、やはり頂くと嬉しいものです。

 小学校2年生のゆう君(仮称)は、 新しいものや、したことの無い遊びが苦手でした。

今では自分から新しい音を見つけたり、遊びを生み出したり、即興も楽しめるようになりました。

そのゆう君からの賀状には、ドン!と大きな金色の文字で「申」と書かれていました。

筆で書かれた葉書いっぱいのその文字に、彼の健やかな成長を感じ、私は、胸が熱くなりました。

と同時に「文字の力」の強さを感じました。

文字の向こう側にその人が見え、文字と一緒にその人のエネルギーを頂く。

たとえ年賀状だけのやりとりであっても、一年に一度だけでもその人のことを思い出し、考える、

そして私のことを想ってくださったことに感謝する。

単なる紙のやりとりではないのですね、年賀状って。

 音も文字と同じくらい力強く伝えるものを持っています。

心と身体全体に響いてくるのでもっと直接的かもしれません。

ただ音や音楽は、時間と空間の中で消えていき、見えない形で人の中に残ります。

ですから子どもたちとの一瞬一瞬がとてもいとおしいのです。子どもたちの気持ちを聴き逃さず、

これからも音や音楽を通じて、心のやりとりを大切にしていきたいと思います。

 今年はMPT研究会の講習会を夏に予定しています。

皆様と音楽の喜びを分かち合いながら、その中で私が大事に思っていることをお伝えできたら、

そして皆様と一緒に学び、成長してゆく場にできたらと思います。

 本年もどうぞよろしくお願い致します。








MOON CALENDER 〜月の便り〜 3月

 12月に、オペラ歌手になった大学時代の友人が、リサイタルを開きました。

久しぶりに聞く彼女の歌声は、しっとりと豊かで柔らかく、そしてとても自然でした。

訪れた他の何人かの友人たちと私、そして彼女自身のこの約20年という時間を、

大きく包み込み、静かに癒してくれました。

武満徹の「死んだ男の残したものは」では、会場中でハンカチを手にする光景が見られました。

同じ教室で勉強した仲間達それぞれが仕事を持ち、

そして家族を守りながら懸命に過ごしてきたこの月日を想うと、胸が熱くなります。

 3学期末のこの時期は、各施設やセンターで、年度末まとめのケース会議や報告書作成、

卒園文集の原稿書き、そして卒業式と、ひとり一人のこれまでを振り返る機会が多くなります。

走ってばかりいた子がじっと耳を澄ませるようになり、

好きな楽器が増え、

自分で色々な音をつくりながらどんどん世界を広げていくその過程、

少しずつ自分を表現することに自信を持ち、

人とつながる喜びを見出していく施設の利用者の方達、

また動きの激しいお子さんと日々葛藤しているお母様方が、悩みながらもしっかりと、

楽しく子どもと共に歩いて行こうと決意するまでの道のりを考えると、

その“時”そのものがとてもいとおしく感じられます。

歩んできた時間、そしてこれからも頑張っていくだろう未来、

そしてその中にいる人たち全てがいとおしいのです。

私の友人の歌は、全ての人の“時”を受け止め、肯定してくれる、

そんな優しさと力強さがあり、私は感動しました。

そして改めて音楽の持つ力の大きさを感じたのです。

4月に同窓会があります。皆どの様ないとおしい“時”を経てきたのでしょう。

会うのが、今からとても楽しみです。








MOON CALENDER 〜月の便り〜 5月

 「子どものアート」

 新緑の季節、いよいよ新学期が始まりました。

どこの施設や学校でも新しい顔が見られ、なんとなくまだ落ち着かない雰囲気です。

私が月一回、アートティーチャーとして通っている愛育養護学校でも、

新しいお友だちが増えました。

本年度第一回目のアートの時間は、美術担当の先生と日が重なり、

一緒に場をつくることになりました。

毎回、自由に集まった子どもたちで活動をするこの時間、この日も絵の具や紙、

そして楽器などを用意して待っていました。

ひとりの子が、画用紙いっぱいに青い絵の具を広げたのをきっかけに、

そこにいた何人かの子供たちが次々に覗き込んだり、筆を持ち始めました。

私は、子どもたちの筆の動きに合わせて即興でピアノを弾いたり、

ピンクと黄色で紙一面に点々を描いている子どもの為に春の曲を弾いたりしていました。

周りでは先生と一緒に歌いながら見ていたり、先生の背中に負ぶわれ、

高い所から空間に広がる音と色を楽しんでいる子がいます。

皆の描いている様子をチラチラ見ながらも、T君は楽器の探索に余念がありません。

皆それぞれの活動ながら、ふわっと一つの場ができている、愛育ならではの光景です。

 新入生のK君、「きいろ、きいろ、」と大きな弓形の絵を描きます。

「おいしそうなバナナだね。」と傍にいる先生にほめられ、嬉しそうです。

そのうち濁ってきた水のせいで、パレットの黄色がだんだんモスグリーンになってきました。

さあ、たいへん、彼の表情がみるみる曇り、「あー!」と声を上げ始めています。

私はあわてて「こ、この色の果物なんだっけ!?梨かなぁ?キウイかなぁ?」と

方向転換を図りました。

しばらくして彼は紙に大きな丸いものをその色で描き、「梨!」と言いました。

私はほっとひと安心。

そしてK君は別の紙に「人」という文字を書き、そこに横線を引いて(大)手を付け、

上に丸(頭)を書き足して人の絵を描きました。

また「中」の字をいくつか書いていたかと思うと、先ほどの梨の絵に大きな「中」の字を

当てはめて描いています。ちゃんと梨の芯のところに中心線がきているのです。

私は本当に驚いてしまいました。

漢字は物の形やイメージから発展したものですが、彼の絵は逆に文字からそのルーツを

探って行くような作業でした。

文字の源に迫りながら、新しい表現を生み出している、とても不思議な行為です。

K君のように子どもの目線のアートや遊びの中に、

深い、真実のようなものが隠れていることがよくあります。

このような場面に出会えることは大変幸せなことです。

子どもって本当に素敵ですよね。

そんなことを思っているうち、 T君はかごの中の楽器を全て探索し尽くしてしまいました。

いつもはお気に入りの楽器が中心の彼ですが、徐々に彼の興味の世界も広がっているようです。

 こんな風に本年度の愛育のアートの日は始まりました。

これから一年、子どもの成長と共にどのように展開していくのか、とても楽しみです。








MOON CALENDER 〜月の便り〜 8月

 
「やわらかな時」

 今日、スーザン・オズボーンのコンサートに行ってきました。

公演のため来日している彼女がチャリティでコンサートを開いてくれたのです。

私がセッションを行っている自主グループの代表の方のお知り合いが、

スーザンと親交深かったことからこの夢のひと時が実現することになりました。

 会場となった養護学校の視聴覚室に観客30人余りという、とても贅沢な空間でした。

スーザンの歌声は柔らかく、大きな存在感がありながら押し付けない、繊細さがありました。

「赤とんぼ」や「浜辺の歌」などの何曲かの日本の歌や、アフリカの歌等、

所々で私たちも一緒に歌わせてもらい、小さな会場に一体感が生まれました。

中には立って踊りだす子もいます。

中国の楽器ヤン・チン(弦を細いスティックで叩いて鳴らす楽器)との即興では、

子どもたちの発する思い思いの声をすべて包み込んでくる優しさがありました。

 目黒の幼児グループのMちゃん、曲が始まる度にお母さんや私に笑顔を向け、

手を叩いて楽しんでいます。

天から降りそそぐような音のヤン・チンの演奏では、身を乗り出して聴いています。

Mちゃんを始め、会場のどの子にも、どの子の身体にも、空間に響くスーザンの歌声や、

ヤン・チンの音、スーザンの温かい雰囲気がしみ込んでいくのがわかります。

彼女の存在そのものが「優しさ」であり、そばにいるだけで癒される大きさがあるのです。

(こういう人に私もなりたい・・・)

 一時間はあっという間でした。終了後、代表の方のはからいで、

スーザンとお話をさせていただく事ができました。

事前に私のことは聞いていたらしく、

「素敵なお仕事ですね。でもあなたの役割は重要ですよ。がんばって。」

と言っていただき、更にCDを4枚も頂いてしまいました。

突然で、感激のあまり泣き出してしまった私の肩を優しく抱きながら、

何度も「わかっていますよ。」と言って下さったスーザンの声が今も心に響いています。

 私にとって忘れることのできない、とても大きな、幸せな出会いでした。








MOON CALENDER 〜月の便り〜 9月


「学習会を終えて」

 8月12、13日の2日間、記念すべき第1回MPT研究会公開学習会を行いました。

参加者の皆様(遠方からも来ていただきました)、ありがとうございました。

スタッフの皆様もお疲れ様でした。

20名余りの小さな会でしたが、おひとりずつお話も伺えて、温かい雰囲気の会となりました。

今後もあまり広げすぎず、参加者の皆様と共に内容をていねいに深めていける、

そんな会にしてゆきたいと思っています。

今回、経験豊かな伊藤先生のお話を伺い、私たちが様々な方と仕事をしていく中で、

“伝える”ことの大切さを改めて痛感いたしました。

感覚的なことや音楽的なことを言語化するのは、容易なことではありません。

私にとっても苦手分野の一つで、ともすると理念的、抽象的になりがちです。

「ことばにする」ことは「形にすること」です。流れ、発展してゆく音楽や人との関わりも、

形にして見せていかないとわからない場合が多いのです。

私たちは、お母様方や保育士、職員、看護士やボランティアなど、

違う立場の方々にわかることばで伝えていく工夫をし、そのための知識や経験を積み重ねて

いかなければなりません。どうわかってもらうかが大事なのですね。 

そしてもうひとつ、私はかねてから「治療する」ということばに違和感がありました。

それは、私が関わっている対象者が障がい児者ということもあり、

「発達の援助」という立場をとってきました(最近は“発達”ということばにも違和感があり、

“成長”と言っておりますが)。

どの子にも生きる力があり、自分で楽しみを見つけながら日々を豊かに過ごしてもらいたいと

思っているからです。

そこにつながる“今”“ここ”に関わりたいのです。

相手が子どもでも、一人の人格と意思を持った人間として関わるとき、

どこまで音楽を“利用して”よいのか――時々考えてしまいます。

そんなとき、伊藤先生の言われた「音楽支援」ということばがとても心に響きました。

最近支援ということばがよく使われるので、周囲の人にもわかりやすいですよね。

このことばに救われ、自分がしていることの後押しをしていただいた感じです。

周囲の人たちを“変える”というより“引き出しを増やして”もらうこと、

そして対象者の方々が、これからの生活を心豊かに送るため今必要なこと、

彼らの本質的な欲求がどこにあるかを感じ取ることが大事なのですね。

答えはいつも子どもたちの中に、そしてそれを感じ取る自分の中にあるのです。

 今回の学習会で、私自身確認できたこと、改めて気付いたこと、

また自分のこれからの課題なども見つけることができました。

「相手を変えたければ、自分が変わらなければならない」という初心に戻り、

できることからひとつずつ、感謝の気持ちを忘れずに、

子どもたちやお母様方のために努力していきたいと思います。







MOON CALENDER 〜月の便り〜 10月

「変わるとき」

 先日、久しぶりに高校時代に通っていた街を歩きました。

とてもお天気の良い穏やかな日で、緑豊かな大学通りを心地好い風に吹かれながら

歩いて行くと、新しいマンションやおしゃれなお店が次々と目に入り、

様変わりした街の様子に時の流れを感じました。

その一方で、高校時代通っていた頃と変わらぬ佇まいでがんばっている

駅前の本屋さんや喫茶店、大学の塀などを見ると、確かに私はここに居たんだなあと

懐かしく思い起こされます。

 思い返せば今年は懐かしい人たちに会う機会が多くありました。高校の同窓会。

20年ぶりに会う友人たちは、皆たくましく、輝いていました。

オルフの夏のセミナーでは留学時代を共に過ごした仲間、

そして来日されていたオルフ研究所のユングマイヤー先生と再会し、パワーをいただきました。

また、亡くなられたピアノの恩師を偲ぶコンサートが9月末に開かれ、

演奏された奥様や当時の門下生の皆様とお会いしました。

私はやっと先生の死を受け入れ、深く先生のことを考える時間を持てました。

道の途中では色々あったけれど皆、私を育んでくれた人たちです。

肢体不自由の養護学校に通うMちゃん、この春中学生になりました。

家の事情で何日か祖母の家に預けられたこともあってか、入学の少し前から家族や親戚、

特にお母さんの話が多くなりました。

環境の変化に伴い、より支えを必要としていたこと、そして不安から、

それまでの確かなつながりを確認していたと想像できます。

そこでセッションでは「おかあさん」の歌の替え歌、

そこから簡単なメロディの即興で歌い合う活動へと発展しました。

彼女の歌う「おかあさん♪」は優しく、本当に呼びかけているようです。

 入所施設で暮らすS君は、この春から仕事に行き始めました。

ある日、散歩に行きたがった彼の様子がいつもと違うことに気付いたスタッフが、

一緒に出かけることにしました。

小学校の時から歩き慣れた散歩道、今はバスで通り過ぎることが多くなってしまった道を、

ゆっくりと歩き、時々立ち止まり、看板などを見上げていたそうです。

(まだあの家あるな)(あんな看板できたんだ)などと思いながら、

前述の私のように何かを感じていたのでしょうか。

小学校時代、入りたくても叶わなかった教会も特別に見学させてもらえたそうで、

満足気な表情でその日帰ってきました。

昼食後のセッションで彼がリクエストした曲は「大きな古時計」。

百年休まずにチクタク時を刻み、自分の生まれる前からあって、

自分のルーツを感じさせるその存在。

S君も「今」を感じながら、大きく変わるときなのでしょう。

人は新しいことに出会う時、常に自分のルーツや通ってきた道を確かめながら、

成長していくのかも知れません。

私の場合、懐かしい風景や人たちとの出会いを通して、過去の自分と向き合うと同時、

今年はMPT 研究会の定期的な活動を始めるなど、新しいことがありました。

学習会やワークショップでは、子どもたちの成長を共に願い、

話し合える多くの仲間との出会いもありました。

加えて、長年の祖母の介護を全うした母が自宅に戻って来ました。

ほぼ直感のみで行動する母と、これからまたちぐはぐな会話をしながらやっていくのでしょう。

もちろん、周りの方々のお力があってのことですが、

自分では意図していなかった自然な、もっと何か大きな力で動かされているようです。

そしてそれらすべてを自然に受け止めている自分がいます。

(トシかなぁ…)私も変わるときなのでしょうか……。

夏休み前、同じ区内に住む中学時代の友人数人と会う機会がありました(俗に言う飲み会)。

今はお店のご主人だったり、体育の先生だったり、お医者さんだったりと職業はばらばらですが、

家族思いの立派なお父さんたちです。

子どもの環境がおかしい、という話から、「自分たちで子どもたちのために何かできないか」

ということに発展しました。

以前から、子どもたちは地域で育てるべきと考えていた私は、勿論大賛成! 

まだ具体的に何も動きはないのですが、

とにかく昔からの友人たちと未来を語るって素敵ですよね。

当HP管理人のりえさんも高校時代からの友人です。

公私共に支えてもらっています。彼女と会うと必ず子どもたちの話になり、

それが私にはとても楽しい時間です(必ずトイレにまつわる話にもなる)。

養護学校の経験が豊かな彼女のおかげで、常に対象者の日常を頭に置いたセッションを

するようになりました。

りえさんとはこれからも、仲間と共に夢をつないでいけたらと思っています。

よろしくね。







MOON CALENDER 〜月の便り〜 11月

すき間「風邪」

 ひゅうひゅうと 鳴る音
     わが身の 内と外

 風邪をひきました。久しぶりに気管支の方まで到達。

小さい頃からのアトピー対策で食事療法を始めてから、ついでに風邪をひくことが少なくなり、

2年前からの鼻うがいで、のどの痛みに留まっていたのに……。

台風が多いせいか? いや、やはりここのところの寝不足が原因でしょう。

啄木の言う「木枯らしよりもさびしきその音」は

すき間の無い生活のスキを衝かれたという感じです。

すき間(ゆとり)があるというのは、色々目が行き届き、全体を把握できる状態なのでしょう。

 抗生物質ではアレルギー反応が出るものもあるため、気管支炎の時は、

中学時代に自ら発明(?)した自作の簡易吸入器で、対処している器にヴィックスヴェポラップと

薬草を入れてお湯を注ぎ、厚めのビニールをかぶせ、上からひたすら鼻とのどに

その湯気があたるように、シーハーと呼吸をする。

ビニールに顔を突っ込んで、だらだらと汗とおよだを流しながらシーハーするそのあやしい状況は、

子どもの頃から家族に不評を買い、肩身の狭い思いをしてきた。

それでも本人は必死で、今回も「きっと喘息発作の時のTくんはもっと苦しいよねぇ。」

などと思いながらシーハー。

 こういう話をすると、人によって風邪の対処法はあるらしく、行き付けの漢方薬局で

「髪は絶対に洗うな」と言われるし、脚湯がいいと言う人もいれば、

ネギを首に巻く、梅干を貼る、生姜湯を飲む、プロポリス液でうがいをする、

にんにくの黒焼きを食べる、○○茶を飲む、北の空に向かって祈る….etc.

皆様、色々なアドバイスをありがとうございます。

 結局、日頃の不摂生を反省し、暖かくしてゆっくり身体を休めるのがよいようです。

 養護学校の中学部に通う上述のTくんは学校でもらう月のスケジュールを見て、

どの日に行ってどの日に休むかを自分で決めています。

1,2週間続けて出るのは体力が続かないからです。

小学校時代「強くなりたい」と、常に大人に戦いごっこを挑んできた彼でした。

今は自分のありのままを受け止め、学校生活を楽しむために、上手に休んでいます。

こんな自立した中学生を見たことがありません。りっぱですねぇ。

自分の身体とのつき合い方も、「自分を知る」ことの一つとして大事なことですね。

私も見習いたいと思います。

 皆様も季節柄、どうぞご自愛下さいませ。







MOON CALENDER 〜月の便り〜 12月

「変わらぬもの」

 ♪かきねの かきねの まがりかど たきびだ たきびだ おちばたき

 T福祉園のセッションの今月の歌は「たきび」。

何十年と歌い継がれてきた日本の童謡−「もみじ」や「まっかな秋」など、

子どもから高齢の方々まで、楽しめるものがあります。

最近私自身が歌いたいという想いが強く、どこのセッションでも取り入れています。

優しいメロディに、安定したテンポ、ことばが無理なく自然に流れ、

また日本語の響きの優しさや面白さを感じることもあります。

何よりどこか懐かしく、日本人であることを呼び覚ましてくれるようで、ほっと安心します。

T福祉園の利用者の方たちにも小さい時からの馴染みのある曲のせいでしょうか、

皆声がとてもよく出ています。

グループで歌うと、この不思議に私たちが共有できる感覚が集団を結びつけていくのです。

私たち日本人にとって普遍的に楽しみを共有できる財産として、童謡は存在しています。

私の今年亡くなった祖母も、老人クラブの童謡の日をとても楽しみにしていました。

T福祉園のこのグループ、最近ピアノ担当のKさん(今月のひとりよがり執筆者)の弾く

いわゆるクラシック曲を楽しみにしている方が多くなってきました。

今月も「ユーモレスク」「主よ人の望みの喜びよ」などが弾かれました。

特に「主よ〜」ではKさんの母の優しさにあふれたその演奏に、

グループ全体が優しい表情になり、何人かの利用者は、同じように柔らかく身体を

揺らしながら聴き入っている様子が見られました。

セッションではリラクセーションの場面や、

個人演奏の場面でピアノが好きな施設利者の方のために弾いてもらっていました。

それが徐々にグループ内に浸透してきたかたちです。 

何百年も前に書かれた曲を今も私たちが楽しめることは、考えてみればすごいことですね。

楽譜を残してくれた偉大な作曲家たちに感謝をしなければなりません。

楽譜は作曲家からのお手紙として大事に読みとらなければと思います。

 童謡にしてもクラシックの曲にしても変わらずに残り、私たちの心に響き、癒してくれます。

そしてT福祉園のセッションでは、それぞれが自分を表現できるお気に入りの曲や

セラピストとの即興的なやりとり、皆の歌声、支えてくれる人々…

街に流れるクリスマスソングをよそにいつものセッションと変わらぬ光景があり、

その中にそれぞれの少しずつ見えない変化が感じられます。

「くり返しは家である」とG.Orffは言っています。 安心と安定。

――― 変わらぬものを通してこそ変化が生まれるということなのでしょう。

変わらずに私を支え続けていただいている皆様、今年も一年ありがとうございました。

来年の皆様のご健康と幸せをお祈りいたします。







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