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はちおうじじょう |
八王子城 |
別称: |
所在地:東京都八王子市元八王子 |
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形状 |
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平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
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平山城 |
○ |
国 |
○ |
山城 |
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都道府県 |
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陣屋・館 |
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市町村 |
遺構 |
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建築物 |
天守閣 |
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現存 |
○ |
石垣 |
○ |
木造復原 |
○ |
土塁 |
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鉄筋復原 |
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水堀 |
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復興 |
○ |
空堀 |
ー |
模擬 |
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曳橋(撮影年月 H17・12) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
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アクセス |
鉄道 |
JR中央線高尾駅下車後徒歩30分(麓まで) |
車 |
中央自動車道八王子ICから |
ミニ情報 |
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地図情報 |
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城略史 |
八王子城は北条氏関東支配の拠点である。北条氏三代氏康の時、西武蔵の支配に成功し、次男氏照が武蔵守護代大石氏の養子となり八王子城を築城した。
といっても、当初氏照は滝山城を居城としていた。しかし、永禄12年(1569)武田氏の攻撃により落城寸前となったことから滝山城を放棄し、新たに八王子城を築いたといわれている。
天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐に伴い、八王子城も上杉軍や前田軍の北陸部隊に攻められ、城はわずか1日で陥落した。これほど大規模な山城でも、もはや豊臣方の攻撃に耐えることはできなかったのである。山中城とまったく同じケースではないが、ともに1日で陥落したことを思うと時代の大きな転換期であったことは間違いないであろう。 |
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主な見どころ |
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↑石碑:山麓に建ち、ここを起点に山登りが始まります。 |
↑現地案内板:図の黄色い部分はなんらかの曲輪です。全山要塞化されていたことが良くわかります。 |
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↑大手道:城山川南側の道で主殿からは対岸にあたる。 |
↑橋台石垣と曳橋:橋はもちろん復元された物。石垣も積み直された物であるが、戦国の山城のイメージを彷彿とさせる素晴らしい復元言えるのではないでしょうか。 |
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↑曳橋:実際はもう少し西側(写真では左側)に橋がかかっていたそうです。橋を渡ると右へ90度曲がります。 |
↑御主殿虎口@:橋から主殿まで「コ」の字に作られ、高低差は9メートル。しかも建設当時は石敷であったというから驚き。 |
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↑御主殿虎口A:階段をさらに登ると、主殿に達する。この辺りの風景はまるで安土城に彷徨い込んだかのよう。 |
↑主殿入口:主殿には冠木門が建ち、周囲を木塀が囲む。それなりの雰囲気を出している。 |
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↑主殿:内部は割合広い空間で、ここに中枢機関があったのであろう。南向きであり、谷間にもかかわらず日当たりがよい。 |
↑石垣@:主殿の裏側、中腹には八王子城の大きな見所の一つである石垣群が残る。そびえ立つものではなく、低い石垣が何段にも分かれて層をなすものであるが、その技術には目を見張る。 |
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↑石垣A |
↑あしだ曲輪:主殿の北東に位置する。2,3段の曲輪からなり、館や倉庫が建ち並んでいたと思われる。 |
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↑小さな曲輪群が段々に連なる。 |
↑金子丸:大手登城口最前線の曲輪群 |
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↑伝小宮曲輪 |
↑本丸:城内最高所にあるが、木々に遮られ展望は望めない。敷地は非常に狭い。 |
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↑眺望:関東平野が見渡せる。ここの風景を手に入れると、ここを本拠にして関東制覇したくなるのが人情ではないだろうか。それ位素晴らしい眺め。 |
探訪年月 |
@H17・12 |
併設・周辺資料館 |
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参考見学所要時間 |
約3時間00分(詰めの城含まず) |
お薦め度 |
私見 |
山麓の居館部は整備され見学しやすいが、山頂部へは、特に石垣を見るとなると案内表示が無く、大変心もとない。地図を片手に登城しなければ無理である。いくら山城でも折角の国史跡があまりに人を寄せ付けない雰囲気となっていて不親切である(あくまで石垣群を見学することに関して)。
基本的に山登りをする気持ちで行けば間違いないでしょう。夏は行ったことがありませんが、考えただけでもきつそうです。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20061214 |
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