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いわつきじょう
岩槻城
別称:白鶴城、竹来城、浮城
所在地:埼玉県さいたま市岩槻区太田
形状 平城 史跡指定 国特別
平山城
山城 都道府県
陣屋・館 市町村
遺構 建築物 天守閣 現存
石垣 木造復原
土塁 鉄筋復原
水堀 復興
空堀 模擬
移築保存された「黒門」(撮影年月 H16・5)
現存建築物 国宝 なし
国重文 なし
都道府県指定 なし
市町村指定 黒門・裏門
その他 なし
アクセス 鉄道 東武野田線岩槻駅下車後徒歩
東北自動車道岩槻ICから15分
ミニ情報 石碑が点在しているので歩きがベスト
地図情報
城略史  長禄四年(1457)、太田道灌が父道真の協力を得て、古河公方に対する拠点として築かれたがといわれる。
  北条氏との争いのなかで、永禄七年(1564)に北条氏康に乗っ取られた。しかし、豊臣秀吉の小田原征伐で攻撃後わずか3日の天正18年5月22日に開城、徳川氏の関東入封後は徳川譜代が城主となった。
 幕末時は新政府軍に恭順し、明治六年、建物を払い下げ取り壊した。
 遺構として、門2棟が本来とは別の位置に現存しており、また土塁や空堀が当時の面影を伝えている。
主な見どころ
↑現地案内板:岩槻城はこの図のように元荒川を北に控え広大な城域を持っていた。現在は本丸南東部のごく一部が公園となっている。 ↑裏門:黒門同様、移築保存されている裏門。こうしてみると城門のようには見えない。侍屋敷の門であった可能性もある。
↑空堀:よく整備されていて堀の底を快適に歩くことができる。もう少し樹木を刈ると、堀の遺構がよく見えて良いと思うが・・・。 ↑堀障子:岩槻城にも、北条氏特有の畝を設けた障子堀が発見されている(残念ながら埋め戻されており、実際には見ることができない)。
山中城のように一部盛土して、その特徴が分かるようにしてあると城ファンの心も掴めるだろうに。
探訪年月 @H6・3AH16・5
併設・周辺資料館
参考見学所要時間 約1時間00分
お薦め度 私見   現存建築物や、空堀など見所はそれなりのあるので、少しは期待して探訪しても大丈夫。城跡は公園になっており、城跡の規模はもちろん往事に比べて、極小さいが、水堀であった池など、雰囲気はしっかりと今に伝えられているといえる。
城郭ファン以外も必見
見逃せない対象です
城好きは行きましょう
予備知識がある方は・・
マニア向け
公式サイト
参考サイト
初版20061200
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