|
トップ>メニュー>関東地方>足利基氏館 |
あしかがもとうじやかた |
足利基氏館 |
別称: |
所在地:埼玉県東松山市大字岩殿字油免 |
|
形状 |
ー |
平城 |
史跡指定 |
ー |
国特別 |
ー |
平山城 |
ー |
国 |
ー |
山城 |
ー |
都道府県 |
○ |
陣屋・館 |
○ |
市町村 |
遺構 |
ー |
建築物 |
天守閣 |
ー |
現存 |
ー |
石垣 |
ー |
復原 |
○ |
土塁 |
ー |
外観復原 |
ー |
水堀 |
ー |
復興 |
○ |
空堀 |
ー |
模擬 |
|
(撮影年月 H19・1) |
|
現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
復元建築物 |
なし |
|
アクセス |
公共 |
東武東上線高坂駅下車徒歩30分、またはバス停「こども動物自然公園」下車すぐ |
車 |
東北自動車道東松山ICからすぐ |
ミニ情報 |
|
地図情報 |
|
|
城略史 |
足利基氏は、室町幕府初代鎌倉公方です。足利尊氏次男として歴応3年(1340)に生まれました。兄の義詮が2代将軍となり、基氏は鎌倉府のトップとして君臨したのでした。
この館は、貞治2年・天平18年(1362)に反乱を起こした芳賀高貞(宇都宮氏一族)と、いわゆる岩殿山合戦を行ったときに布陣した場所で、本陣が置かれた可能性が高いと思われます。しかし、基氏の滞陣は長期に及ばず、すぐに下野国に陣を進めています。そのためこの館は、合戦の時に基氏が築いたのではなく、地元豪族が造った館を陣地として利用したと思われます。
(参照「現地案内板(松山市教育委員会)」) |
|
主な見どころ |
|
|
↑堀跡:現在は畑になってしまい、一見して堀とはわからないのですが、言われてみるとそんな感じもします。奥の藪は物見台ですです。 |
↑現地案内板:付近の実測図があって、探訪には非常に手助けになります。この北側はゴルフ場となっており、カートが走ります。残念で仕方ありません。 |
探訪年月 |
@H19・1 |
併設・周辺資料館 |
|
参考見学所要時間 |
約0時間30分 |
お薦め度 |
私見 |
非常に高いネームバリューの付いた館跡ですが、案内板の説明版を読む限り、鎌倉公方が継続的に使用した館ではなく、一時の陣城であるようです。むしろ逆に、初代鎌倉公方が滞陣したために、こんにちまでその遺構と名前が残ったというところでしょうか。まあなんてことはない館跡ですが、おそらく南北朝時代からの遺構ではないかと考えると、実にロマンのある話です。 |
ー |
城郭ファン以外も必見 |
ー |
見逃せない対象です |
ー |
城好きは行きましょう |
ー |
予備知識がある方は・・ |
○ |
マニア向け |
|
|
初版20070629 |
戻る |