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わしじょう |
鷲城 |
別称: |
所在地:栃木県小山市外城 |
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形状 |
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平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
○ |
平山城 |
○ |
国 |
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山城 |
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都道府県 |
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陣屋・館 |
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市町村 |
遺構 |
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建築物 |
天守閣 |
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現存 |
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石垣 |
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木造復原 |
○ |
土塁 |
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鉄筋復原 |
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水堀 |
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復興 |
○ |
空堀 |
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模擬 |
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(撮影年月 H17・7) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
復元建築物 |
なし |
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アクセス |
公共 |
JR宇都宮線小山駅下車後徒歩30分 |
車 |
東北自動車道佐野藤岡ICから国道50号線を小山市内方向へ約15q |
ミニ情報 |
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地図情報 |
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城略史 |
康暦2年(1380)から永徳元年(1382)にかけて小山氏10代の義政は、3次にわたって関東公方足利氏満の軍勢と戦いました。「小山義政の乱」と言います。
この乱の原因は、勢力を拡大した小山義政を抑圧しようとする氏満の策謀があったとされ、その指令を受けた関東各地の武士たちが、小山に攻め寄せました。最初の蜂起で館を攻められた義政は、二度目の蜂起となる康暦3年には鷲城に立て籠もって戦います。しかし義政は結局敗れ、その翌年粕尾(粟野町)で自殺しました。
鷲城は思川や谷地・低湿地に囲まれた要害で、東西約400b、南北約600bで、中城(うちしろ)と外城(そとしろ)との二つの郭からなり、当時としては広大な城郭でした。中城の空堀・土塁が明瞭に残存し、鷲城の由来となった鷲神社が鎮座しています。南北朝時代のこれほど良く遺存し、関連する文献資料が伝来しているのはきわめて稀な例で、貴重な史跡といえるでしょう。(現地案内板抜粋)
なお鷲城は、乱による落城の跡のことは一切不明です。 |
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主な見どころ |
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↑現地案内板:縄張と、現在との比較がよくわかります。思川を背に中城と外城から構成されていたようです。大規模かつシンプルな土塁と空堀が図からわかると思います。 |
↑土塁・堀跡:鷲神社への参道途中にある土塁・堀跡。すっかり埋没してしまって遺構は全くありません。 |
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↑中城:畑の向こうに見える、こんもりとした木々の連なりが土塁と空堀です。非常に広大な面積で驚きです。 |
↑外城・中城間の空堀:空堀の堀底を歩くことができます。木々で鬱蒼としていますが、実に深く幅の広い堀で、まるで谷のようです。 |
探訪年月 |
@H17・7 |
併設・周辺資料館 |
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参考見学所要時間 |
約0時間30分 |
お薦め度 |
私見 |
鷲城は、中世の城郭のわりには、郭内の面積も平地部も広大です。大部分は畑と住宅地になっており、それが私有地を多く含むために、城跡の整備があまり進んでいないのではないかと思います。しかし、土塁や空堀は大規模で素晴らしく一見の価値があります。ただ縄張自体は非常にシンプルで防御力が強いとは言えないようです。それにしても、これだけ保存状態の良い中世城郭は見応えあります。さすが国史跡に指定されるだけのことはあります。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070316 |
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