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みながわじょう |
皆川城 |
別称:螺貝城 |
所在地:栃木県栃木市皆川城内町字城山 |
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形状 |
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平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
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平山城 |
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国 |
○ |
山城 |
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都道府県 |
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陣屋・館 |
○ |
市町村 |
遺構 |
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建築物 |
天守閣 |
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現存 |
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石垣 |
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復原 |
○ |
土塁 |
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外観復原 |
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水堀 |
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復興 |
○ |
空堀 |
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模擬 |
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山頂本丸跡(撮影年月 H19・4) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
復元建築物 |
なし |
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アクセス |
公共 |
JR両毛線栃木駅下車後徒歩約1時間 |
車 |
東北道栃木ICから約3q |
ミニ情報 |
バスなし |
地図情報 |
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城略史 |
皆川城は標高147メートルの城山に築かれた皆川氏の本拠です。皆川氏は、小山氏の一族長沼氏の支族で長沼宗員が皆川荘に居館を構えてから皆川氏を称したそうです。元亨3年(1323)宗常は鎌倉幕府執権北条高時に背いて自害し皆川氏は断絶しました。この皆川氏を第一次皆川氏といいます。今に残る皆川城を本拠としたのは第二次皆川氏です。この皆川氏は秀宗を祖とし室町時代・戦国時代を生き抜いていきます。天正12年(1584)皆川広照は、小田原北条氏に攻められ北条氏に与します。天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの際には、小田原城に馳せ参じ籠城します。城主不在の皆川城は落城しますが、秀吉に投降したため助命され、皆川城に代わるものとして栃木城を築いたようです。慶長14年(1609)皆川氏は徳川家康により領地を没収されました。しかし大阪夏の陣に加担し、家光によって再び取り立てられ、常陸国府中に1万石を与えられました。
(参照「とちぎの古城を歩く(下野新聞社)」) |
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主な見どころ |
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↑城跡遠望:山城といっても、高く急峻な山ではないので気楽な気持ちで登ることが出来ます。整備状況も良好です。 |
↑追手筋:向こうにちょこんと頭を出しているのが城跡。追手筋は舗装された現代の道路になっていますが、城へ向かってまっすぐのびています。 |
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↑居館跡:山麓部に残る居館跡は方形で、土塁も残り説明書きが無くても、それとわかるくらいに良好な状態です。せっかくですので平面表示などもされていれば素晴らしいのにと思います。 |
↑曲輪@:下から見上げると、曲輪が段々になっているのがよくわかります。 |
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↑曲輪A:横から見ても、やはり段々になっているのがわかります。見ていて興味深くおもしろいです。 |
↑空堀:上下の曲輪の間には、写真のような空堀も存在し、標高は低いですが、凹凸を付けることで攻められにくくしています。 |
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↑虎口:小規模ながら、部分部分には虎口も見られ、相当守りをかためた城であったことが想像できます。 |
↑竪堀@:下から見上げたものです。竪堀の数は少ないようです。 |
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↑竪堀A:上から見たところです。竪堀自体も左右に折れ曲がり、ここを登ってくることは不可能に近いことだろうと思われます。 |
↑山腹からの眺望:眺めは良好です。気分爽快。東屋は風が抜けて昼寝にちょうど良いのです。 |
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↑井戸:山腹に現存する井戸。ちゃんと保存しないと危険です! |
↑本丸からの眺望:栃木市街方向です。眺望は素晴らしく、物見は最高であったろうと思われます。 |
探訪年月 |
@H19・4 |
併設・周辺資料館 |
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参考見学所要時間 |
約1時間00分 |
お薦め度 |
私見 |
山城といっても、規模がそれ程大きいわけではありません。しかし、見学の際には邪魔になる木々が伐採されており、非常にわかりやすくなっています。山麓の居館部とセットで探訪して、教科書的な山城として城ビギナーにもお奨めです。またトイレや階段なども整備されているので、家族連れにも楽しめる山城となっています。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070929 |
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