ゲンゴロウモドキ属について(2010-Dec-30)

モドキとかダマシと名のつく生き物は、数多くいます。つけられてしまった虫にとっては、複雑な気分だと思います。例えば、サソリモドキはサソリの仲間でなく、クモに近い種です。ヒョウモントカゲモドキもトカゲではなく、ヤモリの仲間です。ところが、ゲンゴロウモドキは、れっきとしたゲンゴロウの仲間です。しかしながら、ゲンゴロウモドキ属とゲンゴロウ属(オオゲンゴロウやクロゲンゴロウなど)とでは、分類学的、生態学的にも異なります。ゲンゴロウ属が南方系由来に対して、ゲンゴロウモドキ属は、北方系由来の昆虫です。両属で分布の起源が異なります。

古い文献を読むと、ゲンゴロウモドキの事を「ゲンゴラウダマシ」という記載になっているものが多いです。恐らく、見た人がゲンゴロウと見間違えるほど似ているからだと思います。こう書いている私でさえ、以前は、オオゲンゴロウ、シャープゲンゴロウモドキ、ガムシの区別すら出来ませんでした。(^^;
お年寄りにこのホームページを紹介する際には、「ゲンゴラウダマシの世界」と言えば、通じるかもしれませんね。このホームページのタイトルは、「Dytiscus World」ですが、日本語では、「ゲンゴロウモドキ属の世界」となります。私としては、「ゲンゴロウ魂の世界」という思いを込めてのネーミングです。つまり、ゲンゴロウ類に魂を捧げて接していると言う意味合いをこめています(言い過ぎですね)。

現在、地球上には26種類のゲンゴロウモドキ属(Dytiscus)が報告されております(Roughley, 1990)。大部分が北半球の北方地域に限定されており、北方種として知られています。しかしながら、赤道直下のメキシコやアメリカのフロリダと言ったような暖かい地域にも生息しており、ゲンゴロウモドキ属の進化系統を紐解く、大きなカギを握っているのではないかと思っています。ゲンゴロウモドキ属の形態的特長は、頭部(額)に赤いV字の紋様があります。他のゲンゴロウ類との決定的な違いです。

一般的な生態は、ゲンゴロウ属とほぼ同様に、春から夏にかけて繁殖し、秋口に成虫となります。ただし、シャープゲンゴロウモドキに関しては、後述の通り、特異な生活史を持っています。また、外国には、幼虫期に越冬する唯一の種(シャープゲンゴロウモドキの姉妹種であるD. semisulcatus)もいます。それ以外は、通常、産卵した年に成虫になるような生活史(通称、一年一化)を有しています。
食性に関しては、幼虫期には両生類の幼生(オタマジャクシなど)を主食としているとの報告が多いですが、種によっては、オタマジャクシの豊富な飼育下でも、餓死してしまう種が少なくとも4種知られております(D. harrisii, D. semisulcatus, D. latissimus, D. circumcintus)。これらは、ミノムシのような鞘に入っているCaddis larvae(カワゲラ類の幼虫) をもっぱら捕食しております。当然の事ながら、種、生息地の環境によって、食性、生態が大きく異なります。成虫になるとゲンゴロウと同様、生きた小魚、両生類や節足動物など、器用に前足で掴んで捕食します。国内に生息するゲンゴロウモドキ属は、上記4種のような強い嗜好性は持っておらず、比較的、何でも良く食べる方です。

さて、日本国内のゲンゴロウモドキ属は、現在、3種1亜種知られておりますが(ゲンゴロウモドキ(D. dauricus)、エゾゲンゴロウモドキ(D. marginalis czerskii)、シャープゲンゴロウモドキ(D. sharpi))、今後の分子遺伝学の進歩に伴い、将来、もっと多くの種に分類される可能性が極めて高いです。

シャープゲンゴロウモドキ以外は、すべて、東北北部から北海道に分布しております。シャープゲンゴロウモドキは、原亜種であるアズマゲンゴロウモドキ(D. sharpi)と別亜種である(コゲンゴロウモドキ)に分けられています。両亜種間での違いは、メスの上翅に深くて、長い縦溝があるのが、コゲンゴロウモドキです。アズマゲンゴロウモドキのメスでは、オスと同様、この縦溝が全く無いタイプか、あっても浅く、短いです。オスに関しては、ほとんど判別不可能です。エゾゲンゴロウモドキやゲンゴロウモドキは、現在でも比較的、個体数は多いですが、シャープゲンゴロウモドキ、特にアズマゲンゴロウモドキに関しては、絶滅寸前の状態と思われます。1931年の文献には、「シャープゲンゴラウダマシ、東京に産すれど稀なり、コゲンゴラウダマシ、京都地方に産すれども稀なり」。いかにも古めかしい文章ですが、シャープゲンゴロウモドキの分布は、この時代から知られており、さらに興味深いことは、当時でさえも、希少種として記載されていたことです。日本の高度成長期以降の環境悪化の著しい現代では、本種が生息できる環境は、果たしてどの程度残されているのかと想像してしまいます。

ゲンゴロウモドキ属の国内分布(既に絶滅した地域も含む)
:ゲンゴロウモドキ、エゾゲンゴロウモドキ
:エゾ(キタ)ゲンゴロウモドキ
:コゲンゴロウモドキ
:アズマゲンゴロウモドキ

寒い地域に生息している同属種の中で、シャープゲンゴロウモドキは関東(千葉県)や北陸(石川県など)のような温暖な地域に生息しています。この特徴的な分布の謎に関して、私の一連の研究の中で一部解明されました。すなわち、本種は生活史の一部(受精卵から初令幼虫初期)に温度感受性の高い時期を持っており、それを避けるために早期の交尾、産卵、孵化することで温暖な地域にうまく適応しています(Inoda, 2003)。

また、本種の生殖休眠解除は温度に強く依存し、20℃以下になると交尾行動を誘発すると同時にオスの生殖巣(精巣と附属腺)並びに卵巣が成熟し、12月までに成熟が完了します。さらにメスは、1-2月に8℃以下の低温に暴露されることで初めて卵細胞が成熟します。つまり、いくつかの段階的な温度変化(実験的には、少なくとも2種類)がシャープゲンゴロウモドキの成長及び繁殖には、必要不可欠な要因であることが明らかとなりました(Inoda et al., 2007)。交尾はしたものの、産卵しなかった経験をお持ちのブリーダーは多いと思います。これはまさに、段階的な水温調節のタイミングに失敗した典型例といえるでしょう。
2007年に発表した私共の研究から、シャープゲンゴロウモドキは、昆虫の生殖休眠解除機構おいて、水生甲虫としては温度がその要因であることが世界で最初に発見された昆虫です。また、温度が生殖休眠解除要因である種において、雌雄でその閾値が異なることも、シャープゲンゴロウモドキで初めて見出された極めてユニークな昆虫です。ゲンゴロウモドキ属の「南限種であることが学問的に貴重な昆虫」と言う記述は良く見かけますが、生殖休眠と言う昆虫の生理学的な側面においても、学問的な重要性があることが明らかとなりました。


シャープゲンゴロウモドキの捕食行動に関しては、定量的に行われた研究はこれまでほとんどないため、幼虫期の生息地における生物種を定量的かつ網羅的に調べ、餌候補種を推定してみました。その結果、ヤマアカガエルのオタマジャクシとミズムシが飛びぬけて多く、特に、ヤマアカガエルのオタマジャクシが生息地の幼虫出現時期(3-4月)における優占種であることがわかりました(Inoda et al., 2009)。
そこで、ヤマアカガエル幼生が本種幼虫の餌生物候補種のひとつだと考え、飼育下において、そのポテンシャルを持つか否かを知るために、様々な試験を行いました。その結果、@幼虫のサイズに応じた最適な餌サイズが存在すること、A1頭の幼虫が成虫になるまでに要したオタマジャクシの数は、約300匹、Bヤマアカガエルオタマジャクシだけを餌にして飼育した際の成虫サイズは、ワイルド個体と統計学的に差がなかった。以上のことから、本種幼虫期の餌は、ヤマアカガエルオタマジャクシであることが強く示唆されました。また、ヤマアカガエルオタマジャクシに次いで多かったミズムシだけを餌にして飼育した場合、1-2令までは育ちましたが、3令期間中に全滅しました。ミズムシだけでは餌として不十分だと思われます。これは恐らく、3令幼虫は大食漢のため、1cm足らずのミズムシだけでは成長に必要な養分を効率的に得ることができなかったと考えております。専門用語で言うと、最適摂餌理論により、捕食行動のコストに比べて、得ることのできるエネルギー効率のベネフィットとのバランスが釣り合わないと考えております。ミズムシのような小さな餌を餌とする場合、数多くの餌を捕食しなければなりません。そのためには、多くの一連の捕食行動(探索、捕獲、摂食等)を行う必要があります。そのためには、それに見合うだけのエネルギーを得る必要がありますが、ミズムシを餌にした場合には、そのコストの方が多いのではないかと思われます。

従って、自然下でも、本種幼虫はヤマアカガエルが主要な餌生物であると思われます(Inoda et al., 2009)。残念ながら、本種が生息している千葉県では、本種と同様にヤマアカガエルも重要保護生物に指定されているため、餌生物自体も絶滅に瀕している状況です。シャープゲンゴロウモドキを含めた希少種は、野生から得ることは困難なため、飼育下で大量飼育方法を確立し、実験に供したり、飼育下で生態学、生理学、行動学、遺伝学、系統分類学生化学的等なことを明らかにし、将来の保全に役立てることが重要ではないかと考えております。

シャープゲンゴロウモドキは、ゲンゴロウ属(Cybister)とは異なり、浅い湿地に生息しております。では一体本種はどこに産卵するのでしょうか?
D. validus(コゲンゴロウモドキ)は、ガマの葉に産卵するとの報告はありますが、D. sharpi(シャープゲンゴロウモドキ)はどうなのでしょうか?
ここ10年の間、シャープゲンゴロウモドキの繁殖方法は著しく向上し、半自動的なシステムを用いることで比較的容易に繁殖することができるようになりました(Inoda and Kamimura, 2004)。また、現在では、一部のブリーダーにおいては、本種の特性を生かした画期的なシステムを用いてさらに簡便な方法で大量の幼虫飼育を行っております(Inoda, unpublished)。こういった飼育を行う以前の問題として、いかにたくさんの元気な卵を得るかがその年の繁殖成果に直接つながることになります。コゲンゴロウモドキにおいては、野外でセリに産卵していることを確認したため、飼育下においてセリを産卵植物として試したところ、産卵し、正常発生したことから、セリが本種の重要な産卵植物ではないかと報告しました。(猪田・都築、1999)。インターネット等ではシャープゲンゴロウモドキの産卵植物にセリを使うのが一般的に知られておりますが、実は我々が最初に見出したことでした。しかしながら、生息地の産卵時期にはセリ以外の水草も知られているし、セリ以外の植物にも産卵することが報告されていました。よく見かける生態学の研究例として、○○に産卵する、○○を捕食するなどの記載を論文中に数多く見ることができます。しかしながら、本当にこれで良いのでしょうか?
本質的な問題として、産卵する目的はたくさんの子孫を後世に残すことです。「○○に産卵する」だけでなく、産卵することと同時に孵化率が高くないことには、たくさんの子孫を残すことができません。もちろん、産卵基質や餌種だけの一覧表を作ることも大変重要なことですが、生物は必ずしも最適な場所に産卵するとは限りません。特に希少種においては、最適な環境がなくなった結果、やむなく産卵している可能性が大いにあります。個体数が激減する前の環境を知ることが重要ですが、今となっては時遅しです。同様に、餌生物についても捕食しているから餌生物と断定するのはおかしな話です。特に成長期にある幼虫においては、立派な成虫になることが必要です。食べてきちんと成長することを確認して初めて餌生物としてのポテンシャルを持つと示唆されます。特に飼育下において、全く栄養にならない餌を捕食することもあります。サイエンスとは、一覧表だけを作るのではなく、当たり前のことですが、その本質(産卵植物や餌の意義)を明確に見極めることが重要です。

・・・・・ 話が本質からそれてしまいましたが、本題に戻します。

私は長年の繁殖経験から、シャープゲンゴロウモドキの産卵には、セリでなければいけないことを経験的に知っておりましたので、セリの産卵有意性を科学的に証明しようと思い、以下の実験を行いました。

3年の間、千葉県の繁殖地、2箇所を詳細に調査した結果、本種の産卵時期(3-4月)に8種類の水草を同定することができました(Inoda, 2011)。この時期は水温が低く、植物相に乏しいですが(Inoda et al., 2007)、春の七草として有名なセリが圧倒的に多く、優占種であることがわかりました。そこで、飼育下で生息地と同様な植物環境を再現し、産卵数と孵化率について詳細に検討したところ、面白いことにセリへの産卵嗜好性が有意に高いことを見出しました(Inoda, 2011)。さらに面白い事実として、生息地で確認した8種類の水草を単独で産卵植物として与え、実験したところ、4種類の水草にほぼ同数産卵することも分かりました。ところが、またまた面白いことに、セリに産卵した場合が最も孵化率が高いことがわかりました。つまり、シャープゲンゴロウモドキの産卵には、セリが産卵植物として重要であることが示唆されました。セリが無い条件では、孵化率の極端に悪いヘラオモダカにも産卵しました。最適な産卵環境が全く存在しないことで、他の手段を選択せざるを得ないことが容易に想像できます。本質的な観点から見た場合、ヘラオモダカは本種の産卵植物とは言い難いと思われます。では、一体、なぜセリが本種の産卵植物として最適なのでしょうか?

このことに関しても、非常に面白い結果を得ることができ、既に論文を投稿しております。いずれこの場で紹介できると思いますのでお楽しみに!!