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たげさんじょう |
多気山城 |
別称: |
所在地:栃木県宇都宮市田下町城山 |
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形状 |
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平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
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平山城 |
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国 |
○ |
山城 |
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都道府県 |
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陣屋・館 |
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市町村 |
遺構 |
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建築物 |
天守閣 |
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現存 |
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石垣 |
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復原 |
○ |
土塁 |
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外観復原 |
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水堀 |
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復興 |
○ |
空堀 |
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模擬 |
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多気山遠望(撮影年月 H18・3) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
復元建築物 |
なし |
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アクセス |
公共 |
JR宇都宮駅から関東バス「大谷・ろまんちっく村」行き約35分 |
車 |
東北道宇都宮IC又は鹿沼ICから国道293号線 |
ミニ情報 |
多気不動尊の駐車場に停めると良いでしょう |
地図情報 |
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城略史 |
多気山城は、宇都宮城の北西約9qの多気山に位置する山城です。康平6年(1063)宇都宮氏の祖宗円が築城したという伝承があるが確証はないそうです。宇都宮氏の本拠は下野の中心に位置する宇都宮城ですが、この城は平城で、天正年間になると南からの北条氏の侵攻に備えるため、天正4年(1576)山城へ拠点を移しました。時の当主である宇都宮国綱(22代城主)は、宇都宮城を家臣の玉生美濃守に任せ自らは多気山城に移ったのですが、山麓には宇都宮城下と同じ町名が残っていることから、本格的な街割りが行なわれ、または恒久的な拠点にするつもりもあったと思われます。豊臣秀吉の小田原攻めが終わる天正18年(1590)まで多気山城を拠点としていましたが、同年国綱は再び宇都宮城に戻ります。しかし、慶長2年(1597)宇都宮氏は改易となり多気山城は廃城となりました。
山全体を利用した約150fにも及ぶ広大な城で、平成4年度の調査で割田遺跡において城の外郭線と考えられる堀跡も見つかっており、また石積みの遺構も確認されています。
(参照「とちぎの古城を歩く(下野新聞社)」、「宇都宮氏一族の城(宇都宮市教育委員会)」) |
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主な見どころ |
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↑多気山不動尊:適当な駐車場はここにしかないようです。鳥居をくぐるると参道、階段と続きます。 |
↑参道:階段を登り、城への道と続きます。不動尊も曲輪のひとつだったかも知れませんが、わかりません。 |
探訪年月 |
@H18・3 |
併設・周辺資料館 |
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参考見学所要時間 |
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お薦め度 |
私見 |
全山要塞化された山城で、全ての曲輪をまわろうと思ったらゆうに1日はかかると思われます。遠望と、その入口である多気不動尊のみで打ち切ってしまったので、次の機会には制覇したいと思います。遠目には比較的なだらかな稜線ですが、きっと苦戦を強いられることでしょう。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070402 |
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