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かなやまじょう
金山城
別称:
所在地:群馬県太田市金山町
形状 平城 史跡指定 国特別
平山城
山城 都道府県
陣屋・館 市町村
遺構 建築物 天守閣 現存
石垣 木造復原
土塁 鉄筋復原
水堀 復興
空堀 模擬
大手虎口(撮影年月 H17・3)
現存建築物 国宝 なし
国重文 なし
都道府県指定 なし
市町村指定 なし
その他 なし
アクセス 鉄道 東武伊勢崎線太田駅下車後徒歩30分
東北道館林ICから国道354号線
ミニ情報 山頂付近まで車でアクセスできます
地図情報
城略史
 金山に築かれた金山城は文明元年(1469)、新田氏(源氏)の後裔である岩松家純が家臣である横瀬氏に築城させたことに始まる。「関東七名城」のひとつ。
 下克上で横瀬氏が実質的な支配者となり、由良と姓を改め全盛時代となる。上杉謙信や、武田・佐竹などの強敵からもよく守ったが、天正12年(1584)由良国繁が北条氏の小田原城に軟禁されてからは北条氏の城番が入った。天正18年(1590)小田原攻めによる北条氏の滅亡に伴い廃城となった。
 金山は徳川氏の直轄地になったことから現在まで遺構も壊されず、関東には珍しい石垣のある山城としてその存在価値は大きいといえる。
主な見どころ
↑登城口から大堀切まで(丸数字は写真に対応)
↑@登城口この場所まで車で登って来られます。私は楽をしてしまいました。 ↑A西矢倉台西堀切本丸まで4ツある堀切のうち、一番西寄りのもの。堀底に石を敷いて通路として利用されていた。
↑B西矢倉台下堀切本丸までの2番目にあたる堀切で規模は小さい。ここの堀切は堀底は通路として使用された形跡はない。断面は逆ハの字から底は凹型となっており登りにくい構造となっている。 ↑土橋
↑C堀切:本丸まで3番目にあたる堀切で土橋付近にある。岩盤を切り崩したものでこの堀切を越えるのはまず不可能。 ↑D竪堀と土塁石垣石敷き通路の下は大きな竪堀が現存する。そして竪堀の脇を土塁石垣が守り見るだけでも堅固さがわかる。
↑E物見台:物見台は石垣の基盤で4ツの柱穴が発掘されている。しかしどうせ物見台を復元するならもう少し場に合うものにしていただきたい。 ↑物見台からの眺め:この日はよく晴れた日であったので眺望が抜群であった。
↑石塁1:物見台の基盤と一体となっている幅1、2mの石塁。発掘調査では石塁の上に何が築かれていたのかは判明しなかった。 ↑石塁2物見台から石塁をみたもの。矢印の路面が赤く塗装された部分はなにかしらの建物が建てられていた場所である。
↑大堀切と馬場曲輪:左に柵が見えるのが馬場曲輪で右が本丸まで最後の堀切である。馬場曲輪にはおよそ240もの柱跡が見つかっている。 ↑F大堀切:本丸に近いため特に大規模に作られている堀切。堀底には動きを妨げるため石積み畝状の防御施設が築かれている。
↑大手虎口から本丸まで(丸数字は写真に対応)
↑G月の池:大手虎口手前にあるため池。 ↑H大手虎口虎口を過ぎると写真のとおりつきあたり左右に進まざるを得ない構造となっている。
↑掘立小屋:虎口の一段高い位置にある小屋。こんなに立派ではなかったでしょうが。 ↑I日の池:虎口をぬけると、山上とは思えないような大きくて石造りの池が現れる。往時のままの姿を可能な限り復元しているというが、生活用水だけでなく戦勝祈願などの儀式にも利用されたのではないかと想像される。
↑J本丸:本丸の天守曲輪と呼ばれる場所には現在新田神社が鎮座している。 ↑本丸からの眺望:さすが難攻不落を誇るだけあり眺望はどちらの方向からも抜群である。
探訪年月 @H17・3
併設・周辺資料館
参考見学所要時間 約1時間30分
お薦め度 私見   中世から戦国末期の山城であり、果たして復元された石垣が実際にどの程度あったのか疑問ではあるが、山城に興味の無い人にも好きになるきっかけになるかもしれないという点では探訪価値がある。それはおいておいても、山城としての特徴である堀切や竪堀、郭の構造も見てわかりやすいので是非探訪をお薦めしたい場所です。
城郭ファン以外も必見
見逃せない対象です
城好きは行きましょう
予備知識がある方は・・
マニア向け
公式サイト
参考サイト
初版20061227
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