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からさわやまじょう
唐沢山城
別称:
所在地:栃木県佐野市富士町
形状 平城 史跡指定 国特別
平山城
山城 都道府県
陣屋・館 市町村
遺構 建築物 天守閣 現存
石垣 復原
土塁 外観復原
水堀 復興
空堀 模擬
天狗岩からの眺望(撮影年月 H19・5)
現存建築物 国宝 なし
国重文 なし
都道府県指定 なし
市町村指定 なし
その他 なし
復元建築物 なし
アクセス 公共 東武佐野線田沼駅下車後徒歩30分
東北道佐野藤岡ICから約8q
ミニ情報 駐車場完備、レストハウスもあります
地図情報
城略史
 唐沢山城の築城年代などは明らかでないが、伝承によれば、藤原秀郷天慶3年(940)から築城したといわれています。藤原秀郷は平将門の乱を平定した一人で、その功績により下野国に勢力を張り、小山・足利・結城・佐野などの諸氏は後裔であるとされています。
 平安時代後期に廃城となりましたが、
治承4年(1181)足利信綱の弟・足利成俊が佐野荘司と称して、廃城となっていた唐沢山城を居城として再興しました。基綱佐野氏を称し、代々唐沢山城を居城としました。鎌倉時代、一時三浦一族の乱に巻き込まれ衰退しましたが、戦国時代になると威勢を回復します。佐野氏中興の祖・盛綱以降勢力を拡大しますが、小田原北条氏と越後上杉氏に挟まれ、しばしば攻撃を受けます。特に上杉謙信は、永禄4年(1561)以降天正2年(1574)まで10回にわたって攻撃しています。謙信没後は、北条氏と佐竹氏の間で戦い、佐野宗綱が討ち死にしてからは北条氏の支配となりました。豊臣秀吉の小田原攻めの際には、宗綱の弟・佐野房綱が従軍し戦功があり、旧領を回復しました。現在見られる石垣などは、この房綱の時代に築かれたものであるといわれています。そして諸説ありますが、唐沢山城は慶長7年(1602)廃城となり、佐野氏の居城は麓の春日岡城へと移りました。
(参照「とちぎの古城を歩く(下野新聞社)」)
二の丸までの主な見どころ
本丸までの主な見どころ
入場券・パンフ等
唐沢山城から佐野城(春日岡城)へ(佐野ユネスコ協会発行):公園内の万葉の里城山記念館に見本があり、佐野駅南側すぐコンビニ脇の本屋で取り扱いをしています。佐野城だけでなく、唐沢山城の内容も網羅し、非常に密度の濃いお奨めの一冊です。1000円。 唐沢山城跡案内図:駐車場脇のレストハウスで無料で配布されている案内図です。あるとないでは大違いですので、是非探訪前にゲットしてください。
探訪年月 @H14・10AH19・5
併設・周辺資料館
参考見学所要時間 約1時間00分
お薦め度 私見   関東七名城のひとつに数えられていますが、その名に恥じぬ素晴らしい城です。江戸まで眺望がきいたというのも、あながち嘘ではないかと思います。現存する石垣は、貴重な遺構であり、江戸時代のごく初期に廃城になったにもかかわらず、状態も良好です。散策にも向いていますし、秋の見学がおすすめです(観光客も増えますが)。
城郭ファン以外も必見
見逃せない対象です
城好きは行きましょう
予備知識がある方は・・
マニア向け
公式サイト
参考サイト
初版20071007
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