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 翌日、一行はパルネッサ大森林を進んだ。木は相変わらず背の高い、すだれのような葉っぱのものが多いが、中にはもっと葉の幅の広い、がっしりとした木も混ざっている。森の中は木が密集していて薄暗く、だが涼しいわけではない、むっとしたような湿った空気だった。森の中の道は狭く、車の幅ギリギリだったが、駆動生物たちは疲れを知らないようで、勢いよく進んでいく。道は街道のように整備されていないので、車はいつも以上に振動した。あまりに揺れるので、いつもは移動途中父親から渡されたポレオラスという装置を解いているアンバーでさえ、『集中できなくて無理だ』と、あきらめたほどだった。周りの景色は木ばかりで、ほとんど視界もふさがれたような感じだ。道の上も、横から伸びた木の葉がなびき、絡んで、あまり空も見えなかった。 
 車のカラカラと走る音と、時おり風が吹いて木の葉が揺れる音以外しなかったが、森に入って五、六カーロンが過ぎた頃、突然小さなほかの音が聞こえた。それはこだまになり、重なって聞こえる。上の方から聞こえてくるようだった。みなが目を上げると、木の細長い葉っぱから葉っぱへと移動する、小さなものが見えた。複数いる。それは全身赤い毛皮に覆われ、手足の長い、目の大きな生き物だった。 
「ヴェイだな」フレイはその姿を目で追いながら、続けた。 
「フェイカンの森にいる動物だ。木の上で生活している。俺も見たのは初めてだが」 
「襲ってきたりはしないの?」ミレアは少し不安げな視線を送った。 
「大丈夫だと思う。ここは奴らの縄張りなんだろうな。だから多少騒いでいるが、そんなに攻撃的な奴らじゃないはずだ。俺たちが通り過ぎれば、おとなしくなるはずだ」 
 たしかに彼らは木から木へと飛び移りながら、鳴き声を上げるだけのようだった。が、しばらくすると、何かが上から降ってきた。 
「あいた!」と、アンバーが声を上げた。降ってきた何かが当たったらしい。彼は頭に手をやって、何かをつかんだ。薄赤色の小さな丸いものだった。 
「これは木の実かな」ブランがそれを手に取って見ていた。 
 またいつくか、同じようなものが降ってきた。一つはサンディの膝の上に、一つはリセラの腕に当たり、荷物の中に落ちたものもあるようだった。 
「早く行けって、投げつけてるんだな。わかったよ! でもこれ以上早く行けないんだよ」 
 アンバーが上を向いて、そう声を上げていた。 
「大丈夫だから。もう行くから平気よ!」 
 リセラも上を向き、そんな声をかけている。 
 しばらくすると、生き物たちは実を投げるのをやめた。 
「連中も、リルの言うことは少しわかったみたいだな」 
 フレイが苦笑を浮かべ、そして上に向かって叫んだ。 
「大丈夫だ! 俺たちはおまえたちの邪魔をする気はない。すぐに通り過ぎるさ!」 
 生き物たちはしばらくすると、落ち着きを取り戻したようだった。せわしない動きをやめ、樹上に留まってじっと見ているようだ。 
「ああ、そうか。火のエレメント持ちの言葉しかわからないんだな」 
 アンバーが苦笑して首を振り、 
「ナンタムと同じだな」と、ブルーも上を見る。 
 やがて再び静かになった。道を進みながら、ブランはフレイがダヴァルで買ってきたフェイカンの植物図鑑をめくり、手にした実と見比べているようだった。 
「この木の実は、薬の材料に使えそうだな。君たちのも貸してくれないか」と、リセラとサンディに声をかけ、それぞれの実を受け取ると、袋にしまっていた。 
 森を抜ける途中で夜になったので、フレイはカドルを取り付けた棒を、指示席から前に掲げた。元はロッカデールでヴァルカ団を捕まえた時、彼らが持っていたものだが、そのまま拝借して使っていたのだ。それから何度か夜の道を走る折、役に立ってきた。そのまま三カーロンほど走り続け、ようやく森が途切れた。一行は街道から外れて下草の茂る野原に車を乗り入れ、二度目の野営をした。その夜も交代で見張りを立てたが、特に何事もなく過ぎた。夜が明けると、再び赤い街道を進んだ。遠くに高い山のシルエットが見える。それが目指すミガディバ山だろう。 
 
 お昼ごろ、一行は川のほとりに出た。その手前で街道は途切れ、対岸には道はない。ただ滑らかな赤土の地面が広がっているだけだった。 
「ここが道の終わりか。その先も平地だから、進めるだろうが……」 
 ディーが車を降り、目の前の川に目を注いでいた。かなり広い川だ。標準的な人間でも、小石を投げれば対岸に届く程度の距離ではあるが。そこにかかる橋など、目の届く範囲にはなかった。 
「だが、こいつらは水を渡れないぜ。大の苦手なんだ」フレイが首を振った。 
「フェイカンの駆動生物なら、そうかもしれないな」 
 ディーは振り返り、少し考えるように黙った後、言葉を継いだ。 
「ミディアルで川を渡ったように行くしかないか」 
「タラカルたちはどうする?」 
「車に乗せていくしかないだろう。おとなしく乗っているように、おまえが言ってくれ、フレイ。まずは準備をしないとな」 
 ディーは荷物袋からロープを三本取り出した。それをペブルとブルーの助けを借りて、車の前に二か所、後ろに一か所取り付ける。その後、翼の民三人と水の民二人が車から降りた。フレイが駆動生物たちに車に乗るように言うと、その空いたスペースに三頭のタラカルたちが乗り込んでくる。かなり狭くなった。フレイが二頭の首のあたりを叩き、「大丈夫だからな」と、声をかけている。リセラも残りの一頭に、同じように声をかけていた。彼女は火のエレメントは四分の一なのだが、それでもなんとか言葉は通じるようだ。 
 サンディも目の前に来たその生き物に触れてみた。彼女はエレメントを持たないため、意思や言葉を通じることはできないが、嫌がってもいないようだ。ミレアも同じようにしていたが、特に反応はなかった。 
「ナンタムだったら違うエレメント持ちに触られるのは嫌がるが、駆動生物はわからないだけで、それほど気にはしないな」と、フレイは説明していた。 
 外に降りた五人が車を押し、半分ほどが水の中に入ると、ブルーが水に飛び込み、車の前の部分の下にもぐりこんだ。同時にアンバーとリセラが飛びあがり、前に結んだ二本のロープを握る。車全体が水に入るとレイニが水の中から後方を、ディーが車の後ろに結んだロープをもって空に飛び上がった。車は水面の上を、ゆっくりと動いていった。 
 この方法で川を渡ったのは、ミディアルにいた頃、エルアナフに向かう時以来だ。サンディもいたので彼女もそれを体験し、驚いたものだったが、今再びそれを見て、不思議な感じがした。駆動生物が引っ張るよりはるかに速度は遅く、十五ティルほどかかったが、それでも車は無事に向こうへとついた。対岸に着くと、再び駆動生物たちをおろし、車の運搬をしていた五人が席に戻ってきた。「ご苦労さま」と声をかけながら、ロージアが彼らの色付きポプルを渡している。 
「はあ〜、久しぶりの川渡りだったなあ」 
「本当、疲れたわ」アンバーとリセラがそう声を上げ、 
「でもここは暑いから、気持ちよかったわ」 
「重かったがな」と、レイニとブルーはまだ少し湿った服のまま、ポプルを食べている。 
 
 フェイカンの乾いた空気の中で、しかし水に濡れた服や身体もすぐに乾いたようだった。駆動生物たちは何事もなかったように、「あの山を目指してくれ」というフレイの指示に従って、道のない地面を走り続け、かなり日が傾いたころ、ミガディバ山のふもとに着いた。そのあたりは草の茂った野原で、山にもところどころ草が生えている。が、木のようなものはなかった。そして道もない。切り立った赤土の山肌が高くそびえている。 
 もともと車で山には登れないだろうとわかっていたので、駆動生物とともにふもとに待機の予定だった。いつものようにブランとペブル、そして山には危険な生物もいると聞いて、サンディとミレアは車の中に残しておく予定でいた。しかし実際に着いてみると、登るのさえ容易ではなさそうな山肌だ。 
「これは、どうやって登ればいいんだ?」フレイが声を上げた。 
「道はなさそうだな、本当に。こっちの側からは。ぐるっと回ってみてもいいが……」 
 ディーは山を見上げながら、考えているようだ。 
「でも、反対側は海だぜ」フレイは行く手に目を向けた。なだらかな地面は海で途切れていて、その先は断崖になっていた。 
「ちょっと見てくる」アンバーが翼を広げて、山肌に沿うように飛んでいき、 
「気をつけろよ!」と、ディーとフレイが同時に声をかけている。 
 やがてアンバーが戻ってきて、首を振った。 
「見る限り、山に道はなさそうだよ。それで、反対側は海だ。断崖絶壁。この山って、陸地の突端に立っているんだね」 
「そうすると、ロッカデールと同じように、岩に縄梯子をひっかけて登っていくしかなさそうだな」ディーは苦笑いに近い表情を浮かべた。 
「でも、ここは危険な生物も出るんだって言ってたし、なんだか怖いなあ」 
 アンバーは心配げな表情をし、 
「俺は登りたくねえ」と、ブルーは青の色を濃くしながら、首を振っている。 
「何かあっても対応できるように、用心しながら登らないといけないな。むしろ一人ずつより、少し距離を開けて複数で登った方が良いかもしれない」 
 ディーは考え込んでいるような表情を見せた後、続けた。 
「とりあえず、明日に備えて今日は眠るか」 
 一行は頷き、ポプルと水を取った後、いつものように交代で見張りを立てて野営した。 
 
 夜中、小さな叫び声と何かが爆発するような衝撃音で、サンディは目を覚まし、急いで起き上がった。他のみなも同じだったらしく、一斉に起き上がっている。幌を上げると、見張りを務めていたペブルが立ち上がっていて、小さな黒い球体を放っていた。ダムルという闇の攻撃技だ。それが何かに当たったような音がし、ついで叫び声が上がり、どさりと倒れる音がした。 
「どうした? 賊か?」 
 外で寝ていたディーが駆け寄り、そう問いかけていた。 
「よくわからないけれど、襲いかかってきたんだよ」ペブルがそう説明していた。 
 傍らで、一緒に見張りをしていたレイニは、自分たちと駆動生物を守るために、防御技を張っていたようだった。水色の細かい水滴のようなものが彼女の手の中に回収されていくと同時に、深く息をついていた。 
「ああ、ペブルと一緒で良かったわ。驚いた……」と。 
 フレイがカドルの光を掲げて、調べに行った。他のみなも続く。 
 倒れていたのは、かなり大きな、赤い毛に全身を覆われた動物だった。爪は鋭くとがっていて、歯は無数の針のようだった。胴体のところに、大きな穴が開いている。ペブルの攻撃技が当たった跡だろう。 
「ヅボイだな」フレイがカドルを透かしてそれを見、口を開いた。 
「こいつは、見た目より凶暴じゃないはずなんだが」 
「そうなのか?」ディーの問いかけに、火の民の若者は頷いた。 
「ああ、こいつは他の生き物を捕食してレラを補給するタイプじゃなくて、地面からレラを吸える奴で、見かけによらずおとなしいはずだ。これが凶暴化したのなら、ナンタム同様、レラ過剰のせいだろうか……」 
「まあ、なんにせよ、おまえたちや駆動生物に怪我がなくてよかった」 
 ディーは深く息をつくように言い、 
「この後の当番は気をつけなければならないな」と、フレイは表情を引き締める。 
「朝まで四カーロン半か。この後はフレイとロージア、ブルーとローダガンだな。いつも以上に気をつけてくれ。何かあったら、急いで警報を発砲してくれ」 
 かつてアーセタイルとロッカデールの国境でミレアとサンディが取りにさらわれた時、リセラが打ったそれは、紐を引くと大きな音が出る。攻撃技も防御技も持たない者たちのために、ブランが作ったものだった。 
「わかった」四人は緊張した面持ちで頷いていた。 
 
 それから朝まで、幸いなことに非常事態は起きなかったが、夜が明けて皆が起きだしてきてみると、少し離れた草原に、なにかが落ちているのが見えた。赤っぽい草の中に、ひときわそこだけが赤い。 
「あれはなんだ? 夜の奴じゃないな。それは、もうそこで溶けかけているから」 
 フレイは怪訝そうに言い、 
「なんだか、羽みたいに見える」 
 アンバーもそちらに目を凝らし、そして飛んで少し近づいたのち、引き返してきた。 
「鳥だ。鳥が落ちている」 
「鳥だと?」フレイがそちらの方へ駆けだし、やがて腕に抱えて戻ってきた。 
 それは人が両手を広げたくらいの大きさで、全身赤い羽根に覆われていた。頭のてっぺんの羽根が三本ほどたっていて、それは金色をしている。 
「死んでるのか?」 
 ディーの問いかけに、フレイは首を振った。 
「いや、怪我をしているだけだ。羽根の付け根をやられている」 
「おいらが打ったダムルが、当たっちゃったんだろうかなあ」 
 ペブルは心配そうにのぞき込んでいる。 
「いや、違うな。この傷跡の感じだと、たぶん昨夜のヅボイにやられたんだろう」 
 鳥は深い灰色の目を開けて、じっとこちらを見ていた。暴れる様子はなさそうだった。 
「ロージア、これは治せるだろうか?」 
 一行のリーダーの問いかけに、銀髪の女性は手を差し伸べて口を開いた。 
「わからないわ。エレメントが違うから」 
 彼女は、治癒技をかけた。傷は半分ほど良くなったように見えるが、完全ではないようだ。その間にブランは植物図鑑を読み、周りの草を吟味していくつかを摘み、さらに袋の中から森の中でぶつけられた木の実とすり鉢のようなものを取り出して、草と木の実を一緒にすりつぶしていた。 
「これが傷薬になるようだ。フレイ、同じエレメントの方がよさそうだから、君がこれを塗ってやって」 
「へえ、そうなのか」 
 赤髪の若者は不思議そうにそれを眺めた後、指につけて鳥の傷口に塗ってやった。 
 ロージアの治癒技とブランの薬、両方の効果がうまくかみ合ったようで、やがて鳥は翼を広げて飛んでいった。 
「さてと、俺たちはいよいよミガディバ山に登るわけだな」 
 鳥を見送った後、ディーはその方向に目をやった。 
「とりあえず、行くしかねえな。四人は留守番だが」 
 フレイがこぶしを打ち合わせ、見上げる。 
「俺も行くのか」ブルーは苦い表情だ。 
「おまえは水だろ? 火には強いだろ?」フレイが声を上げると、 
「でも俺は、攻撃技は持っていないからな……まあ、仕方がない。行くか」と、ため息をついている。 
 一行は改めて、目の前の山を見た。険しい山肌は、まるで登るものを拒否しているかのように見えた。 
 
「上るにしても、ここは道がない。これを使うしかないな」 
 ディーが荷物袋の中から、縄でできた梯子を取り出した。以前ロッカデールで『清心石』を探しに行った時に、向こうの神殿の人々から渡された道具の一つだ。 
「アンバー、これを持って、できるだけ高く、これをひっかけられそうなところを探してひっかけてくれ。岩でもなんでもいい。それからまた先に行かないとならないから、登った者が退避できる場所があるところで」 
「難しいな。あるのかなぁ」 
 アンバーは不安そうに見上げる。山肌は赤土のように滑らかで、ところどころ岩が突き出ているものの、あらかじめそれをかけるところが用意されていたロッカデールの山の場合とは、明らかに違うだろう。彼は縄梯子の先端を持ったまま飛び、かなりの高度まで行ったところで、山肌を回るように進路を変えた。場所を探しているのだろう。下にいる一行は、その様子を目で追っていた。視界から消えかけそうになると、少し場所を移動して追いつく。そうしてかれこれ半カーロンほど過ぎた頃、ようやくアンバーが戻って来た。 
「あるにはあったけど、退避場所はすごく狭い。でも他には場所はなさそうだよ」 
「そうか。それなら仕方ないな。ご苦労だった。ポプルを補給しておけ」 
「はい、これ」ディーの言葉を受けて、ロージアが銀色のポプルを渡す。 
「ありがとう。それで、やっぱり前のように、みんなをできるだけ高くまで連れていくのかい?」アンバーはポプルをほおばりながら、そう問いかけていた。 
「そうだな。でも、同じ地点からの方が良い。行くのは八人だから、フレイに一番先に上ってもらって、次がブルー、リル、レイニ、ロージア、ローダガンでいい。俺が行けるところまでフレイを連れていくから、おまえはその後でブルーを連れて行ってくれ、アンバー。フレイの後になるようにして。リルは自力でそこまで行くとして、後は交互でいい。俺はローダガンの後から行く。おまえはロージアを連れて行ったら、そのまま上に行ってくれ」 
「わかった」 
 車にブランとペブル、サンディとミレア王女の四人を残し、一行は山肌にぶら下がった梯子を上り始めた。その終着点は、山の中腹を少し過ぎたあたりだ。そこは狭い岩棚のようになっていて、その上に張り出している二本の岩に、梯子の先端が取りつけられている。リセラ以外はディーとアンバーに途中までは飛んで連れて行ってもらい、そこから山肌にぶら下がった梯子を上る。ところどころ足をかけられそうな岩があるので、それが使える場合はそこも利用した。 
 上がりきったところの岩棚はたしかに狭く、八人が身を寄せ合って立つことさえ難しそうだったので、『翼の民』の三人は近くの岩に腰を下ろしていた。残る五人は、岩棚の上にお互いに密着して立っている。「うおお、下は見たくねえ」と、ブルーはさらに青ざめていたが、たしかにそこはかなりの高さだった。ほぼ垂直に近い山肌の下に、乗ってきた車が緑の点のように見える。 
「たしかに怖いわね」と、ロージアでさえ小さく身を震わせ、 
「途中というのが本当に、心細いわね。昇るにしても降りるにしても」と、レイニも小さく首を振る。 
「そうだ。降りるのもあるんだな。ロッカデールの山みたいに、中から降りれるというわけには、いかなそうだしな」ブルーはさらに大きく震えていた。 
「それで、ここからどうやって上に行くんだい、ディー。また梯子をひっかけられそうなところを探す?」アンバーがそう問いかけた。 
「ここからだと、頂上付近になるだろうな。そこに行くまでに、この上にあればいいんだが」ディーは翼を広げて座っていた岩から離れ、その方向を見た。 
「じゃ、探してくるよ」 
 アンバーも再び翼を広げ、縄梯子を持って、上に向かった。 
「気をつけろよ!」 
 そう声をかけ、周りを見たディーの表情が変わった。さっとその手から黒い矢のようなものが飛ぶ。パルーセという攻撃技だ。山肌を飛ぶように走る、赤い影があった。まるで不規則な形の炎のようなもの。それがこっちに向かってきたのだ。が、いち早く黒い矢に貫かれ、下に落ちていった。 
「あれ、なに?」リセラは岩の上に立ち上がり、危うくバランスを崩しかかって、慌てて翼を広げながら、身を震わせた。 
「あれがたぶん、この山に住むという危険な生物なんだろう。なんというのかは知らないが」ディーは落ちていく赤い影のような塊に目を向けた。 
 その後ろで、ローダガンが矢を構え、打った。もう一つの赤い影が近づいてこようとしていたところだった。それは木と石の矢に貫かれ、一瞬止まったが、また突進しようとする。そこへ二本目が当たり、ようやく山肌を転げ落ちていった。 
「とんでもない速さだな」フレイが息を呑んだように呟いた。 
「ローダガンも弓矢、上手いわね」 
 リセラが感嘆したような声を上げる。 
「だが、あいつは一発では落とせないんだな。連射できたからよかったが」 
 ローダガンは当惑したような表情だった。 
「アンバー、大丈夫かしら」レイニが心配そうに上を見、 
「まあ、あの子は目もいいし飛べるけれど……」リセラも視線を上げる。 
 その時、上から叫び声がして、そののちアンバーが飛び込んできた。元々身を寄せて岩棚の上に立っていたみなは、慌てて一人分の隙間を作る。 
「危なかった!」 
「大丈夫か?」一斉に、みなが問いかける。 
「飛んで逃げたけど、翼の先かすられた!」 
「ちょっと見せて」ロージアが近づき、その銀色の翼の先に触れていた。 
「少しやられたわね。でも、大丈夫。これなら治せるわ。ちょっと待っててね」 
 治療技をかけてもらった後、アンバーは再び翼をたたんだ。 
「ありがとう。良かった!」 
「でも、良かったわ。そのくらいですんで」レイニが声をかける。 
「そうだな。でも、アンバー、さっそくで悪いんだが、治ったんなら、元の岩のところへ戻ってくれないか。ここは、六人は狭いんだよ」 
 フレイは苦笑していた。一人分の場所を開けるために、彼は半ば岩肌に張り付くような姿勢でいたのだ。 
「あ、ごめん」アンバーは笑い、再び翼を広げて元の場所へ帰り、 
「それで、梯子はかけられたのか?」というディーの問いに、 
「ああ。ちょっと横に移動しないと、いけないけれど」と答えていた。 
「そうか。ありがとう。おまえも無事でよかった。だが……あいつは素早そうだから、登っている時にも、油断はならないな」 
「そう。早いね。あっという間に来る」 
「おっと、さっそく来たようだ。おまえを襲った奴かな」 
 ディーは再びパルーセを打ち、飛び込もうとした赤い影は、撃ち落とされて山肌を転がっていった。 
「でも、行くしかないわね。ここにいても仕方がないわ」 
「ええ」 
 ロージアとレイニは決然とした表情で、頷いていた。 
「俺は登りたくねえ……でもここにいるのも、もっといやだ」 
 ブルーは真っ白になった顔で、首を振る。 
「では悪いが、リルも今回はアンバーと一緒に、梯子の突端にみなを連れて行ってくれ。俺は、最後に行こう。危険がないかどうか見て、必要があったら撃退できるように」 
 ディーの言葉に、「まかせて」とリセラは頷き、アンバーがかけなおした、さらに上に行く梯子の突端まで、ロージアとレイニを連れて行った。あとの三人はアンバーが連れて行き、ディーは最後から行く。途中、三度ほど彼はパルーセを打って、赤い影を撃退した。ローダガンは岩を上っている時には両手がふさがり、弓矢が打てない。ロージアの攻撃技は草系のせいかほとんど効果がなく、フレイのそれも同じエレメントゆえか、あまり効かない。ただ、襲いかかられそうになって慌てて張ったブルーの水防御には、跳ね返されていた。それを見て、レイニも同じように防護を張り、何とか全員無事に第二の岩棚までたどり着いた。ここから頂上までは、もう少しだ。 
「さて、ここからは抱えて飛べば、連れていけそうだな」 
「そうだね。二人ずつでも行けるかも」 
「じゃあ、おまえはブルーとフレイを連れて行ってくれ、アンバー。俺はレイニとロージアなら、二人なんとかいける。前はローダガンを連れていけるか、リル?」 
「この高さなら、大丈夫だと思うわ」リセラは微かに笑った。 
 
 ミガディバ山の頂上は、比較的狭かった。宿の六〜八人部屋くらいの広さだろうか。草は生えておらず、ところどころ石があるほかは、山肌と同じく赤っぽい土の地面だ。中央に噴火口が開いているが、『炎の花』らしきものは見えない。噴火口まで行き、下をのぞき込んでみると、途中の岩棚に咲いている、真っ赤な花が見えた。その花には葉はなく、まるで火のように揺れるたくさんの花弁が丸く取り巻いている。 
「あれが『炎の花』?」リセラがささやくように聞いた。 
「きっとそうだな」フレイが火口をのぞき込んで答える。 
「しかし、あれは厳しいな。俺はたぶん、少しの間なら熱は平気だが、あそこまでは下りられねえ。かといってアンバーだと、熱に耐えられないだろう。ディーも……火は混じってないから、厳しいかもしれないな」 
「あたしなら……どうかしら?」リセラが言いだした。 
「あたしなら、少しは火があるから。四分の一だけれど」 
「でもリルでも、火に耐える属性は持ってないだろ?」 
 フレイが危ぶんでいたところで、突然上空から何かが下りてくる気配がした。一同は慌てて後ろに退避した。 
 それは巨大な赤い鳥だった。頭の上に三本の金色の飾り羽ととがった金色のくちばしを持ち、全身炎のような羽根に覆われている。その鳥は火口の上にとまり、一行を見た。ただ攻撃をしてくるわけではなく、鋭い金色の眼で見据えている。そして口を開いた。出てきたのは断続的な音――だがフレイには、そしてリセラにもかすかに、その意味がわかったようだった。 
「『待て、おまえたちは、この花を取りに来たのか』――そう言ってるぜ」 
 フレイの言葉に、リセラも「そう言っているわね」と頷く。 
「それなら、返事はおまえたちに任せる」 
 ディーが言い、残りの四人も同意していた。 
「そうだ」と、フレイが答えると、再びの問いかけ。 
「『何のために』か。この男、ロッカデールのローダガンの妹が悪い奴らにさらわれて、この国のタンディファーガという奴に売られた。それで、そいつがなかなか一筋縄ではいかなくてな」フレイは鳥に向かって、今までのいきさつを話す。 
 再び鳥が何かを言った。 
「『この花を悪用する危険のある者には、渡すわけにはいかない』――そうだろうな。『だが、おまえたちは邪なものではなさそうなので、このまま帰れ』――いや、そういうわけにはいかないんだよ。俺たちもこの花が奴に渡ったら、悪用されやしないか心配だ。でも今のところ、ローダガンの妹を救うには、それしか手がないんだ。え? 『その娘には悪いが、犠牲になってもらうしかない』? ――そりゃないだろう。なに? 『邪の者に炎の花が悪用される方が、もっと甚大な被害を招く。おまえたちがどうしてもというなら、おまえたちにも犠牲になってもらうしかない』? おいおい、ちょっと待ってくれ!」 
「こいつが花の番人なんだな」ディーはその鳥を見上げながら、首を振った。 
「こいつに攻撃されたら、俺たちはひとたまりもないだろう。たぶんダライガなら撃退できるのかもしれないが、おまえたちも吹っ飛ぶだろうからな」 
「やめてくれ」ブルーはますます色を失いながら、首を振っていた。 
「フレイ」ディーはしばらく沈黙したのち、呼びかけた。 
「俺の言葉は、こいつには通じないだろうから、おまえが繰り返してくれ。俺たちも、タンディファーガという奴にこの花を渡すことは、気が進まない。奴はきっと悪用して、巨大な力を手に入れ、良からぬことをたくらむだろう。だが、俺たちでできることなら、そうならないように阻止したい。それはどうやら、火の神殿の意向でもあるようだ。火の精霊様は最終的にタンディファーガを滅ぼすつもりだと、岩の精霊様に語ったそうだ。どうやってだかは俺にはわからないが、俺たちがタンディファーガ家の依頼をどうこなすか、それも計画の一部に入っているらしい。ここで俺たちが失敗して、ファリナが殺されて、ロッカデールとの間に決定的にひびが入ることが、望ましいことだとは思わない。タンディファーガが何をたくらんでいるのか、俺は知らない。もしかしたら戦いを仕掛けて、ロッカデールを本当の属国にしようとしているのかもしれない。しかし、神殿はそんな考えを容認しないだろうし、他の国も黙ってはいないだろう。それは、この世界の存在意義さえ、なくしかねないほどの行為だ。その男はこの国にとって、明らかな危険分子なのだろう。俺は未来を見ることはできないが、エフィオンの力は持っている。ここで花を持ち帰るより持ち帰らない方が悪い結果になると、その力は告げている。その間の事情は、よくわからないが。おそらく火の精霊様も、同じような考えを持っているのではないだろうか。おまえは火の生き物の中でも、精霊様に近いものなのだろうから、その意思を通じ合うことはできないだろうか。もしできるのなら、聞いてみてほしい。それにその花は一度摘まれても、時がたてばまた生えてくるのだろう」 
 フレイはその言葉をなぞるように繰り返した。鳥はしばらく黙り、何かを考えているように、また何かを見ているように、空に視線を向けている。再び鳥が声を発した。 
「『その花が再び生えてくるのを知っているのなら、おまえの知識は正しいのだろう』――ああ、そうだ。ディーのエフィオンはたしかだぜ。『いいだろう。ただし、条件がある。必ずその男を滅ぼせ』――そう言っている」 
「確約はできないが、そう願いたい。またそうできるよう、努力する」 
 ディーの言葉をフレイが繰り返す。鳥はまたしばらく沈黙した後、答えた。 
『最大限の努力をしてくれ』 
 そして飛び立ちながら、また何か言った。 
「『私の子供を助けてもらったことを、感謝する』――ほお、ふもとにいた奴は、これの子供か。ありがとう! あんたの信頼にこたえるようにしたいぜ。俺もタンディファーガのくそ野郎がこの国から消えるたら、万々歳だ」 
「よっぽどひどい奴なのね、そいつ。まあ、今までのことからも、十分わかるけれど」 
 隣で聞いていたリセラは苦笑いに近い笑みを浮かべ、首を振っていた。 
 
 
 
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