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やまぐちじょう |
山口城 |
別称: |
所在地:埼玉県所沢市大字山口 |
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形状 |
○ |
平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
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平山城 |
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国 |
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山城 |
○ |
都道府県 |
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陣屋・館 |
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市町村 |
遺構 |
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建築物 |
天守閣 |
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現存 |
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石垣 |
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復原 |
○ |
土塁 |
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外観復原 |
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水堀 |
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復興 |
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空堀 |
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模擬 |
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(撮影年月 H19・3) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
復元建築物 |
なし |
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アクセス |
公共 |
西武狭山線下山口駅下車後徒歩10分 |
車 |
関越道所沢ICから国道463号で所沢市街方向、県道55号で狭山湖方向 |
ミニ情報 |
駐車場がありませんが、敷地内のホームセンターに駐車できます |
地図情報 |
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城略史 |
山口城は、平安時代末から鎌倉・室町時代にこの一帯を本拠とした武蔵武士の山口氏によって築かれました。この場所は北に椿峰の丘陵が迫り、南は柳瀬川と、湿地に囲まれた要害の地で、西側には鎌倉街道が通っていました。城跡の規模は、東西約400メートル、南北約200メートルと推定されます。築かれた頃の大きさは不明ですが、戦乱の時代に館を囲む土塁や堀は徐々に広げられました。室町時代の終わりには、複数の郭がつながった姿となりました。この城跡には石垣はなく、土塁の上に木や竹の策を造り、幅が広く深い堀をめぐらせて敵が入るのを防いでいました。戦国時代の戦乱によって落城し、江戸時代にはいると城跡は、畑や宅地として拓かれ、堀跡は溜池として利用されました。その後、鉄道や道路が開通し、元の姿は一部を除いて失われました。
(参照「現地案内板」) |
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主な見どころ |
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↑現地案内板@:発掘調査状況の貴重な写真。このあとホームセンターが建てられてしまったのですね。信じられません。史跡破壊じゃないですか。 |
↑現地案内板A:濃い緑色の部分が現存する土塁になります。江戸時代を前にして廃城となったのですから、素晴らしい状態と言うべきです。それだけに現代の開発は悔しい。 |
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↑第1号土塁: |
↑第2号土塁@: |
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↑第2号土塁A: |
↑第3号土塁: |
探訪年月 |
@H19・3 |
併設・周辺資料館 |
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参考見学所要時間 |
約0時間15分 |
お薦め度 |
私見 |
ほんの一部ですが、遺構である土塁は見事なもので、往事は相当の規模であったことが想像できます。しかし、現在その敷地はホームセンターになっています。数年前までは藪であったと記憶していますが、あまりにもショックでした。私の記憶違いでしょうか・・・。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070903 |
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