Chapter 14 : Eastering
8月20日に出発する予定が、なかなか旅立つ気力が起きず、少し遅れて29日に、再び「癒しの道」をたどる旅が始まります。
今まで旅をともにしてきたGSはまだ修理パーツが届いていないので使えず、代わりにK1200Rに乗って出かけます。
このバイクは4台目で、同じく赤のカラーリング。荷物スペースが少ないので、キャンプ道具は積まず、でもそのほかの積荷は
GSと同じように、特にガソリンはGSより余分に食うので、予備のガス缶をしっかり積んで、出発します。
ケベックからニューファンドランドへ。途中いくつか川や海峡を越えるので、フェリーにも乗って、ラブラドールに到着したところで、
Brutusさんに手紙を書きます。ここは1995年の9月に、初めてBrutusさんと一緒にツーリングに出た場所でもあり、Rushのツアー中、
JackieさんSelenaさんが飛行機で来て、Halifaxで合流したことも何度かあるので、その思い出に浸りながら走ってきたとも言います。
9月4日付の手紙は、ラブラドールまでの道中を簡単に説明しています。Quebecの家からQuebec Cityを通り、
Saguenay Riverをフェリーで渡って、Tadoussacへ。そこから東へ進み、St Laurence河を渡るフェリーに乗って、
対岸のRimouskiへ。このフェリーに乗る前に、Manate行きの別の便が出ていたのですが、急いでそれに乗るより、二時間待って
Rimouski行きのフェリーに乗ろうと思ったのは正解で、このフェリーは「Quebec州で一番早」く、結果的に前のより30分も早く着いたそうです。
Rimouskiで一泊し、翌日はNew BrunswickのCampbelltonまで行きます。途中、観光したかったのですが、9月2日にフェリーを予約してあるので、
急がねば、と思い、パス。(8月は30日までしかないと勘違いしたらしい)翌日、8月31日だというので、
新しく開通したPrince Edward島へ渡る橋を渡って、brundenellで一泊。旅の間に、Saul Ballowの
Herzogという本を読み終わった、と言う話から、ジャックロンドンや、良く見るテレビ番組の話になっています。
翌日、この続きが書かれていて、Brundenellからフェリーに乗ってPictouへ。そしてCape Bretonを回って、
Cabot Trailへ。これは、95年のツーリングルートでもあったそうです。そして、この新しいバイクK1は
良いバイクなのだが、GSに比べて、いささかちょっと乗りにくい、とも書かれています。
Sydneyからフェリーに乗り、そこからはとても快適な道だったので、思わずスピードを出して飛ばした。
時速200キロを超え、最大220をマークした。でも次の日、時速85キロで走っていたら、パトカーに捕まった。
ここは60キロ制限区間。切符を切られたNeilは、点数を稼ぐために微細な違反で捕まった事を怒り、これから2年間も、カナダの道を走る時には気をつけなければ
ならないことを知って、(違反点数の余裕がない?)悪態をついています。 「くそ! くそ! 死ね死ね!」
そして、あのガブリエルさんの生まれ故郷である、半島の北にある小さな漁村に来たNeilは、埠頭で
一服しながら、彼女のことに思いをはせます。ここでいったんBrutusさんへの手紙は切れ、地の文になります。
「ごつごつして荒れた岸辺にしがみついているフジツボのような小さな漁村の埠頭に立ち、質素な小さい家々が密集している様や
岸に点在する、漁具を入れておく掘建て小屋、港につながれた、使い古された漁船などを眺めていた。僕の心の目に、この環境の元に育った小さな少女の姿が浮かんできた。その少女と、僕がハリウッドで出会った、
「態度を硬化させた」大望を持った若い女性と比べてみた。
それにしても、あの漁村からサンセットブルバードまでは、長い道のりだっただろう。良くも悪くも、彼女はその道を旅してきたのだ。
自分の人格に話が及ぶ時、僕は誇りを持ってこう言う。「今までの人生が、今の僕を作り上げたのだ」と。
それは、彼女も同じだろう。あの若さで、彼女はすでに多くの経験をしてきたのだろう。
僕はロブスター用の罠と防波堤のコンクリートブロックの間で煙草を吸いながら、無意識のうちに、
現実をはっきり見ることが出来た。彼女はもはや、「ここで生まれた」彼女ではない。彼女は、僕がそうだろうと思っていたような
女性ではなかった。そして僕は、愚かな幻想から解き放たれた。その時から、僕は悟ったのだ。彼女とは、完全に終わってしまったと。」
そして翌日、9月5日付で手紙が再開されています。沿海州での1、2日の出来事が書かれていますが、ハイキングや
そのあたりのことなので、割愛します。 7日付も似たようで、沿海州でのツーリングの描写が主です。寒かった、とも。
ニューファンドランドはかなり北なので、9月の初めといえど、気温は一桁。風が吹くと体感温度は
マイナスになりかねない、ということでした。8日付のも、主に観光関係、なので割愛します。
以降は、しばらく地の文になります。St. Johnsでニューファンドランドからノヴァ・スコシアへのフェリーを予約したり、
雑用を片付けて1日過ごし、翌日Halifaxへ。
Halifaxでは、現地に住む友人Terry Williamsを訪ねる予定でした。TerryはNeilがSt.Catharinesにいた頃からの友人で、元ラジオ局の
DJで今もラジオの仕事をしている(もうDJではないけれど)人。NeilはSt.JohnからTerryさんの携帯に訪問予定を知らせる際、
ちょっとウィットを効かせ、ラジオのDJ口調で「St.John Rocks!」とやったところ、相手はTerryではなく、18歳の息子さん。
「ええ、そうですね・・父を呼んできます」と返されたそうです。
バンドのフォトグラファーであり、友人でもあるAndrewは、Neilの旅にいろいろ気晴らしを、と心を砕いているようで、
このニューファンドランドでも、現地の友人夫妻に連絡して、Neilは彼らと一緒に晩餐したりもします。
Neilはフェリーに乗り、Halifaxまで行ってTerryに会い、彼の家に滞在します。Terryの奥さんChristineともNeilは知り合いで、
先に電話に出た息子Aaron、その兄Zakと数日過ごし、その間にバイクを地元のディーラーに預けて、タイヤ交換してもらいます。
Williams一家の長男Zakはダウン症で、穏やかにニコニコとしている人で、Neilは特に彼の存在に慰められた、とも言います。
ZakとNeilはともに早起きなので、しばしば二人で朝食のテーブルを囲むことが多かったのですが、数日後、Zakに
「ニール、僕は今日学校で、君がいなくて寂しい」と言われ、心のそこから微笑んだ、とも。
9月12日は、Neilの47回目の誕生日。でもWilliams一家に気を使わせないよう、なにも言わずにいたのですが、翌日、気づいた
一家が、その次の晩、ケーキとバースデーソングで、お祝いをしてくれたそうです。
もう一つのバーズディプレゼントは、Andrewから贈られてきた手紙で、そこには彼のアシスタントをやっている女性写真家が映っている
数枚のポラロイドが同封されていました。そう、Carrieさんです。Andrewは、Neilを彼女に会わせたがっていたのですが、Neilはその時
あいにくGabrielleさんとのロマンスに振りまわされたばかり、もうロマンスはごめんだ、と思いながら、「僕がロスにたどり着くまで、待っていてくれ。
それから、会ってみるよ」と、返事を書きます。(写真のCarrieさんは長いブルネットの髪、スリムな体型で、セクシーな笑みを浮かべていて、
「とてもきれいだ」と思ったそうですが)
Williams一家と数日を過ごしたNeilは、タイヤ交換のすんだバイクに乗って、今度は出版社の友人Lesley Choyceさんの家に一泊します。
LesleyさんはHalifaxの大学で教えており、かつてカナダのチャンピオンサーファーでもあった人で、奥さんのTerriと、築200年の農家を改造して住んでいました。
そこで音楽やおいしい食事や会話を楽しんで、彼らのゲストハウスに泊まり、翌日Yarnmouthからフェリーに乗るべく出発し、
そこでBrutusさんへの手紙を書きます。
この手紙には、悪天候でフェリーの出発が遅れたけれど、この小さな町での滞在を楽しんでいること。手紙を書くタイプ用紙に、
いつも使っているものでなく、薄いものしか見つからないので、それを使っていること、バイクのタイヤを交換し、ケベックから
ここまで乗ってきて、やっと新しいバイクK-12にもなじんできたこと、最近読み終わった、そして今読んでいる本のことなどが、
軽く触れられています。
やっと乗ったフェリーは天候が思わしくないため揺れが激しく、8時間も遅れ、しかも嵐で欠航が続いたため、ひどく混んでいて、
Neilは酔っ払いのAl、バス運転手のJoeという、見ず知らずの2人の相客とともに、船倉の狭い部屋に押し込められた、と言います。
フェリーからバイクがおろされるのを待っている間に、New Hampshereからのツーリング客と話をし、これからニューヨークに
「いくらかの文化を求めて」行く、と言ったら、 「ニューヨークでどれほどの文化(カルチャー)を見つけられるかね」と、
軽くあしらわれたそうです。そして、Portlandでの入国官も同じ反応だったと。
「それから、彼女は言った。
『あなたは逮捕されたことはありますか?』
『いいえ』
『いかなる理由でも、指紋を採取されたことがありますか?』
『ありません』
『軍隊に入っていた経験はありますか?』
『あー、いや、ないです』
それから、彼女は中でも一番奇妙な質問をした。
『帰りの切符は持っていますか?』
僕は黙って、バイクを指し示した。彼女は顔をしかめ、『もう行っていい』というように、手を振った。
それからメーン、ニュー・ハンプシャー、ヴァ-モンと、マサチューセッツ、ニューヨーク州、ニュージャージー州の片隅を通りぬけ
(その午後だけで、6つの州だ――それも、東部のみで)そして僕はニューヨーク市のメインストリートにいた。」
パークとマンハッタンの摩天楼を臨む、セントラルパーク・サウスのホテルに泊まり、公園内の湖でボートをこいだり、
雨のマンハッタンを散歩したり、モダンアート・ミュージアムやメトロポリタン美術館を訪れ、『A Work In Progress』の撮影で
知り合った二人の友人RobとPaulと一晩、作家友達であるMark Rieblingと一晩過ごし、New York滞在は忙しくも楽しかったようです。
Markとは、彼のガールフレンドMindyとNeilとで、ミュージカル・コメディ『シカゴ』に付き合わせたりもしたそうです。Markは
そう言うものには無縁の人間なので、彼がそこにいると思うだけでおかしい、と。そしてMarkは、喜んで、ではないものの、
優雅に耐えているように見えた、と。
RobとPaulに会った時、二人の仕事の関係で、Paul McCartneyのプレス・パーティに出席しますが、そこで、たぶんそこに
出席していたジャーナリストの一人から、正体を認識されてしまい、
『あなたがここにいらしているなんて、思いもよりませんでした』と言われ、サインを頼まれ、さらに数分後にまた同じ体験を
してしまって、非常に困惑し、できる限りさっさとその場を退散してしまった、とも言います。人に自分だと認識されるのは、
いつも恐れていることなのだと。
「『ゴーストライダー』の旅をしている間に、人から認識されたことは、幸いなことに、数えるほどしかなかった。でももちろん、
人が僕をある種の視線で見ていると感じた時には、ガードを固めることにしていた。『ジョン・E・テイラー』名義のクレジット
カードは、名前によって正体がわかってしまうことを未然に防いでくれた。僕にとっては、名前で認識されることが多かったから――
たぶん、ステージでは(ビデオでも)『ドラマー』として、後ろにいるせいだろう。
ニューヨークでの最初の晩、マーク・リーブリングと僕がグランド・セントラル・ステーションのレストランに行き、だだっ広いコンコースと
きらめく星をちりばめた天井が見える、大きなスクエア・バーに座っていると、向かい側にいる常連客がバーテンダーになにごとか話し、その人は
こちらにやってきて言った。 『あなたがたの片方の人は、ドラマーですか?』 僕はこれを否定することが正当だと感じ、そして後に彼が僕のクレジットカード
を丹念に調べた後、連れに向かって頭を振ったのを見た時には、内心笑みを浮かべていた。
20年くらい、こういう『そこそこ有名人』な状態にいるにもかかわらず、僕はこの種の出会いには決して馴染めなかったが、今や特に、
私生活に起きた恐るべき事態ゆえ、以前の倍くらい「ひどい」ものになっている。僕が何ものであれ、決して彼らが知っていると思うような
人物ではないのは、絶対に確かだ。
僕は記録にこう記した。「この頃では、今までにもまして、動揺してしまう――僕は『あいつ』じゃない」
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