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うつのみやじょう
宇都宮城
別称:亀ヶ丘城、唐糸城
所在地:栃木県宇都宮市本丸町
形状 平城 史跡指定 国特別
平山城
山城 都道府県
陣屋・館 市町村
遺構 建築物 天守閣 現存
石垣 復原
土塁 外観復原
水堀 復興
空堀 模擬
復元富士見櫓(撮影年月 H19・3)
現存建築物 国宝 なし
国重文 なし
都道府県指定 なし
市町村指定 なし
その他 なし
復元建築物 清明台櫓、富士見櫓、その他土塁・水堀など
アクセス 公共 JR宇都宮駅下車後徒歩20分または東武宇都宮駅下車後徒歩10分
東北道宇都宮ICまたは北関東道宇都宮上三川IC
ミニ情報 市役所の駐車場か、公園の南側にもPあり
地図情報
城略史
 宇都宮城は宇都宮氏の祖宗円から数えて三代目の朝綱によって築かれた館が発展したものであると考えられています。
  宇都宮氏は大族で、下野宇都宮氏嫡流で、他に豊前宇都宮氏・筑後宇都宮氏・伊予宇都宮氏が存在します。藤原北家の末裔だとか、古代豪族下毛野氏、公家の中原氏の流れを汲むだとかいわれ、確かなことはわかりません。いずれにせよ、上記朝綱が始めて宇都宮氏を名乗り、鎌倉幕府では政所も務める有力御家人に発展していきました。南北朝時代には、当初南朝に属していましたが、10代氏綱は足利氏に属し、下野・上野・越後の守護職を授かります。17代成綱は宇都宮氏を戦国大名へと押し上げ、20代尚綱は佐竹氏・小田氏・那須氏などと結び、関東平野を北上する北条氏に対抗します。22代国綱は小田原征伐に参陣し、豊臣秀吉から本領安堵と羽柴性を授かります。そして朝鮮征伐にも参陣し、豊臣性まで下賜されましたが、慶長2年(1597)突如改易となり備前に配流されてしまいました。その原因は石高詐称、中央との確執など諸説あって不明です。なお子孫は水戸藩家臣として、お家は存続しました。
  宇都宮氏改易の後は、蒲生・奥平・本多・松平・阿部・戸田など11氏22代が城主となります。特に近世宇都宮城は、蒲生秀行に始まり、本多正純により城の大改修の完成をみました。正純は幕府の意向を聞き、天守は上げずに清明台櫓を天守の代用としました。改修の際における「宇都宮釣り天井」事件は有名です。
  戊辰戦争の時には、大鳥圭介や土方歳三の率いる旧幕府軍の攻撃をうけ落城、占拠されます。退去する際、自ら城に火を放ったため建築物の多くは焼失してしまいました。その後城内に県庁が置かれますが、明治23年には城地は払い下げとなり城の破壊が進んでいきます。昭和40年代には、それまで現存していた本丸土塁や堀も消滅してしまい、遺構はいっさいなくなってしまいました。
 市庁舎の建築のために破壊されたにもかかわらず、平成になると宇都宮城の史実に基づいた歴史公園をつくることが決り平成19年3月、櫓や土塁が復元されました。
(参照「城郭・国別・要害台場事典(西ヶ谷恭弘・東京堂出版)」)
主な見どころ
↑現地案内板:復元は、本丸の西側半分で中途半端です。城ファン以外の人に、訪城の楽しさをどれだけ伝えられことができるか、疑問のある城址公園です。 ↑土橋の石垣跡:三の丸と二の丸を結ぶ土橋をささえる石垣です。本物は、写真左下のような状況で現在も地下に眠ります。なぜ実物を活かさなかったのでしょうか。
↑富士見櫓@:本丸南西部の櫓。木造二層、本瓦葺きで実際に富士山が見えたかどうかはわかりませんが。 ↑富士見櫓A:城内側、土塁上からの撮影。
↑富士見櫓内部:さすが木造新築だけあって、すがすがしく清潔です。櫓を木造で復元したのは特筆すべきです。 ↑建設中の富士見櫓:これが右上のような立派な櫓になるのだから驚き。正直言ってこの姿をみると期待に胸ふくらみませんよね。(撮影:探訪@)
↑清明台(櫓)@:本丸北西部に位置し、天守の代用ではなかったかといわれています。 ↑清明台(櫓)A:城内側から撮影したものです。
↑清明台(櫓)内部:やはり木造の櫓はいいものです。宇都宮城全般的にはいかがかと思いますが、櫓はいいです。 ↑建設中の清明台(櫓):完成が待ち遠しい頃。「作事」の垂れ幕は、なかなか乙ですね。
↑復元土塁:土塁といっても土じゃありませんが・・・。しかも中央にトンネルが・・・。ところで、なぜこんなに土塁が高いのかというと、将軍が日光へ行く際に宿泊するからだそうです。 ↑土塁上:復元された櫓を結ぶ土塁は、塀の裏側をつたって歩けますが、まるでただの廊下みたいです。
↑本丸広場:こちら側から見ると、ますますただの公園にしかみえません。 ↑清明館:本丸跡にありますが、整備される前はここぐらいしか訪ねるところがありませんでした。復元整備された今となっては、訪れる人も減ってしまったことでしょう。(撮影:探訪@)
入場券・パンフ等
宇都宮城址公園案内パンフ:無料で配布されている公園の案内図です。案内板と同じ内容ですが、裏には施設の概要などが書かれています。 無料パンフ:このパンフは復元建築物を建設中の時に入手したものなので、今はもう配布してないかもしれません。
探訪年月 @H18・3AH19・3
併設・周辺資料館
参考見学所要時間 約1時間00分
お薦め度 私見   役所を建築するため、城の破壊に一役買ってしまったくせに、いまになって貴重な文化財などと復元(ゼロからの新築!)してもあとの祭り。当時いかなる事情があったにせよ破壊してしまったものはどうしたって戻りません。どうせならもう少し反省の意味をこめて復元してもらいたかった。
  櫓を木造で復元したことは評価できます。しかし、ビルのような土塁を作ったり、そこにトンネルを作ったりと、復元とは名ばかり。歴史テーマパークとわりきりましょう。
城郭ファン以外も必見
見逃せない対象です
城好きは行きましょう
予備知識がある方は・・
マニア向け
公式サイト
参考サイト
初版20070414
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