Sさん(入所時32歳→現在45歳)へのインタビュー

中村 お久しぶりです。社会福祉士を取得したと聞いたよ。    
    そうなんです。合格率13パーセントのケアマネも取ったんです。 Sさん
中村 えっ、スゴイ。それは素晴らしい。今日はワンデーポートに来る前と、出た後と今の生活について話してもらおうと思っています。ワンデーポートに来たのはいつだったけ?    
    オリンピックの年だったので、12年前の2008年頃だと思います。32歳のときで、今は45歳になりました。 Sさん
中村 ワンデーポートを出てからずっと瀬谷にいるんだよね。    
    はい。昨年職場の近くに引っ越しましたが、ずっと瀬谷に住んでいます。 Sさん
中村 ワンデーポートに来てよかったと思うことはありますか?    
    レールを敷いてもらったことだと思います。今の介護の仕事は10年になるんですよ。 Sさん
中村 私の記憶ではSさんが就活していてなかなか決まらなくて苦労しているのを見て、私はお世話になっていた瀬谷区の支援者に相談したんだよ。「少し不器用だけどもとても真面目な男性がいて、福祉の仕事を探している。どこかないですかね」というような説明したと思います。そしたら、「お勧めしたい家庭的なNPOがある」と言ってくれました。その支援者の方の紹介で、Sさんに合った仕事が見つかったんだよね。    
    僕は自分では決められないのでとても助かりました。職場は自分のことを理解してくれています。車の運転は下手なので「できない」と言っているからやらなくていいんですよ。他の職場だったら、「できない」なんて言えないと思います。苦手なことをやってほしいと言われないことは助かっています。 Sさん

ワンデーポートに入所するまで

中村 ワンデーポートに来る32歳までのことを話してくれる?    
    母から聞いたのは大人しくて手がかからなかったそうです。僕は小学校、中学とずっと友だちも少なくて、ひどくイジメられましたが、全然平気でした。そんな自分が、高校1年のときにパチンコをおぼえました。どっぷりはまりました。当時ブラボーキングダムという機種に攻略法があって、3ヶ月で100万円くらい勝ったんです。祖父母からもお小遣いをもらっていましたし、高校のときはお金に苦労しませんでした。大学は色々受けましたが、高校のときはパチンコばかりやっていて勉強をしていないので、不合格ばかりでした。唯一合格したのが九州の大学でした。私の実家は東北なのですが、九州で学生生活をすることになりました。母親はお金には甘かったです。大学に入っても、パチンコ、スロットばかりやっていました。母親は教科書が必要と言えば、3万円とか5万円を送ってくれました。教習所には3回行っています(笑)。パチンコをやるお金には困らなかったですよ。結局、大学は卒業したけれども、就職はできず、精神保健福祉士を取得するために専門学校に行きました。これも母親の勧めです。精神保健福祉士の資格が出来たときだったので、みんな合格させた時代です。資格を取得しても、就職活動のやり方がわからないので、実家にいたら、母親が仕事を探してきて精神保健福祉士の資格をいかした相談員の仕事でした。職場は千葉でした。1人暮らしでしたが、母は甘くてはじめに300万円出してくれました。そのお金や給料はパチンコとスロットに使いました。3年くらい勤めましたが、パチンコが原因で消費者金融に借金をつくりました。さらに職場のお金20万円横領し、結局母親に払ってもらい退職しました。もちろん借金の300万円も払ってもらいました。26~27歳くらいのときです。そして結局実家に戻りました。 Sさん

パチプロに

中村 それで、実家に戻ってからはどんな感じだったの?    
    家族から「どうするの」と言われたので、「働きます」と言って、ハローワーク行くと言ってはいたのですが、どうやって就職活動をしていいかわからないんです。で、パチンコ店に通うようになりました。ちょうど射幸性の高い4号機が全盛の頃でした。僕は勝ち続ければいいんだと思ったんです。そして、スロットについて勉強したんです。僕は、拘る性格なので、勝つための方法に拘りました。スロットの知識と目押しの技術に自信を持つようになりました。そもそもゲームが好きだったので、液晶画面に惹かれましたし、攻略するということにハマったんです。当時のスロットは攻略要素が満載でした。 Sさん
中村 そうそう、Sさん以前「(回っているスロットのリールの)スイカの種が見えた」と言っていたよね(笑)。    
    (笑) 知識と技術があれば勝てた時代です。3年くらい仕事をやらないで、スロットで食べていました。「のり」で打っているプロに一緒にやらないかと誘われたこともあります。人づきあいが苦手なので、断りましたが……。毎月50万、60万勝っていました。給与明細はパソコンで適当に作って家族に渡していました。姉がお金の管理をしていて、千葉のとき立て替えてもらった借金300万円はスロットで返しました。 Sさん
中村 お母さんは仕事をしていないことをいつ気付いたの?    
    父親が亡くなる直前、2005年くらいに姉弟が気付いたと思います。31歳のときです。両親にも伝わり、病に伏していた父にはショックを与えてしまいました。その後父親が危篤になりました。父が今日危ないという日も、スロットの吉宗の宵越し天井狙い※をやりに、パチンコ店に行ったんです。僕としては行くしかないという感じでした。スロットを打っているときに、携帯が鳴りました。父親が危ないと電話でした。私は決めていることを変えることが苦手だったのと、父親が亡くなるということに実感が湧かなかったように思います。父が危篤状態なのにパチンコ店に行った私を、家族はあきれていたと思います。今考えるととんでもないことをしたと思いますよ。
※宵越し天井狙い:スロットには一定のゲーム数を回すと当たるという仕組みの台があり、前日打っていた台のゲーム数から翌日の当たりを狙うこと。
Sさん
中村 お父さんが亡くなった後はどんな生活していたのですか。    
    母親から実家にいてもらっては困るということになり、隣町で独り暮らしをするように言われました。もちろん、お金は出してもらいました。仕事はしませんでした。スロットは5号機にしがみつきました(笑)。 Sさん
中村 Sさんはスロットに救われていたのではないかな(笑)。    
    5号機になって、1ヶ月に10万円~15万円くらいしか勝てなくなりました。50~60万円の生活をしているので、借金をするようになりました。 Sさん
中村 仕事をしていないのに借金できたの?    
    家(病院)で働いていることにしたんですよ。200万円くらい借りたと思います。ワンデーポートに入る3年前くらいからはそんな生活をしていました。たぶん、その頃、家族が浦和まはろ相談室やワンデーポートのことを調べたみたいです。 Sさん

ワンデーポートで

中村 2008年にワンデーポートに来る直前はどんな感じだったの?    
    お金がまったくなくなり、水道も止められた状態のときに母親が訪ねてきたんです。はじめは母親と高澤さんのところ(浦和まはろ相談室)に行きました。その後、茅ヶ崎の新泉こころのクリニックに行って心理検査を受けました。発達障害の特性を持っていると言われたのですが、ホッとしました。自分は他の人と比べて変わっていると思っていましたから。その後、母に勧められるままワンデーポートに入りました。自分は決めることは苦手で、基本的に言われたことには従うんです。 Sさん
中村 当時のワンデーポートはどんな印象だった。    
    何も考えていなかったので、印象と言われても困りますが、ミーティングできついことを言う人がいたのを覚えています。ミーティングがぴりぴりしていました。 Sさん
中村 2008年くらいだと、GA(ギャンブラーズ・アノニマス)の考え方は絶対だと考えている人たちも多かったので、「こうあるべきだ」という発言が多かったのかもしれないけど、それは申し訳なかったです。当時はGAにも行っていたんだよね。    
    決められているから行っていただけです。
Sさん
中村 今振り返ってGAに行っていて得たことはあったかな?    
    ないです(笑)。GAでやめている人たちはいるのはわかっていますが、自分には合わなかったです。 Sさん
中村 そもそも、ワンデーポートのミーティングで何かをつかんだということもなくて、今の職場に就職できたことがいちばんよかったことなんだよね。    
    そうです。 Sさん

Sさんのお陰でネットワークが広がった

中村 Sさんが今の職場でしっかり働いてくれているのは、ワンデーポートにもワンデーポートの利用者にもとてもありがたいことで、その後、ボランティアや就職先として接点ができたんだよね。今も1人お願いしているけど、Yさんどう?    
    Yさん、介護職の経験があるのは大きいと思いますが、利用者さんに接する態度や言葉遣いは僕らのほうが勉強になります。体操のやり方とかとても上手です。 Sさん
中村 Sさんにそう言ってもらえるのは嬉しいなあ。    
    Yさん、ほんとうに優秀ですよ。 Sさん
中村 随分前だけどSさんの職場の人も飲む量を心配していたよ。    
    最近は曜日を決めて飲んでいます。飲まない日は飲まないです。仕事はストレスなくやれていますし、勉強は楽しくはないですが、嫌いではないです。一週間のルーティンがあるのは大きいと思います。飲まなくちゃいけないという感じにはならないです。 Sさん
中村 生活や仕事の安定は大事だということだね。今日は10年ぶりにワンデーポートに来てもらいましたが、色々お話ができて良かったです。今度Sさんの上司にも話をうかがって、ワンデーポート通信に掲載したいと思っているんだよ。これからも、ワンデーポートたちがお世話になると思うし、コロナが落ち着いていたら、年末のサンタランのときはお邪魔するので、よろしくお願いしますね。