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かわごえやかた
河越館
別称:
所在地:埼玉県川越市大字上戸
形状 平城 史跡指定 国特別
平山城
山城 都道府県
陣屋・館 市町村
遺構 建築物 天守閣 現存
石垣 復原
土塁 外観復原
水堀 復興
空堀 模擬
(撮影年月 H19・6)
現存建築物 国宝 なし
国重文 なし
都道府県指定 なし
市町村指定 なし
その他 なし
復元建築物 なし
アクセス 公共 東武東上線霞ヶ関駅下車後徒歩10分
関越道川越ICから
ミニ情報 常楽寺の駐車場を利用
地図情報
城略史
 河越館は、平安時代の終わり頃から南北朝時代の中頃までの約200年間のあいだ、武蔵国で大きな勢力を誇った河越氏の居館跡です。河越氏は、桓武平氏秩父氏の流れをくむ一族で、平安時代の終わり頃、この地に居館を構え河越氏を名乗りました。治承4年(1180)源頼朝が伊豆で挙兵すると、はじめ敵対しましたが、後に御家人となって平氏討伐軍に参戦します。このころ、河越氏は重頼の娘が義経の妻になっていたことから、頼朝と義経が仲違いし争いとなると、重頼らは滅ぼされ、一時河越氏の勢力は衰えます。しかし鎌倉時代の中頃経重のときにはかつての勢力を回復しつつありました。応安元年(1368)、突然河越氏や高坂氏らは鎌倉府に反旗を翻しますが、あえなく破れてしまい、河越氏は歴史の表舞台から姿を消してしまいました。
(参照「現地案内板(川越市教育委員会)」)
主な見どころ
↑居館跡:発掘調査もなされたようですが、現在はただの空き地とかしています。せっかくの史跡ですので、歴史的に誤り無く、また誰にでも興味も持たれるような整備を期待します。 ↑西側土塁:河越館の土塁は、いずれも河越氏時代オリジナルのものではなく、山内上杉氏と扇谷上杉氏の争いで陣城を築いた跡だということです。
↑北側土塁:土塁の跡は、埋もれたのか削れたのか低いものです。 ↑常楽寺:居館の端は、常楽寺という寺院になっています。特別な見所があるわけではないのですが、この寺院のおかげで現代まで遺構が残ったのでしょう。
探訪年月 @H19・6
併設・周辺資料館
参考見学所要時間 約0時間30分
お薦め度 私見   これほど放置された国指定の史跡も珍しいのではないでしょうか?正直言って、ただの空き地でです。案内板と、通りから離れて現存する土塁がなければ、全く気づかないでしょう。せっかくの史跡なのですから、それにふさわしい整備をしていただきたいと、強く願います。国の史跡だからといって、探訪された方もがっかりしないでくださいね。
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参考サイト
初版20071027
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