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あかつかじょう |
赤塚城 |
別称: |
所在地:東京都板橋区赤塚 |
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形状 |
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平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
○ |
平山城 |
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国 |
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山城 |
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都道府県 |
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陣屋・館 |
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市町村 |
遺構 |
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建築物 |
天守閣 |
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現存 |
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石垣 |
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復原 |
○ |
土塁 |
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外観復原 |
○ |
水堀 |
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復興 |
○ |
空堀 |
ー |
模擬 |
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本丸跡(撮影年月 H19・1) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
復元建築物 |
なし |
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アクセス |
公共 |
都営三田線西高島平駅下車後徒歩13分
東武東上線下赤塚駅下車後徒歩23分
東武東上線成増駅北口より国際興業バス(赤羽行・志村車庫行)「赤塚八丁目」下車後徒歩8分 |
車 |
首都高速5号線高島平ランプからすぐ |
ミニ情報 |
駐車場がありませんので注意 |
地図情報 |
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城略史 |
赤塚城は、康正2年(1456)に千葉自胤(よりたね)が入城したと伝えられています。千葉氏は桓武平氏良文流で、古代末期から中世、戦国時代末に至るまで関東の豪族として栄えました。古河公方足利成氏と関東管領上杉氏の享徳の大乱に巻き込まれました。そして足利成氏に攻められた千葉実胤・自胤兄弟は、それまでの市川城を逃れ赤塚城と石浜城へ入りました。この自胤から始まる千葉氏を武蔵千葉氏といいます。寛正4年(1468)、兄実胤の跡を継いだ自胤は、太田道灌に従って各地を転戦し現在の足立区・和光市・さいたま市(大宮)などに所領を獲得しました。その後、この武蔵千葉氏は赤塚の支配強化に努めましたが、天正18年(1590)秀吉の小田原征伐」により滅びました。
(参照「現地案内板(板橋区教育委員会)」) |
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主な見どころ |
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↑赤塚公園の池:釣りをしている人がいたりして、雰囲気はごく普通の公園の池ですが、これが赤塚城水堀の跡だそう。位置的にはそうなのかもしれませんが、信じられません。 |
↑本丸への道:さすが平山城です。低いが結構な上り坂です。 |
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↑本丸跡:中世の平山城とは思えないほど、広大な敷地面積です。木々が眺望を邪魔して残念ですが・・・。 |
↑土塁など@:城の裏側は、公園側と様子を全く変え、まさに城跡の雰囲気です。土塁も良好に現存します。 |
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↑土塁などA |
↑新藤楼玄関:中山道板橋宿にあった遊郭の玄関が移築保存されています。 |
探訪年月 |
@H19・1 |
併設・周辺資料館 |
板橋区立郷土資料館
開館時間:9時30分から17時00分
料金:無料
休館:毎週月曜日
рO3ー5998ー0081 |
参考見学所要時間 |
約1時間00分(資料館を含む) |
お薦め度 |
私見 |
水堀は、その真偽は怪しいものがありますが、その他の曲輪や土塁などの遺構は、23区内の城跡としては最高の保存状態であるといえます。小高い、まるで近所の裏山といった雰囲気の場所が公園化され、城跡として現存していることは、住民の方の憩いの場であるとともに、地域の宝であるとも思います。是非ともこのまま保存されてもらいたい城跡です。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070710 |
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