■『五竜杯』主催者・工藤 耕一 インタビュー
By Daisuke Kawasaki
2003年2月に神島 要氏が五竜杯をはじめてから、8年半。月に1回というペースで大会を続けたきた五竜杯が、ついに100回目となった。 そこで、2004年の4月に2代目主催者を引き継ぎ、7年間大会を続けてきた工藤 耕一氏に話を聞いてみよう。 ■主催者引き継ぎについて −− 「100回目のトーナメント、おめでとうございます」 工藤 「ありがとうございます」 −− 「さて、普段ですと、まずは大会を始めたきっかけを聞くんですけど……工藤さんは五竜杯の2代目主催者なので、引き継いだきっかけをお話いただきたいと思います。そもそも2代目の主催者に引き継いでいる大会自体が珍しいとは思うのですが……工藤さんは五竜杯開始時からスタッフをされていたのですか?」 工藤 「いえ。五竜杯のスタッフをやるようになったのは、第3回の大会からですね。そもそもは埼玉で開催されていた龍王戦という大会のスタッフをやっていたのですが、その縁もあって手伝うことになりましたね」 |
『五竜杯』100回記念サイコロ |
二代目『五竜杯』主催者、工藤氏 |
−− 「なるほど。さて、2004年4月に、初代主催者である神島さんの就職に伴い、2代目の主催者にバトンタッチされるわけなんですが……結構珍しいですよね、主催者のバトンタッチというのは」 工藤 「そうですね……ウメ(五竜杯HJをつとめることの多いLv3ジャッジの梅咲 直瑛氏のこと)がすごくやる気があって、神島さんもウメに譲ろうという気持ちもあったみたいなんですが、当時、ウメはまだ高校生だったこともあって、僕と二人三脚で主催をやっていくという形で引き継がれることになりましたね」 −− 「そうですね。名目というか、名義としては工藤さんが主催者ですが、五竜杯はふたりが共同で主催している大会、という印象はあります」 工藤 「まぁ、ウメのやる気がすごかったので、気が付いたら、ウメの比重の方が大きくなっちゃってたりはしますけど……」 −− 「HJを梅咲さんがやってることが多い関係もあって、梅咲さんが主催だと思っている参加者も多そうですよね」 工藤 「一応、僕が主催者ですからね!」 ■会場について −− 「さて、五竜杯の会場と言えば、本日開催しているハイライフプラザ板橋と、板橋グリーンホールの2会場がメインの会場ですよね。よく、逆の会場に行ってしまったという話がでることで有名ですが……」 工藤 「たまにあるみたいですね、むしろ、PWCやLMCの方が色々な会場で大会をしているとは思うんですけど、うちの場合は両方とも板橋だってことで、間違えやすいのかもしれませんね」 −− 「ちなみに、どういう感じで会場を使い分けているのですか?スケジュールの問題だったりしますか?」 工藤 「スケジュールの問題、というよりは、収容人数の問題の方が大きいですね。大規模なトーナメントが想定される場合と、そうではない場合は、会場が広すぎてももてあましてしまうだけだったりしますから。そういう形で使い分けています。あと、現在はグリーンホールが改修工事中ですので、しばらくは、ハイライフプラザだけでの開催になるだろうと思います」 |
−− 「うっかり間違える人には安心ですね。さて、今日、会場で様々な人に過去の五竜杯の思い出を聞いたのですが、多くの人が『人が倒れなかったのが奇跡』とか『会場の横のプールに結局入らずじまいだった』といったコメントをくださるのですが……」 工藤 「東板橋体育館時代の話ですね。板橋駅から17分とちょっと距離があった上に、会場内のクーラーがかなり効きにくかったため、いつ人が倒れてもおかしくないという話はありましたね。実際、今、考えても、奇跡だったのではないかと思っています。僕の時代になってから会場を変えたのですが、自分の時代になっておこなった事でも屈指の偉業だったと思いますよ」 −− 「実際、やはり環境の問題もあって会場を変えたのですか?」 工藤 「それもありますが……2003年頃のThe Finals予選あたりで140人という草の根規模では考えられない人数が来てしまって。60人・40人・40人みたい感じで3部屋もともと用意してあったんですけど、そのキャパのギリギリだったので、会場を変えなければならないなと」 −− 「本日も185人のプレイヤーが集まっていますし、近年では100人越えの草の根大会も関東では結構ざらですが、当時だと相当めずらしかったのではないですか?」 工藤 「そうですね。だから、大規模な大会を運営するスキルはうちのスタッフはすごくあると思います」 |
『五竜杯』初期に使われていた会場 東板橋体育館 |
優勝者より、『五竜杯』に贈呈された 『グランプリ北九州2007』優勝トロフィー |
■五竜杯のコンセプト −− 「工藤さんが主催となって約7年が立ちますが、この7年間で印象に残っていることはなんですか?」 工藤 「色々あるんですけど……やっぱり、一番は自分の所の大会に参加して勝っていたプレイヤーが、その後グランプリとか、プロツアーで活躍する姿をみるのは、純粋にうれしいですよね」 −− 「グランプリ北九州で彌永さんが優勝した時に、『ナベ(渡辺)が中嶋さん(PWC主催)にグランプリ京都のトロフィーあげたらしいから、オレはウメにあげるよ』って言ったというエピソードは有名ですもんね。というか、僕はそのとき横にいて聞いていましたけど。そのときに、あぁ、五竜杯の主催者は梅咲さんなんだと、しりましたが」 工藤 「僕ですよ」 −− 「ですよね」 工藤 「彌永や、たとえばあんちゃん(高橋優太)やヤマケン(山本健太郎)とかの話がよくでてきますけど、そもそも、ナベだって、ウチが昔やっていたジュニアリーグって言う子供向けの大会で勝ちすぎていて、もう、大人の大会にでろよ、って言う話で普通に五竜杯にでるようになったプレイヤーですからね」 −− 「その頃から、渡辺さんは強かったですか」 工藤 「強かったですね。ナベともうひとりが強すぎて、そのふたりが優勝しまくってましたね」 −− 「もうひとり?」 工藤 「ライザ(石村信太郎)です」 −− 「あぁ。石村さんも、先日のプロツアーパリでトップ8入賞したりと、活躍されてますね」 工藤 「そうですね。やっぱ、そういう姿を見ると、五竜杯をやってきて良かったなと思うんです」 −− 「五竜杯は、草の根トーナメントの中でもトーナメント指向が強いですよね」 工藤 「えぇ。マジックの大会や、マジックをプレイ出来る場、というよりも『気軽に参加できるトーナメント』というもの自体を提供したいというのが今の五竜杯のコンセプトかもしれません」 −− 「そのあたり、他の関東草の根トーナメントと差別化を図っているところですか」 |
工藤 「どっちがいいとか悪いではないんですけど、中嶋さんのPWCや宮坂さんのLMCは、たとえばポイントレースをやったり、ポイントカードを発行したりと、常連さんを作り、常連さんがコミュニティを作って行くという大会を運営していると思うんです。だったら五竜杯は、逆に、いつ来ても、トーナメントで勝てば賞品を持って帰れる、っていう大会に特化しようかなと思って」 −− 「たしかに言われてみると、PWC勢やLMC勢のように大会に紐付いたプレイヤーがイメージしやすいものですが、五竜杯の場合はそういうプレイヤーってパッと思いつかない所はありますね」 工藤 「もちろん、五竜杯を気に入ってくれて、常連として毎回のように大会に参加してくれる人もいますし、そういう人を大切にしていくのは大事だとは思います。ただ、同じように『気軽に参加できるトーナメント』という環境を提供することも大事だと考えているってことですね」 −− 「コミュニティを提供するのではなく、トーナメントのシステム自体を提供するということですね」 工藤 「店舗のFNMの規模の大会ではちょっと物足りなく感じてきたけど、グランプリのような規模の大会は少ないし、その規模だと参加するのは怖い、っていうプレイヤーに対して競技の場が一定に与えられるというのは必要だと思うんです。うちの賞品システムは勝敗のラインによって分け隔て無くパックがもらえるというシステムで、これは神島さんの時代から続けていることではあるんですが、『競技』として勝たなければいけないし、勝った人は平等に賞品がもらえるべきだという思想の表れですね」 |
現在のメイン会場のひとつ、 ハイライフプラザ板橋 |
−− 「なるほど。たしかに『競技』指向がもっとも高いトーナメントだとは思います。ちなみに、主催の工藤さんはグランプリなどのプレミアイベントを始め、今なお、トーナメントに数多く参加してらっしゃいますよね。結構、主催者はもちろん、ジャッジになったらあまり大会に参加しない、という人も多いかと思うのですが……」 工藤 「マジックが大好きだし、トーナメントが大好きだから、大会を主催したり、ジャッジをはじめたりするんだと思うんですけど、そんな中で僕は『競技をしたい』『マジックをプレイしたい』っていう気持ちが人よりちょっと強かったのかもしれません。だから、自分がプレイするということを辞めるつもりも今のところはないですね。どちらも僕にとっては同じく『マジックが大好きだ』っていう気持ちなので」 −− 「最近はレガシーをよくプレイされてますよね」 工藤 「そうですね」 −− 「五竜杯では、スタンダード以外の大会を開催しないのですか?」 工藤 「PTQなどのシーズンによっては東京プレミアイベントで開催していますが、五竜杯としてはスタンダード以外をやる予定はないですね。過去に、セットの発売からスタンダードリーガルになるのに時間がかかっていた時期などには、非公認の『先取りスタンダード』みたいなこともやったんですが、参加者が減った上に、多くの常連さんから『俺たちは公認のスタンダードがやりたいんだ』という声がありましたので。そもそもの大会のコンセプトからしても、そういう声を大事にしたいと思いますので」 −− 「最後に、100回を迎え、今後にむけてのコメントをお願いいたします」 工藤 「すでに月イチのライフワークのような感じですし、そういう意味で100回というのもただの通過点としての気持ちの方が大きいです。今後も、マジックが続く限りは、僕も『気軽に参加できるトーナメント』をプレイヤーに提供していきたいと思います」 −− 「ありがとうございました」 |
■初代主催者神島 要氏へのインタビュー さらに、会場には、初代主催者の神島氏がスタッフとして駆けつけていた。 神島氏に、五竜杯立ち上げ時の思い出について語ってもらおう。 −− 「さて、そもそも五竜杯を立ち上げようと考えた動機はなんでしたか?」 神島 「埼玉の航空公園という駅の近くで方舟杯という、Lv3ジャッジの若月さんが主催している大会がありまして。会場の都合などがあって箱船杯が継続できなくなるという話になってしまったんですよ」 −− 「その流れで新しい大会を始めようと」 神島 「そうですね。関東で言えば、南の方は横浜や千葉に大会があるのに、埼玉や東京には大会が無くなってしまうし、それはもったいないということで、大学時代に大会を始めることにしましたね」 −− 「板橋という場所になったのはなぜですか?」 神島 「工藤君も語ってくれていることだけど、最初は東板橋体育館という会場で開催されていました。僕はTRPGなどのボードゲームもプレイしているんですが、そのイベントで何回か使われていて、比較的安価に使える会場だということを知っていたんですよね」 −− 「そして、そこでほぼ1年開催されていたと」 神島 「そうですね。その後の就職の絡みで僕が主催を続けられなくなってしまったので、当時まだ若かった工藤君と梅咲君のふたりに押しつけた感じですね」 −− 「押しつけ甲斐はありましたか?」 神島 「そうですね。元々五竜杯は若月さんの影響が強くて、それによってトーナメント指向になっていると思うんですが、梅咲君がアイディアを出して、カバレージやビデオコンテンツといった、より『トーナメント感』を満足させるものを素早く取り入れていったりして、いいトーナメントになっていった部分は大きいと思います」 |
『五竜杯』初代主催者、神島氏 |
第100回記念大会は、185名ものプレイヤーが集まった |
−− 「なるほど。ちなみに、五竜杯という名前はどこからつけた名前なのですか?」 神島 「当時、インベイジョンが発売されたばかりくらいの頃だったと思うんですけど、僕はドラゴンがすごく好きだったので、インベイジョンの3色ドラゴンにちなんだ名前にしようと考えて、5体の竜の大会ということで、五竜杯にしました」 −− 「その名前を引き継いだ大会が、今回、ついに100回まで続きましたが」 神島 「そうですね……きっと、ふたりのモチベーションを考えればそれぐらいの回数は絶対に続くだろうとは思っていましたが、その日になるまで続けられる大会に、いつも開催されている大会とみんなに認識される大会になったってことなんでしょうね」 −− 「ありがとうございました」 |