Aさん(入所時24歳→現在36歳)へのインタビュー

3回の入所

中村 Aさんは2回ワンデーポートを利用(入所)しているんだよね。    
    2回じゃないですよ。3回ですよ。 Aさん
中村 え、そうなんだ。(昔の記録を確認)。ほんとうだ。たしかに3回だ。2007年と、2009年、そして2011年。    
    そうですよね。何度も失踪していますから(笑)。 Aさん
中村 時間が経つのはほんとうに早いよね。Aさんは失踪型ギャンブラーで、家族も私も、何より、Aさん自身も苦労したと思いますが、今日はどうして失踪してしまったのか、なぜ今は落ち着いて生活ができているのか聞きたいと思います。ところで、今はどんな仕事をしていんだっけ? コロナの影響はあるの?    
    医療器具の滅菌の仕事をしていますが、コロナの関係で外来患者は減った関係で、影響はありましたよ。徐々に戻ってはいます。 Aさん
中村 今の仕事に就いてどれくらい?    
    5年です。派遣契約ですが、自分に合っていると思いますし、人間関係に恵まれています。 Aさん

1回目の入所の経緯

中村 ワンデーポートに来る前のことを話してくれる?    
    小学校~高校までは大きな問題はありませんでした。中学校くらいから大勢でいることは苦手でした。大学は映画の勉強をするために進学しました。はじめは姉と2人暮らし、2年のときから1人暮らしになりました。それくらいにパチンコを覚えました。暇で時間があったんです。サークルの友だちに「パチンコやったことある?」と誘われて行ったんです。そしたら勝ったんですよ。それでのめり込みました。生活自体が崩れていきました。その少し後に、大学のサークルの友人に誘われて麻雀をやるようになり、麻雀にもハマるようになりました。 Aさん
中村 Aさんの世代で麻雀というのは珍しいよね?    
    そうでよね。 Aさん
中村 大学の頃から借金はあったの?    
    ありました。消費者金融を中心に200万円くらい借りていました。 Aさん
中村 消費者金融の規制が緩い時代だったんだね。大学は卒業できたの?    
    できました。でも借金があったので、横浜の造船所でアルバイトをして借金を返済しようと思ったんです。 Aさん
中村 造船所の仕事は体力的にもきつかったのでは?    
    きつかったですよ。給料が良かったので、我慢しました。ギャンブルをやりながらでも、回っていました。その年の年末に倒産したんです。マンガ喫茶で働きましたが、お金のやりくりができなくなって、両親に借金のことを白状しました。実家に戻ってきなさいということになり、実家から営業の仕事をしました。そのときの借金は家族に払ってもらいました。 Aさん
中村 記録を見ると、その仕事に就いたのが4月頃で、11月に名古屋に失踪と書いてあるよ。    
    そうです。思い出しました(笑)。 Aさん
中村 そのときはどんな感じで失踪したの?    
    仕事帰りにパチンコ店の駐車場に放置し、車の中に携帯電話を置いて逃げました。 Aさん
中村 どうして逃げたの?    
    仕事での人間関係も辛かったし、親との関係も悪かったからです。隠れて麻雀やパチンコをやっていたこともありました。お金はいくらかあって、カードもありました。名古屋のサウナとかに泊まって、ギャンブルばかりしていました。だから、すぐにお金が尽きました。そしてワンデーポートに1回目の入所をしました。 Aさん

1回目のワンデーポートは辛いだけ

中村 1回目に来たときの印象は、緊張していて、表情がひきつっていて、馴染めていないという印象だった。はじめのワンデーポートの印象はどんな感じだった?    
    ギャンブルで失敗したので、入所することに納得はしていましたが、年上の人ばかりで、「回復するためには自分の話をもっと正直にしたほうがよい」と言われましたが、話をすることが嫌でした。話をすることも苦手でしたから。当時「回復」ということを言われることがありましたが、その「回復」がわからなかったです。でも、回復ということを話さなければならないのが辛かったです。厳しいことを言う人もいました。 Aさん
中村 当時のワンデーポートの利用者の中でもAさんのようにミーティングが苦手という人がいたと思うけど、そういう人たちとは話はしなかったの?    
    しなかったと思います。 Aさん
中村 話せる人はいなかったのかな。    
    同じ寮だったNさんは、話しやすかったです。年齢も比較的近く、麻雀もやっていた人だったので。 Aさん
中村 12年前は記録によると2ヶ月で逃げ出したみたいだね(笑)。    
    ミーティングや人との関係が嫌で「もうヤダ」と思って、黙って出ました。 Aさん
中村 相談して、実家に戻るという選択肢はなかったの?    
    借金の肩代わりをしてもらっているし、中途半端にワンデーポートを出て戻るということは家族には言えなかったと思いますよ。まして、実家にいたときに車をパチンコ店に放置して会社も黙って辞めているわけですから。 Aさん
中村 そうだよね。ワンデーポートを出てどこに行ったの?    
    東京の大塚の雀荘で働きました。雀荘で働くのははじめてでしたが、遊びには行っていたので、雀荘で「メンバー」になって働くというイメージはありました。 Aさん
中村 麻雀ができる人でないと採用しないよね?    
    もちろんです。 Aさん
中村 その雀荘はどんな感じだったの?    
    最悪でした。寝る場所がなくて押し入れに寝ていたくらいです。労働環境としてはとんでもないところだと思います。給料なんてないようなものでした。あまりにも酷くて、別の雀荘で働きました。そこは給料も毎日いくらかもらえました。ただ、そこで働いていたときに、耳の後ろにできものができました。保険証がないので、実家に戻らざるを得なかったのです。ワンデーポートから出て、半年くらいは失踪していました。 Aさん
中村 実家に戻ってどんな生活になったの?    
    治療した後に、映画館で働きました。実家の近くのシネコンです。映画が見放題で、仕事は楽しかったですが、1年は続かなかったと思います。家族に隠れてギャンブルをやっていたんです。家族も疑っていたので、相談できなくてまた逃げたんです。東京に。 Aさん
中村 また失踪したんだ(笑)。その後2回目のワンデーポートに来ることになったのだよね。    
    映画館から逃げて、池袋に出たんです。遊んでお金を使い果たして、家族に電話したんです。そのときの失踪は短期間で、お金がつきました。 Aさん

2回目は楽しかった(だけど……)

中村 記録を見ると、2009年の4月に戻ってきているね。両親から勧められて戻ってきたと思いますが、1回目のワンデーポートは良いイメージはなかったと思うのだけど、どんな気持ちだったの?    
    行く場所がなかったんです。家にも戻ることはできないし、雀荘で働くのも嫌でした。 Aさん
中村 2回目はどうだったの?    
    たしか、2回目のとは、GAに参加しないでも良いとなっていたと思います。夜はレクレーション的なミーティングと、やりたいことをやればと勧められて、ピアノを習いに行ったと思います。 Aさん
中村 そうだった。Aさんは子どもの頃ピアノをやっていたんだよね。    
    2回目のワンデーポートは楽しかったですよ。夏に新潟に海水浴行ったりしたことも覚えています。世代も近い人が多くなっていて、話もできました。厳しいことを言う人も居なかったと思います。 Aさん
中村 だけど、7か月くらいで無断退所しているんだけど、何があったの?    
    パチンコをやってしまったんです。それで居づらくなりました。 Aさん
中村 2回目のワンデーポートを出た後はどうしたの?    
    伊勢佐木町の雀荘です。 Aさん
中村 3回目のワンデーポートまで2年あるのだけど、その間は雀荘で働いていたの?    
    そこの雀荘は長かったです。オーナーが、メンバーによくしてくれる人だったので続いたと思います。1年くらい経過したときに、雀荘に来ていた会社の社長が、仕事を紹介してくれて、その社長の下で働きました。アパートもその社長に借りてもらい、給料から天引きしてもらいました。ブランド品の買い取りの仕事でした。そのときに1年ぶりに実家に連絡をしたんです。 Aさん
中村 もしかして、その仕事も逃げたの?    
    はい、逃げました。給料をパチンコで使ってしまい、仕事に行くことができなくなりました。そして、実家に「またやってしまった」と電話したんです。そして3回目のワンデーポートに来たんです。 Aさん

3回目も逃げようとした

中村 2011年だね。3回目はどんな感じだった?    
    3回目は、「俺もう駄目だな」という気持ちは強かったです。親は「ワンデーポートに行きなさい」とは言わなかったんです。自分で行くことを決めました。3回目のワンデーポートは、入所して2カ月くらいで仕事(アルバイト)をしたんです。仕事がしたいと施設長に言ったと思います。3回目は、型にはめるという感じではなく「どうしたい」という感じのことを言われたと思います。ワンデーポートのカリキュラムではなく、仕事をしながら、少しワンデーポートを使うという感じだったと思います。 Aさん
中村 ワンデーポートの寮にはいたんだよね。    
    そうです。 Aさん
中村 たしか数か月したときに、Aさんから、「ワンデーポートを出ます」と言ってきたんだよね。また、ダメなのかと思った反面、良く言えたなあと嬉しかったですよ。私からは、「ワンデーポートのカリキュラムは一切参加しないで良いので、両親にお願いして、近くにアパートを借りてもらってAさんの好きなように生活したら」というようなこと言ったと思う。    
    そうです。仕事はやめないで、アパートから仕事に行くようにしました。道路標識を扱う会社でした。 Aさん
中村 金銭管理だけはワンデーポートでやるという約束をしてもらったんだよね。    
    そうです。その後3年くらいは安定していたと思いますが、同じ会社に働いていた人が、会社を立ち上げるのを手伝ってくれないかと誘われたんです。実際一緒にやったのですが、その人がプレッシャーをかける人で、付いていくことができずに崩れました。2014年~2015年くらいの時期です。アパートに帰らなくなり、横浜駅周辺でパチンコしたり、麻雀をやっていました。結局、お金がなくなり、実家に電話して助けを求めました。それで、中村さんに電話して、アパートに戻りました。そのとき借金もしていました。 Aさん
中村 その借金はどうしたのだっけ?    
    その後、今の仕事に就いたときに稲村先生に任意整理してもらい返済しました。 Aさん

安定した生活が続くようになった理由

中村 人間関係でつらくなったときの逃げる場所が、パチンコや麻雀だったのかな。    
    それはあるかもしれません。 Aさん
中村 今の仕事に就いて5年も経つんだね。    
    今まででいちばん長く続いていると思います。 Aさん
中村 今の仕事は何がいいのかな。    
    仕事がどのということより、考え方がポジティブになったのかなと思います。失敗しても慌てることはないと思うようになったことがいちばん大きいと思います。失踪していたときは、失敗を必要以上に大げさに考えてしまっていたと思います。 Aさん
中村 失敗できないと思うと、失敗したら逃げるしかないと思ってしまうからね。それは、Aさんが、失敗から学んだことで、成長したということなのかもしれないね。家族から逃げて、仕事から逃げて、ワンデーポートから逃げて、逃げた数は合計するとものすごい数になると思うけど、5年間逃げないようになったのは、そういう気付きがあったんだね。    
    今は、周囲の人間関係に恵まれているということもあると思います。いまの仕事での人間関係は楽です。仲が良い人たちと毎年夏はキャンプに行っています。コロナ感染が再び広がっているので、今年は行くことができるか心配ですが。 Aさん
中村 Aさんにとって、失踪や失敗の経験をどう考えているの? その失敗は良いことではなかったとは思うけど、失敗があったからからこそ、今があるように見えるのだけど。    
    失踪して雀荘でメンバーとして働いたことはつらかったですが、その経験があったから、物事を大げさに考えないほうがよいと思えるようになったのは間違いないです。 Aさん
中村 今、社会の中で「依存症は病気」と一括りにしていることにはどう思う?    
    病気と片付けないないで、頑張らなくちゃいけないことはあると思います。それと、みんな違いますよね。僕は独身ですが、ワンデーポートの同期の人でも結婚して子どもができた人もいますし。 Aさん
中村 今日はありがとうございました。時間がかかることもあれば、時間をかけなければならないことがあるということを再確認したように思います。そして、病院で「治療できる」と思っている方やご家族にAさんの話を聞いてほしいと思いました。