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みぶじょう |
壬生城 |
別称:馬蹄城 |
所在地:栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目 |
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形状 |
○ |
平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
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平山城 |
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国 |
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山城 |
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都道府県 |
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陣屋・館 |
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市町村 |
遺構 |
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建築物 |
天守閣 |
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現存 |
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石垣 |
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木造復原 |
○ |
土塁 |
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鉄筋復原 |
○ |
水堀 |
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復興 |
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空堀 |
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模擬 |
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現存土塁と水堀(撮影年月 H17・7) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
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アクセス |
公共 |
東武宇都宮線壬生駅下車後徒歩15分 |
車 |
北関東自動車道都賀ICまたは壬生IC |
ミニ情報 |
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地図情報 |
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城略史 |
壬生城は、黒川と思川に挟まれた台地上に築かれた平城です。寛正3年(1462)壬生氏二代綱重が築城したといわれているが確証はない。壬生氏は、京都下級公家の小槻氏の末裔とされている。初代胤業が武家としての家を興したとされているが、宇都宮氏の被官として徐々に台頭してきたようである。後に小さいながらも(石高換算で3万石とも4万石ともいう)戦国大名化し、宇都宮氏の乗っ取りを企んだり、後北条氏側につき宇都宮氏を攻撃したりした。しかし、豊臣秀吉の小田原攻めに北条方として参陣し、直後に跡継ぎ無く病死したため、戦後所領を没収され、壬生氏は滅亡した。
壬生氏の領地は結城秀康に引き継がれ、城は一時廃城となったが、関ヶ原合戦後に日根野吉明が1万石余で入封し、阿部忠秋、三浦正次、松平輝貞、加藤明英と城主は続き、正徳2年(1712)鳥居忠英が3万石で入封してからは、幕末まで鳥居氏7代の居城として存続した。
明治4年、廃藩置県直後の入札で城は払い下げられ、明治6年の城郭存廃決定を待たずに廃城となった。現在遺構としては、追手門南側に櫓台と堀が、本丸跡には土塁と堀が現存している。 |
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主な見どころ |
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↑改修前の堀(現地案内板):改修前のほうが、古城らしく良いと思うのは私だけではないはずです。どうせ整備するなら・・・と残念でありません。むしろ破壊とさえ言われかねません。 |
↑現存水堀と土塁:土塁の保護のために草木で法面の補強をするのはやむを得ないとして、堀の石垣は全く理解できません。なぜ、このような改修となってしまったのでしょうか。 |
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↑土塁:本丸跡にはご覧のような立派な土塁が現存しています。わけのわからない石垣もなく、ここでは良好に保存されているといえます。 |
↑本丸跡:公園化されています。敷地内に歴史民俗資料館が設けられていますが、探訪時は、あいにくの休館でした。 |
探訪年月 |
@H17・7 |
併設・周辺資料館 |
城内に歴史民俗資料館
料金:無料(常設展)
休館:月曜日、火曜日午前
0282-82-8544 |
参考見学所要時間 |
約0時間30分(資料館を除く) |
お薦め度 |
私見 |
みごとに公園と化しています。土塁は、比較的保存状態が良く、特に本丸内からだと不自然にいじられてなくて良い感じですが、水堀には石垣が築かれて台無しになっています。このようなものを見ると、城ファン以外の人には勘違いさせてしまうので、私は好きではありません。保存や安全面の見地から見ても、他に方法はいくらでもあるはずです。
資料館は、休館で非常に心残りでした。できたら、再訪して見学したいと思います。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070221 |
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