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なんばたじょう |
難波田城 |
別称: |
所在地:埼玉県富士見市大字下南畑 |
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形状 |
○ |
平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
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平山城 |
ー |
国 |
ー |
山城 |
○ |
都道府県 |
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陣屋・館 |
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市町村 |
遺構 |
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建築物 |
天守閣 |
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現存 |
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石垣 |
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木造復原 |
○ |
土塁 |
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鉄筋復原 |
○ |
水堀 |
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復興 |
ー |
空堀 |
ー |
模擬 |
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(撮影年月 H17・7) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
土塁・水堀は復元 |
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アクセス |
公共 |
東武東上線志木駅下車後、東武バス下南畑行き終点から徒歩10分
東武東上線鶴瀬駅下車後、市内循環バス富士見高校行き終点から徒歩10分 |
車 |
国道463号線浦和所沢バイパスから県道川越新座線 |
ミニ情報 |
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地図情報 |
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城略史 |
難波田城は、中世に南畑地区を本拠としていた難波田氏が築いたといわれています。
難波田氏は、武蔵七党の一つである村山党に属する、金子氏の一族です。金子高範が鎌倉時代に居を構え、地名を名字としたのがはじまりと考えられています。その後難波田氏は、扇谷上杉氏の重臣として台頭し、難波田善銀は松山城の城代をつとめたとされています。善銀は北条氏との河越夜戦で落命したと伝えられています。難波田氏はその後、北条氏の家臣となり、志木や川越あたりに知行を与えられていましたが、豊臣秀吉の小田原攻めで主家が滅ぶと、徳川家の旗本となりました。
難波田城は、荒川と新河岸川の中間の湿地帯に築かれています。高低差のない低地で、築城に適した場所と考えられます。城に関しては中世の記録が一切ないため不明ですが、豊臣氏の小田原攻めの後に廃城になったようです。 |
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主な見どころ |
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↑復元土塁と水堀@:完全に埋没していたものから造り上げたので、わからなくもないが、完全に公園の池と化してしまった。城っぽい雰囲気が漂うといった表現が適当か? |
↑復元土塁と水堀A:このアングルだと、かろうじて堀に見える。しかし、際の辺りなど、公園として整備しすぎた(名称は難波田城公園だから、コンセプトどおりではあるが)。 |
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↑石碑:城跡を感じさせてくれる最良のものは、この石碑かもしれない。 |
↑難波田城復元模型(富士見市立難波田城資料館蔵):一部想像・推定の域は出ないものの、全体像はつかめる。戦国時代には珍しい、三重の水堀が大きな特徴である。 |
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↑難波田城まつり@:宅地にあるにもかかわらず、まつりでは火縄銃の演舞も行なわれる。子どもがあちこちで号泣してました。(探訪A) |
↑難波田城まつりA |
入場券・パンフ等 |
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難波田城公園施設案内:難波田城資料館の受付で入手可能。 |
難波田城のすべて(富士見市立難波田城資料館):平成18年春季企画展におけるパンフ。 |
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探訪年月 |
@H17・7AH18・6 |
併設・周辺資料館 |
城内に富士見市立難波田城資料館
開館時間:9時00分から17時00分
料金:無料
休館:月曜日、年末年始、休日の翌日
рO492ー53ー4664 |
参考見学所要時間 |
約1時間00分(資料館を含む) |
お薦め度 |
私見 |
完全に埋没していたところ、発掘調査の上、公園として蘇らせた。
完全に公園じゃないか、という厳しい意見を多かろうと思いますが(私もそう思います)、そのまま放置すれば宅地となり、あとかたも無くなっていたであろうから、ギリギリのところで遺構を保存できたのだと評価したいです。公園としては環境も良く、清潔で気持ちがいいのですが、もうひとつ欲を言うと、城跡としての整備を重視して欲しかった。まあ、「まつり」の様子を見る限り、人が集まる場所として成功したといえるのでしょうが。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070213 |
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