トップ>メニュー>中部地方>金沢城金沢城の見どころ1(外周)金沢城の見どころ2(公園内)
かなざわじょう
金沢城
  「金沢城の見どころ2」では石川門から金沢城内に入り、それぞれの曲輪や、貴重な現存建築物、そして近年復元された菱櫓等の見どころをくまなく紹介いたします。
主な見どころ
↑石川門:国重要文化財。天明8年(1788)に再建されたものです。搦手門ですが、現存しているし、兼六園にも接しているので、ここから入城する人がほとんどのようです。名称の由来は石川郡に向いているから。 ↑石川門(石川)櫓:一の門左側にそびえる二層二階の櫓。セットとしての石川門の一部ですが、明らかに櫓です。この厳重さは、いかにこの門が重要であったかを如実にものがたっています。
↑石川門石垣@:天下普請の城ではないので、諸大名の刻印ではなく、家臣の刻印であろう。 ↑石川門二の門:櫓門形式。切り込みハギの石垣がとても美しいです。
↑石川門石垣A:左右で積み方の異なる珍しい光景。修復時にこのようなことになったと言われています。 ↑三の丸:石川門をくぐると三の丸に出ます。三の丸は二の丸に連なる菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓の美しく見える場所です。
↑土橋門跡:三の丸へ入るもう一つの門が土橋門。新丸・北の丸経由で三の丸に至ります。こちらも往事は枡形門の厳重な形式でした。 ↑橋爪門(一の門):復元された橋爪門は一の門で、実際は枡形門で二の門も存在したのであり、復元されたものとは異なります。現在は鶴の丸へ抜ける役割のようになっていますが、古地図みてもわかるように、本来は二の丸への入口となっています。
↑裏門跡:橋爪門とならび二の丸へ至る門。土橋門から三の丸に入れば、必然的にここから二の丸へ至ることになります。 ↑切手門:現存する貴重な建築物。二の丸へ向かう裏口の門。太平の世にはこの門をくぐって登城したのでしょうか?
↑菱櫓・五十間長屋・橋爪門@(三の丸から):これらの櫓群は二の丸を防備するための二の丸の施設ですが、三の丸から見るのが一番美しいです。一番手前は菱櫓で、その名の通り菱形をしているのですが、写真ではわかりにくいです。 ↑菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓石垣A(三の丸から)
↑二の丸:金沢城の中枢は、ここ二の丸にありました。見所である菱櫓等への入口は二の丸にあります。 ↑菱櫓内部@:二の丸で一番高い三層の櫓で、その名の通り菱形をしています。写真は1階部分。
↑菱櫓内部A:最上部。外が見やすいように階段が設けられています。窓が非常に高い位置にあるのです。だから本来もあったのかも知れませんがわかりません。 ↑菱櫓からの眺め:手前は石川門。兼六園方向がよく見えます(写真右側)。写真でも台地の連なりが良く分かると思います。
↑五十間長屋内部:菱櫓と橋爪門続櫓を結ぶ二重の多聞櫓です。この区画は非常に厳重な構えになっていて、ただ驚くばかりです。 ↑橋爪門続櫓内部:二の丸大手である橋爪門を守る三層櫓です。橋爪門は枡形門であったので、さらに櫓が付くというのは非常に厳重な構えです。
↑極楽橋:二の丸(左)と本丸付壇(右)を結ぶ橋。ここは元から空堀であったようです。 ↑三十間長屋:極楽橋を渡り付壇へ入ると、現存建築物で国の重文である三十間長屋があります。実際の長さは二十六間です。二層二階の多聞櫓で、安政5年(1858)に築かれたものです。
↑鉄門跡:二の丸(本丸付壇)と本丸を結ぶ門跡。鉄板を貼った扉がつけられていたのでその名があります。 ↑本丸:金沢御堂(尾山御坊)のあった場所といわれています。前田利家が入城し天正14年(1586)頃には天守閣が設けられたようです。天守閣は慶長7年(1602)に焼失して以降、三階櫓が代用として建てられました。しかし、ここまで足を運ぶ観光客も少ないようです。
↑本丸戌亥櫓跡:本丸の北西角にあった二層の櫓跡。宝暦の大火(1759)の後は再建されませんでした。 ↑戌亥櫓からの眺め:少し上から見る復元櫓群も美しく素晴らしい。
↑本丸丑寅櫓跡:本丸の東北角にあった櫓跡。その石垣は城内最古のもので、野面積みである。 ↑本丸辰巳櫓跡からの眺め:本丸東南角にあった櫓であったが、宝暦の大火以降は再建されませんでした。また土台の石垣も取り壊されてしまったため、現在はその名残もありません。
↑東の丸:本丸の東側にある曲輪ですが、本丸と一体となっており、どこが境目なのかよくわかりません。鬱蒼としているので、なおさらです。 ↑東の丸北面石垣@
↑東の丸北面石垣A:この付近の石垣は、文禄元年(1592)、前田利家が入城まもなく改修したもので、金沢城初期の石垣として貴重な遺構です。金沢城では野面積みがむしろ新鮮に見えます。 ↑鶴丸倉庫:数少ない現存建築物のひとつ。東の丸付壇に建つにもかかわらず、名称が鶴丸であり、趣も石川門などと異なることから、明治以降の建築物と考えられていましたが、金沢藩から引き継いだ建物であるとの記録が見つかり、現在は江戸後期に建築されたと考えられています。
初版20070305
金沢城の見どころ1(外周)
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