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きさいじょう |
騎西城 |
別称:私市城 |
所在地:埼玉県北埼玉郡騎西町根古屋 |
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形状 |
○ |
平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
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平山城 |
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国 |
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山城 |
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都道府県 |
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陣屋・館 |
○ |
市町村 |
遺構 |
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建築物 |
天守閣 |
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現存 |
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石垣 |
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復原 |
○ |
土塁 |
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外観復原 |
ー |
水堀 |
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復興 |
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空堀 |
○ |
模擬 |
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模擬天守(撮影年月 H19・1) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
復元建築物 |
模擬天守 |
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アクセス |
公共 |
東武伊勢崎線加須駅からバス鴻巣行「根古屋」下車すぐ |
車 |
東北道加須ICから国道125号線・県道加須鴻巣線で騎西町役場方向 |
ミニ情報 |
模擬天守の立つ場所は城跡と全く関係ありません |
地図情報 |
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城略史 |
騎西城は、いつ誰の手による築城であるかは不明ですが、康正元年(1455)、上杉・長尾・庁鼻和氏などが守る城を、古河公方足利成氏が攻略したのが初見です。永禄6年(1563)には小田助三郎が守る騎西城を上杉輝虎(謙信)が攻め落としています。
徳川家康が天正18年(1590)に関東にはいると、松平康重が2万石で城主となります。康重は大英寺(騎西)を開基し、保寧寺に寺領を与えています。その後、大久保忠常・忠職父子が城主となり、城下町騎西の再編を行いました。寛永9年(1632)、忠職が美濃加納へ移封となり廃城となりました。
(参照「現地案内板」) |
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主な見どころ |
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↑現地案内板:現在は田畑が広がる地帯ですが、当時は水堀というか湿地帯でした。忍城をも凌駕する名城であったようです。 |
↑騎西之絵図:現地案内板からの抜粋。大久保氏が在城した慶長7年(1602)から寛永9年(1632)頃の城下を描いたものだそうです。つまり廃城直前の姿ということですね。 |
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↑江戸初期絵図:こちらも現地案内板から抜粋したものです。やはり廃城直前の姿かと思われます。 |
↑城下橋:城から北へかかる橋の跡です。 |
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↑大手門跡:城の大手門で唯一の出入り口であった。いまは畑で面影は何もありません。門は冠木門であったと推定されています。(案内板写真番号@) |
↑土塁@:現存する貴重な唯一の遺構である土塁。向こうに模擬天守が見えますが、その位置はいい加減なものです。(案内板写真番号A) |
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↑土塁A:やや高さが低くなった部分から写真手前方向の土塁は後世の復元です。ということは、オリジナルの土塁は土のかたまり程度だということです。しかし正直に、現地案内板にも記載されていて素晴らしい姿勢です(あたりまえか)。 |
↑模擬天守:どうしてこんなもの建ててしまったのか・・・。(案内板写真番号B) |
探訪年月 |
@H19・1 |
併設・周辺資料館 |
模擬天守は郷土資料展示室
内部は事前予約限定の公開であるようです。詳細は騎西町に直接問い合わせた方が無難なようです。 |
参考見学所要時間 |
約0時間30分(資料館を除く) |
お薦め度 |
私見 |
現在立つ模擬天守は、史実と全く関係ないばかりか、その位置も水堀であった場所です。それよりも貴重な遺構である土塁を見逃さないようにしましょう。またアクセスは、町役場が近いので公共の便もそれほど悪くありませんが、他の城にも探訪することを考え自動車での探訪をおすすめします(きっとここだけでは満足できないでしょうから)。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070707 |
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