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ないとうしじんや
内藤氏陣屋
別称:栢間陣屋
所在地:埼玉県南埼玉郡菖蒲町大字栢間
形状 平城 史跡指定 国特別
平山城
山城 都道府県
陣屋・館 市町村
遺構 建築物 天守閣 現存
石垣 復原
土塁 外観復原
水堀 復興
空堀 模擬
陣屋跡(現栢間小)(撮影年月 H19・1)
現存建築物 国宝 なし
国重文 なし
都道府県指定 なし
市町村指定 なし
その他 裏門(菖蒲城に移築)
復元建築物 なし
アクセス 公共 JR高崎線桶川駅下車・東口から朝日バス菖蒲車庫行き「下栢間」下車すぐ
東北道久喜ICから桶川方向へ進み国道122号線を過ぎて栢間小を目標
ミニ情報 栢間小南側に案内板が設置されています
地図情報
城略史
 内藤氏が現在の地(栢間小学校)に陣屋をおいたのは、内藤四郎左衛門正成の時で1590年です。
 
内藤氏は、藤原秀郷流といわれ、応仁の頃に三河に移り住んだといわれています。義清のときに松平信忠・清康に仕え、孫の家長は関ヶ原の前哨戦伏見城で戦死しています。義清の子である忠郷の子が正成で、この内藤正成(つまり甚五左衛門の次子、義清の甥)は、家康十六神将の一人で、強弓の武功者でした。三河一向一揆の折には、敵対した舅石川氏の両膝を射抜き撃退したり、高天神城攻城戦では、敵の武田軍からもその射力を恐れられるような猛者であったといわれています。徳川家康の関東移封により、武蔵国栢間にて五千石を賜りました。しかし、その孫である内藤新五郎忠俊は1631年に改易となり、以後は正成の外孫にあたる内藤外記正重があとを継ぎ、明治まで続きました。
 当時の陣屋は、二重の堀を構えた立派なつくりであったようです。また知行地は、当初から5700石で、菖蒲町全体が9000石であることから、現在の菖蒲町のおよそ半分を支配していたとわかります。
(参照「現地案内板(菖蒲町教育委員会)」)
主な見どころ
↑内藤氏陣屋裏門:現在は菖蒲城(あやめ園)に移築保存されています。陣屋の裏門だけあって立派なものではありませんが、現存する武蔵の陣屋門として貴重です。 ↑内藤正成:ここを訪れるまで内藤正成(まさなり)の存在を知りませんでした。まだまだ勉強不足と反省した次第です。
探訪年月 @H19・1
併設・周辺資料館
参考見学所要時間 約0時間15分
お薦め度 私見   陣屋跡である栢間小学校には、何も遺構はないのでマイカーで探訪する以外、わざわざ見に来る価値はないようです。それよりも菖蒲城に移築されている陣屋門を見落とすことがないよう気を付けた方が良いでしょう。そして陣屋門を見学した後に、どうしても陣屋跡をこの目で見たいと思ったら、見に行くのが良いのではないでしょうか。
城郭ファン以外も必見
見逃せない対象です
城好きは行きましょう
予備知識がある方は・・
マニア向け
公式サイト
参考サイト
初版20070702
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