オペラ座の着付師
2004/03/30〜2004/05/06


 私に、マリアの代役など務まるのだろうか?
 これまで剣しか振るったことのない私が。この手を血で染めた私が。人の心に響く歌を唄えるのだろうか?
 ――それとも、求められているのは私……ではないのか……?――





――FINAL FANTASY VI 発売10周年を勝手に祝ってみるSS――
10年目の斎戒〜オペラ座の着付師





 下地を整え、その上から白粉を施し唇に紅を引く。目の前の鏡に映る自分の顔が刻々と変化していく様を、複雑な思いでセリスはじっと見つめていた。
 されるがまま、流されるままじっと耐える。
 手際よく施される化粧という行為に、いくばくか気恥ずかしさを感じていたのかも知れない。鏡の中の一点だけを見つめながら、微動だにしなかった。
「……とてもキレイですよ」
 そう言ってくれた着付師の言葉に、耳の辺りが熱くなるのを感じていた。その変化を悟られまいとしてか、セリスは無言で、耐えるように瞼を閉じた。
 彼女の様子に気付いた着付師が手を止め、そして恐る恐ると言う感じに小さな声でこう尋ねる。
「セリスさん……ひとつお尋ねしても宜しいですか?」
 その言葉にセリスは黙ったまま頷いた。

「舞台に上がるのはお嫌ですか?」

 『公演中のマリアを浚う』という前代未聞の予告状が届いた時は、団長をはじめ、オペラ座に携わる全員がどうなることかと気を揉んでいた。そんなところへ運良く現れたのが、彼女たち一行だった。
 顔ぶれを見れば、泥棒と元帝国将軍と王族とサムライ。という、なんとも妙な組み合わせではあったが。彼らの中の一人の提案によって、この替え玉公演が決行されるに至ったのだ。
 そして今回の舞台の主役――オペラ女優マリアの替え玉となるべく、今こうして目の前に座っているのが、元帝国将軍だというセリスだった。
 よくよく話を聞いてみれば、彼らも非常識なギャンブラーに用があったらしく、彼を追ってここへ来たと言うのだけれど。セリスからしてみれば成り行きでこんな事になってしまった、と言うのに変わりない。
 とはいえ、マリアの代役として自分の名が挙げられた時の、動揺していたとはいえセリスの口から出た言葉は、彼女の心情を汲んでも尚、オペラに深く関わる者としては聞き捨てならなかった。
 ――「そんなチャラチャラした事、できるわけないでしょ!」――
 マリアがその場にいたら、物怖じしない彼女のことだろうからそのまま掴みかかっていたかも知れない。……そう考えると、マリアの不在は幸いだったと思う。
 けれど、そこまで行かなくてもセリスの言葉に引っ掛かりを感じてしまうのは、やはり自分が着付師としてオペラと深く付き合っている人間だからだろうか?
 ……少なくとも、オペラをそんな風に思っていて欲しくはない。
 ましてや、これからその舞台に立とうという人間に。

 その問いに、セリスはゆっくりと顔を上げてから。
「いや……。ただ」
 そう言って、ゆっくりと首を横に振ったのだった。
 芸術文化に造詣が深いとは言えないものの、少なくともセリスはオペラそのものに嫌悪を抱いているという訳ではなかった。
「ただ?」
 先を促すようにして再び問われた声にセリスは返す言葉が見つからず、口をつぐんでしまう。
 ――剣を手に、時には魔導を駆使し、赴いた地を手中に収めるべく戦う――兵士にとって戦場での迷いや疑念は敗北をもたらし、敗北は死を意味する。そう言う世界で生きてきたセリスにとって、オペラは自分に縁遠い世界のものだったし、よもや自分がその舞台に立とうなどとは予想だにしていなかった。
 そんな戸惑いを、セリスはどう言葉で表現すれば良いのかが分からなかった。
「不安、ですか?」
 そんな様子を見て着付師は尋ねた。どこまでも優しいその口調に導かれるようにしてセリスは頷いた。
「……ああ」
「大勢の人間を前にするのは、慣れているのではありませんか?」
 元とはいえ帝国の将軍まで務めたのだ。女優も将軍も、実力と度胸がなければ務まろうはずがない。着付師はそんな風に思って問うのだった。
 それから僅かの間があって、セリスは小さく、辛うじて聞き取れる程の本当に小さな声で答えた。

「しかし。この……ままでは……剣も……鎧も、……何もないから……」

 身を守る物が一つもない。
 だから、不安になるのも仕方がない。と。
 その言葉を耳にした着付師の手が再び止まる。
(…………)
 無言で、目の前に座る少女に改めて視線を落としながら。
(……私が間違っていたわね……)
 そこら辺の街娘と比べれば確かに鍛えられてはいたが、こうして舞台衣装を身に纏ったセリスは、見まごうことなく女性なのである。
 しかしわずか18歳の少女は、ここへ来るまで女としてではなく将軍として生きてきた。世に生きる他の女達がごく当たり前のように享受する幸せを、彼女は知らない。

 この少女の肩には、あまりにも重すぎるものが背負わされていたのだろう。
 それを隠すために、彼女は剣を取り鎧を身につけ、武装した。
 戦場で生き残るために。
 自分を守るために。
 それは恐らく、戦場で降りかかる危険だけではなく、
 小さく壊れやすい身の内を、人知れず守るため――だったのだろう。

 着付師は、彼女の後ろに立つと両肩に手を乗せてこう言った。
「セリス、鏡を見て」
 言われるまま、セリスは顔を上げ正面に映る自分の姿と対面する。
 そこにあるのは、化粧を施されいつもとは違う雰囲気を漂わせた自身の姿。
「ね、キレイでしょう?」
「……それは……。着付師であるあなたの施したものだから……」
 そう言って、鏡から目を逸らす。
「お気に召さなかったかしら?」
「そ、そんなことは……。ありがとう」
 着付師の言葉を否定し、ぎこちなく礼を述べる。
「なら、もう少し喜んだ表情をしてもらいたいものだわ」
「……すまない」
 気まずそうに呟くセリスの顎に手をやると、強制的に正面を向かせる。こうなると否が応でも鏡の中の自分と目が合ってしまう。
「さ。動かないで頂戴」
「……!?」
 そう言って、着付師は腰に下げていた袋から櫛を取り出すと、一度セリスの髪を緩く束ねていた紐を解き、白金に輝く髪を丁寧に梳き始めた。
「あなた、綺麗な髪の色をしているわね」
「…………」
「マリアもそうだけど、この色は中々いないわ」
 オペラ女優マリア専属の着付師である彼女は、手際よく髪をまとめ上げていく。
 ただ晒しているだけだった長い髪を梳かれる心地良い感覚に身を委ねながら、着付師の言葉が自然と耳から入ってくる。
「そ……そうなの?」
「ええ」
 鏡に映る着付師はにっこりと微笑みながらも、手を休めることはしなかった。
「それに……こう言ったら失礼だけど、あまり手入れもされていないのに、ここまで綺麗な髪質なんだから……」
 手際よく整えられていく髪、それに連れて後頭部にかかる微妙な圧力も、セリスにとっては初めてのような――それでいて、どこか懐かしい――感覚がする。
「羨ましいし、……嬉しいわ」
「嬉……しい……?」
「そうよ」
 束ねた髪を頭部の高い位置に止めると、懐から取り出した藍色の紐で手早く結う。
「自分の手で目の前の人を着飾ることももちろんだけど、元々の素材が良ければ磨く方も磨き甲斐があるっていうことよ」
 言われたことの意味が分からず、きょとんとするセリスの姿に小さく微笑みながら、棚にしまわれた髪飾りを取り出し、再び鏡の中に姿を戻した。
 藍色の紐の上から褐色のリボンを結ぶ。「常勝将軍」と謳われたセリスに相応しい色だと言うわけではなかったのだが、鮮やかなプラチナブロンドを結ぶリボンには打ってつけだと思い、着付師はそれを選んだ。
 一方のセリスはといえば、鏡に映る着付師の手際良さに半ば見惚れている感があった。
 そんな彼女に、着付師は言った。
「さあ、目を閉じて」
 何がなんだか分からず、セリスは目を閉じる。
 その間に、彼女は最後の仕上げと言わんばかりに忙しく動き回り、セリスの顔や髪に仕上げを施していく。
 ――肌へ僅かに触れるその感覚は、初めてのはずなのに確かに懐かしいのだ。


 懐かしい。
 そう、以前にも同じ様な事があった……。

***

 10年前。
 ガストラ帝国が魔導を主軸とした軍備増強をはっきりと表に出したのは、この頃だった。当時はまだ幼かったセリスは何も分からず、ただそのパレードに参加していた記憶が――朧気ではあったが――頭の片隅に残っている。
 帝国の魔導士ケフカ、将軍レオという二人の若き指導者による軍部再編成と、その頂点に君臨する皇帝ガストラ。そしてルーンナイトであるセリス。彼らは象徴として、帝国の新体制発足を祝賀するパレードに参加し、国民にその力を誇示するというのが、一番の大きな目的だった。
 そのために、セリスは今と同じように鏡の前に座り、いつもとは違う衣装を身に着けることになった。
「……動きづらいし、なにかヘンな感じがする」
 そういってごねる幼いセリスに、研究所の所員がにっこりと笑いながら。
「そんなことない! 格好いいよ」
 そう言って、髪の毛を束ねてくれた。
 ――いつもはこんな事しないのに。
 セリスの後ろに立つのは魔導研究所の研究員で、いつもは手に持った分厚い紙と、機械を前に恐い顔をしてる人物だった。
 彼女は事ある毎に数字を出さなきゃ、そう言ってセリスに色んな事を要求してきた。
 ――そんな人が、どうして?
「どうして?」
 ――こんなに優しくて、嬉しそうな顔をするの?
 椅子に座らされたセリスは、彼女の方へ視線だけを向けた。
「今日は特別。みんなに見てもらわなきゃいけないからね」
 そう言って微笑みながら、セリスの髪をまとめ上げた。


 そうだ、あの日だ。
 あの日、初めて私は――

***

「さ、もう目を開けてもいいわよ」
 彼女の声に瞼を開けば、目の前に広がるのはオペラ座の広々とした控え室。
 着付師はセリスの後ろに立って微笑んでいる。
「……こ、これ……が私?」
「どう、キレイでしょう?」
 鏡に映る自身の姿に息を呑むセリスの様子を、着付師は黙って見守っていた。所在なげに周囲へ視線をやりながら、自分の身体を、確かめるようにゆっくりと触れていく。おぼつかないその動作は、まるで生まれたての雛のようだった。
「私達はね」
 そんなセリスの様子を見ていた着付師が、口を開く。
「……剣を持って無くても、鎧を身につけていなくても、強くなれる生き物なのよ。不思議でしょう?」
 鋭い剣のように相手を斬ることはできなくても、艶やかな視線が武器となり。
 固い鎧のように刃から身を守ることはできなくても、身につけたそのドレスは人々を魅了する。


 あの日、初めて私は女性として生まれてきた事の意味を知った。
 そして今、私は女性として生きる術を知ったのだ。


「あなたにならできるわ、私が保証する。……舞台の成功、祈っているわよ」
 そう言い残して着付師は控え室を去ったのだった。
 残されたセリスは、改めて鏡の中の自分と向き合い、遠き日の記憶を辿っていた。
 魔導――帝国のパレードに参加した10年前のあの日。今と同じようにして着飾った自分に戸惑う一方で、内心では僅かの嬉しさを感じながら。もう一人のヒロインと出会ったあの日の記憶。

***

 彼女は薄い黄緑色の珍しい髪の色をしていたから、一目見たら忘れない。細身の身体に整った顔立ち――決して表情豊かとは言えないけれど――生まれながらに魔導の力を持つ少女。彼女がそう呼ばれていた事を、当時セリスは知らなかった。
 けれど、彼女は何かを感じていた。自分にはない力と強さを。恐らくはセリス自身も気付かない、無意識のうちに。
 周囲の大人達からは、壊れ物に触れるように丁寧に扱われている彼女の存在は、少なからずセリスの心に“何か”をもたらした遠因であったのは確かだった。


「わたしは、あの子のかわりなの?」
 怯えたように、絞り出された小さな声は、やがて出迎えた群衆の歓声にかき消されたのだった。

***

 響き渡る歌声と、いくつもの弦が奏でる心地よい旋律の中で、落ち着かぬロックは、遂に堪えきれずに席を立った。
「俺、控え室の方に行ってみるよ」
 言い残すと足早にその場を立ち去った。

 元々、オペラになんて微塵の興味もなかったし、親しみのあるものでもなかったから、暇を持て余していたというのが本音にあったのかも知れない。
 だが、この先に待つ“舞台”を思えば、退屈だなどと言っている場合ではない。今の彼らにとってはオペラよりも、絶対に成功させなければならない公演が待っている――それはたった一人のギャンブラーの為に用意した舞台だ。
 そのために、いくら帝国の元将軍とはいえ一人の女を囮にしようと言い出したのは他でもない自分だという事に、多少の罪悪感が付きまとう。それを払底するべく、彼は控え室に向かった。
 しかし、部屋の扉の先で彼を待ち受けていた物は、彼自身想像だにしていなかった誤算だった。

「おまえ……こんなキレイだったっけ……」

 思わず口をついて出た感想だった。帝国に属し戦場を駆けていた女とは思えぬ妖艶さを纏っている。剣を持っている時のそれとは全く違っていた。
 ――マリアに似ているというセリスの姿を見て――さすらいのギャンブラーと自称する男が、わざわざ浚いたくなるという気持ちも分からないでもないな、とそんな風に思ったが、さすがに口には出さなかった。
 同時に、そんな風に思ってしまう自分と、思わせた目の前の女に対して羞恥にも似た感情を覚えた。

 視線を逸らそうと俯いたロックとは対照的に、セリスはひどく落ち着いていた。
 化粧をしている間や、その直後に鏡と向き合った時の動揺はウソのように消えていた。
 ――今なら、言えるだろうか? ……言えるかもしれない。
 セリスは確信した。
 サウスフィガロの地下室で、彼と初めて出会った頃から抱いていた疑問。
 恐くて口には出せなかったその言葉を、今なら。

「ロック。なぜあの時、私を助けてくれたの?」

 セリスが思っている以上に、発せられた声は穏やかだった。
 相変わらず顔を上げないまま、ロックは居たたまれずに控え室を立ち去ろうとする。
 出口の扉の前で足を止め、僅かに躊躇った様に溜息を吐くと、それでも小さな声で返したのだった。

「好きになった女に何もしてやれず失うのは……もうゴメンなだけさ」

 瞬間、二人の間に訪れた沈黙。
 まるでそれを埋めるかのように流れる、ゆるやかな弦の調べ。高音部と低音部はやがて一つの大きな波となり、その中に加わる幾つもの声は、舞台上の劇が山場を迎えた事を控え室の二人に告げていた。

「……私は、あの人の代わりなの?」

 セリスの声に、劇場内でわき起こる拍手が重なる。
 ロックからの答えは、なかった。





 愛しのあなたは 遠いところへ
 色あせぬ 永久の愛 誓ったばかりに

 望まぬ契りを交わすのですか?
 どうすれば? ねえあなた
 言葉を待つ


 ――『私達はね』


 ありがとう 私の 愛する人よ
 一度でも この想い 揺れた私に
 静かに 優しく 応えてくれて


 ――『剣を持って無くても、鎧を身につけていなくても、強くなれる生き物なのよ。
    不思議でしょう?』


 いつまでも いつまでも
 あなたを待つ


<終>





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# FF6発売10周年を勝手にお祝いシリーズ第2弾。
# ですが若干こじつけてます。

# 元帝国将軍、それも“常勝将軍”とまで謳われたセリス。ナルシェの幻獣防衛戦で
# 見せた気高さや強さからは、常勝将軍セリスの片鱗をうかがい知ることが出来ます。
# ところが話が進むにつれて、唐突とも思えるほど急に、言動が女性的になります。
# その辺ゲーム中の描き方ではどうも納得がいかなかったため、無理やりオペラ出演前の # エピソードをでっち上げた感がある。
# 化粧を施されるという、「女性」としての日常に戸惑うセリス。そんな経験を通して
# 彼女がその後、女性的な言動になって行ったじゃないかな……とか妄想してみたお話。


 
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