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  朝が来た。ミレア王女とリセラ、サンディが怪鳥に連れ去られた後、一行の眠りは落ち着かなかったが、夜の間は手立てがなかった。リセラが発射した警報に気づいて外に出た時には、もう三人をつかんだ鳥は、小さなシルエットになっていた。ディーはパルーセを打とうとしたが、その射程距離をわずかに超えてしまったことを見て取り、追いかけようとしたアンバーを押しとどめた。 
「朝になったら、追いかけよう」 
 一行のリーダーはそう語り、他のメンバーたちも、それしかないことを認めざるを得なかった。三人を欠いて、八人になった一行は夜が明けると起きだし、出発した。アーセタイルとロッカデールの国境の町、パラテはすぐ近くだった。 
「なんだか心配で、よく眠れなかったな」 
 フレイがあくびをしながら言い、空を見上げた後、リーダーを見た。 
「でもさ、ディー。夜の間にも、リルたちは結構運ばれていったんじゃないか?」 
「そうかもしれないな」 
 言われた方は、前方を見ながらあいまいに頷いた。 
「まさかリルたち、あいつのエサにされたりはしないだろうね」 
 アンバーはかなり心配そうだ。 
「エサではないだろう。レラを他の生物から吸収する種類がいたとしても、ロッカデールに生息する生き物なら、土のレラだ。あの三人じゃ……」 
「ミレア王女がほんの少し、くらいしかないな」 
 ディーが言いかけた言葉をブルーが引き取るように、ぼそっと呟いた。 
「サンディは、見た目は土だけれど、本当は違うからね」 
 ブランが首を振り、日よけ眼鏡越しに空を見上げる。 
「でも、どうやって探したらいいのかしら」 
 レイニは不安そうに、行く手の山々を見やった。ロッカデールの国境が近くなり、パラテの向こうに広がる山々の、小高いシルエットが大きく見えてくる。 
「あなたには何か考えがあるの、ディー?」 
 ロージアが指示席から振り返ってきく。 
「いや……」ディーは視線を空に向け、それから行く手の山を見ると、首を振った。 
「特に何かの当てがあるわけじゃない。だが、心配しなくても大丈夫だ。いずれ会える、そんな気もしているんだ」 
「悪い予感じゃなくて、よかった。ディーのは当たるからなぁ」 
 アンバーがそう声を上げ、 
「良い予感も当たってくれたらいいがな」と、ブルーがぼそっと言う。 
「それがエフィオンの力なら、そう心配はしなくてもいいのかもしれないわね」 
 エフィオンとは、知られざる知識を知る技だ。ロージアはほっとしたような口調になり、目の前を行く二頭の駆動生物、ポルとナガに目をやった。二頭は相変わらず黙々と、道を走り続けている。 
「この子たちとも、パラテでお別れね」 
 その声には、少し名残惜しさが混じっているようだった。 
「そうだね。交換になると言っていたからね、ロッカデールの駆動生物と。とはいっても、我々の中にあそこの出身者はいないし、土のエレメントが共通なら、やっぱりロージアかペブルに指示してもらうのだろうけれどね」 
 ブランは少し考えるような表情で、二人を見やった。 
「ロッカデールに行ったら、おいらが指示席に座ってもいいな。土の神殿からもらったこの車なら、おいらでも座れそうだから」と、ペブルが言いだした。 
「そうね。ペブルの方が、出身地が少しロッカデールに近いのだし……関係はないのかもしれないけれど、少し交代してもいいわね」 
 ロージアは微かに笑みを浮かべた。 
  
 やがて一行は国境の町パラテに着き、アーセタイルの神殿からもらった通行証を見せて、ロッカデールに入国した。 
「これによると総勢十一人、女五人に男六人となっているが、三人足りなくないか?」 
 ロッカデール側の門番の一人が、一行と渡された許可証を見比べながら、問いかけてきた。 
「ああ。三人は昨日、この近くで野営している時に、大きな鳥にさらわれたんだ」 
 ディーの説明に、相手はこちらをまじまじと見、通行証を返してきた。 
「アーセタイル側にも出たのか。まあ、パラテの近くなら、それほど入ってはいないが……困ったものだな」 
「あの鳥に心当たりがあるのか?」 
「あまり名誉な話じゃないし、よそ者のあんたたちに話したいことでもないが……」 
 相手は一行を再びじろじろ見ながら、しばらく考えているようだった。 
「まあしかし、あんたたちはアーセタイル神殿のお墨付きだし、あんたたちも仲間がさらわれたのなら……しかたないな。それはたぶん、ヴァルカ団の仕業だ」 
「ヴァルカ団?」 
「そう。頭領の名前を取って、そう呼ばれている。ここ二、三節の間、ロッカデールに出没している、人さらい集団だ。奴らは怪鳥エンダを使って、人をさらう。主に小さい、といっても子供じゃないくらいの子を。そして他の国に、奴隷として売るんだ。ミディアルが滅ぶまでは、あそこが主な取引先らしかったが、今はフェイカンかマディットだな」 
「なんだって?」ディーをはじめ、数人が声を上げた。 
「まあ、我々としても手をこまねいて、放っておいているわけじゃない。あいつらの拠点を探しているんだが、時々変えるらしくて、なかなか捕まえられないんだ。それに奴らは夜にさらうが――昼間じゃ見ているやつが多くて騒ぎになるだろうし、中には攻撃技を持っているやつもい合わせて、邪魔される危険があるからだろうな――最近じゃみんな用心して、若い子を夜に出歩かせないようにしているから、ここ二シャーランくらい、鳴りを潜めていたんだ。それだから、国境を越えて獲物を探しに行ったのかもしれないが」 
 門番は困惑したような顔をした。 
「まあ、運が悪かったな。あいつらを捕まえることができれば、あんたたちの仲間の行方も分かるだろうが」 
「そいつらの手掛かりはないのかよ」フレイが焦れたように声を上げた。 
「わかっていることは、一味の頭領はヴァルカといって、元鉱山をやっていたが、上手くいかなくなって逃げた、四十代の男だということだ。身体はがっしりしていて、力も強い。奴は怪鳥エンダを飼いならしていて、手先に使う。そいつに従う仲間が、十人くらいいる。前節には、カリオラ山を中心とする山々の一帯のどこかを拠点としていたようだ。ただ、そこからアーセタイルの国境までは少し距離があるから、今はまた、もう少し南寄りに拠点を変えた可能性がある。そのくらいしか、わかっていない」 
「そうか……礼を言う」ディーは相手を見ながら、少しだけ頭を下げた 
「ああ、それとロッカデールでは、サガディは使えない。それはアーセタイル側のサガディ屋に預けて、引換証をもらってくれ。それを、こっち側のカラムナ屋に渡して、同じような条件の奴と引き換えるんだ」 
「わかった」 
 一行は頷き、言われたとおりにした。ロージアは二頭のサガディたちと別れる時、「今までありがとうね」と、そのたてがみをなでた。それに対し、二頭は軽く鼻を鳴らし、鼻先を摺り寄せて答えた。他の面々も同じようにした。土のエレメントを持たない者たちの言葉や気持ちは、サガディたちにはわからなかったようだが、アーセタイルへ来てから二節近く、旅の仲間だった彼らだ。 
 引き換え証をもらって受け取ったロッカデールの駆動生物カラムナは、大きさはサガディと変わらないが、色は茶色がかった灰色で、たてがみも灰色、目つきは若干鋭い。一行は二頭のカラムナを車につなぎ、ロッカデール側の道を進みだした。この国の道はアーセタイルと違い、硬い石でできているような感じだ。 
「カリオラ山というのは、ロッカデールの首都カミラフの南側にあるんだね。ここからだと、二日はかかるよ」 
 ブランはパラテの店で買ったロッカデールの地図に手をかざし、読み取りながら言った。 
「でも、もうそこにはいない可能性があるのでしょう? どこを探せばいいのかしら」 
 ロージアは小さく首を振った。 
「盗賊団という奴は、ミディアルでもそうだったが、あまり街中にはいないものだと思う。最近までの潜伏先が山の中なら、今もどこかそんな場所だろう。特に大きな鳥を飼っていたんじゃ、町では目立つからな」 
 ディーは考えるように少し黙った後、地図を読んでいるブランに聞いた。 
「とりあえず町へ行こう。そこで、これからのことを考えよう。ここから一番近い町はどこだ?」 
 白髪の小男は再び地図に手をかざし、答えた。 
「エダルだね。ここからだいたい、三十キュービット離れている」 
「じゃあ、とりあえずそこを目指そう」 
 リーダーの言葉に、一行は頷いた。離れてしまった仲間のことは気になるし、心配だが、今は彼女たちをさらった盗賊団の手掛かりを探していくしかない。そこへ行きつくまでには、いくつもの町を通るのだろう。 
 国境近くはかなり広い針葉樹の森が広がっていたが、ロッカデールに入ってから二カーロンほど走り続けると、緑がかなり少なくなったように思えた。赤茶けた土が広がり、ほとんど木のない、灰色の小山がところどころに見える。その中を、一行は進んでいった。 
 
 夜は暗く、月も出ていない。リセラに抱きかかえられ、ゆっくりと落ちたサンディは、鋭い木の梢に身体が引っ掛かるのを感じた。同時に片手をつないだミレア王女も、梢に引っかかったようだ。「痛い」と、彼女は弱々しい声を上げている。 
「どうしたの?」 
 リセラは二人が木に引っ掛かって軽くなった分、浮遊力を取り戻したようで、ふわりと浮かんで二人と同じ高さになりながら、心配げに問いかけていた。 
「足が」ミレア王女は訴える。その方向を見たリセラは、近づいて手を触れ、鋭い木の梢が王女の足に突き刺さっているのに気づいた。 
「あら、大変。待って。一人ずつ下ろすわね。まずはミレアから……ちょっと痛いけど我慢して」 
 リセラは王女を抱きかかえ、少しだけ上に引っ張り上げて枝から足を引き抜くと、木を迂回するように地面に降りた。同じようにもう一度飛び、今度はサンディを地面に下ろす。 
「サンディは大丈夫だった?」 
「ええ。擦り傷はできたけれど、大丈夫です」 
「良かった」 
 ピンク髪の乙女は頷き、王女の方に屈みこんだ。サンディも王女の足を、触れてみた。暗くてあまりよく見えないが、足が少し腫れて熱を持っているようだ。液体の感触がした。血が出ているのだろう。 
「ロージアがいてくれればねぇ」 
 リセラは天を仰いで嘆息した。土と風の力を持つ銀髪の彼女なら、土の治療技が使えるのだ。しかしリセラ自身が使える技は、ほとんどない。彼女は三つのエレメントの要素を持っているにもかかわらず色は抜けず、レラと呼ばれるエネルギーの減衰も起きなかったが、使える技もほとんどない。鍵を開けるセマナと本を読むリブレ――色抜けでエレメントの力を持たないブランにさえできるその技と、そして飛翔能力だけ。その飛翔能力も、翼の民ではない火のエレメントが混じったために、純粋な翼の民(風、光、闇の三エレメントを指す)のアンバーやディーほど強くはない。 
「ブランでもいいわ。傷に効く薬を作ってくれたでしょうに」 
 ブランは色抜けでエレメントの力は持たないが、レラには影響のない素材を使って、いろいろな作用を持つ薬を調合するのが得意だ。 
「ちょっと待ってて」 
 サンディは木に引っかかって破れた服のはじを引き裂き、その布で、王女の足を縛った。 
「これで少しは血が止まるはず。本当はお水で傷を洗えたら、もっといいんだけれど」 
「水は持ってきてないわねぇ。何もないわ。余裕がなかったもの。稀石も、ポプルも、お水も」 
 リセラは困ったように空を仰ぎ、ついで異世界から来た少女に目を向けた。 
「でもサンディ、よく気がついたわね。それって、あなたの方の知識?」 
「そうかもしれないです」 
 サンディは頷く。微かに心の奥で動いたものを感じた。 
「とりあえず、今は夜で真っ暗だから、下手に動かない方がいいわ。ここで朝まで待ちましょう」リセラは二人を再び両手で抱くようにした。 
 サンディにも、異議はなかった。あたりは真っ暗で、ほとんど何も見えない。おまけにここは右も左もわからない、新しい国ロッカデールだ。再びあの鳥が襲ってこないかと少し心配だったが、頭上には木が茂っているので、根元にいれば、鳥は降下してこられないだろう――リセラもそう思ったようで、ミレア王女を真ん中にして抱きかかえなおすと、三人は木の幹に寄りかかり、朝を待った。そしていつしか三人とも眠ってしまっていた。 
  
 目覚めた時には、明るくなっていた。木の葉越しに、青い空と陽の光がちらちらと見える。木はアーセタイルでよく見た葉っぱの丸いものではなく、細くとがった葉が一面についていた。 
「とりあえず、水のある所を探しましょう。ミレア、歩ける?」 
 リセラは立ち上がりながら、連れの王女を心配そうに見た。 
「大丈夫。痛いけれど……」 
 ミレア王女は顔をしかめながら立ち上がり、痛めた方の足を少し引きずりながら歩き出した。陽の光の下で見ると、サンディが服を引き裂いて縛った薄茶色の布の上から、布地より少し濃い色合いの、薄茶色の液体がにじんでいる。 
 時間がたって、乾いたのかしら――サンディは、ふとそう思った。それならきっと、出血は止まったのだろうと。 
 どちらが森の出口なのか、周りには何があるのか、三人にはわからなかった。今、どこにいるのかさえ。鳥に運ばれて、ロッカデールの国境を超えたのは確認したから、たぶんその国にはいるのだろう。そして国境を越えてから落ちるまでの時間からして、まだ一行が後にしてきたアーセタイルから、それほど離れてはいない――そのくらいしか。 
 まだそれほど歩いていない頃、地面に一本の細い棒が落ちているのを、サンディは見つけた。拾い上げると、それは偶然落ちた木の枝ではなく、入念に細工されたものだとわかった。棒は何かで表面を磨いたようにすべすべしていて、片方には鋭くとがった石が、弦のようなものでしっかりと括りつけられている。もう一方の端には、ここで見た細い木の葉が束になって付けられていた。 
「これは矢ね」リセラがそれを手に取り、棒の部分にすっと手を滑らせた。 
「ミディアルにはあったわ。攻撃技を持たない人の武器」 
「同じなんですね」そんな言葉が、サンディの口をついて出た。 
「何と?」ミレア王女は不思議そうな顔をする。 
「ああ……きっとあなたの世界にも、同じようなものがあったのね」 
 リセラが少し考えるように黙った後そう言い、サンディも漠然と頷いた。 
「もしかしたらこの矢が、あたしたちを助けてくれたのかしら」 
 リセラはさらに考え込むように、そう言葉を継いだ。 
「あの時矢が飛んできて、鳥が驚いてミレアを離したから、あたしたちここに落ちたんだもの。あのまま運ばれていたら、今頃どうなっていたかわからないわ」 
「そうですね……」 
 サンディも漠然とした恐れのようなものを感じていた。ミレア王女も小さく震えている。 
  
 三人はその後、太陽がかなり高く上がるころまで、あてどなく森をさまよった。だが同じようにとがった葉っぱの木ばかりで、何も景色は変わらなかった。水も食料も持たない三人は、かなり疲労を感じていた。ミレア王女は足の痛みもあるようで、ついに座り込んでいた。 
「がんばって」リセラは声をかけたが、少し思い直したように王女を見やった。 
「いいわ。あなたは少し休んでいて。サンディもミレア一人だと心配だから、一緒にいて。あたしはこのあたりを見てくる」 
 彼女の声も、疲労の色が濃かった。 
「でもあなたも一人じゃ、危ないわ。あまり遠くへ行かないで」 
 サンディは声を上げた。 
「そうね。あまり遠くへは行かないわ。これ以上バラバラにはなりたくないものね」 
 リセラは二人を振り返った。 
「そうだ、リセラ」行きかけた彼女に、サンディは再び呼びかけた。 
「ここに戻ってくる目印を、何かつけたほうがいいわ」 
「ああ、それはいいわね。とは言っても……」リセラは周りを見回した。 
「何を目印にしたらいいかしら。あたし何も持っていないし、あなたたちもそうだし……ああ、そうだ」 
 彼女はさっき拾った武器を手に持ち、「ごめんね」と小さく声をかけながら、その鋭い先端部で、木の幹に傷を入れた。そうして彼女は歩いて行った。 
  
 リセラもかなりの疲労を覚えていた。飛行能力を使ってレラを消費したのに、補給するポプルはなく、水さえない。もう数十本くらいの木に目印の傷をつけながら、しかし本当にこの森は終わりがないように思えた。いや、ロッカデールにそんなに大きな森は、あったのだろうか。その国のことは何も知らないが――そのうちに木が少し途切れて、広場のような空間に出た。周りは相変わらず木ばかりだが、この一帯には青い下草が生えている。でも、泉はなさそうだった。 
 その時、別の方向から木を揺らせて、誰かが現れた。リセラはとっさに隠れようとしたが、疲れたあまり動作は遅くなり、相手が姿を現したときには、自分の姿を隠すことはできなくなっていた。 
 現れたのは、背の高い男性だった。まだそれほど年はいっていないだろうが、少年というほどではない。リセラは十九才だが、相手もせいぜい二つ三つしか年上ではないだろう――彼女はそう判断した。肩までかかった茶色の髪に、少し灰色がかった深い茶色の目をし、肌も少し茶色っぽかった。たぶん、純粋なこの国の民なのだろう。袖の短いこげ茶色の上着に、濃い灰色の膝下くらいまでの丈のズボン。手には、リセラたち一行が途中で拾ったのと同じような矢が二、三本握られ、もう一方の手には、それを発射するためのものだろう、半円形に曲げた木と糸のような武器を持っていた。 
 青年はリセラを見ると、驚いたように目をパチパチと瞬いた。 
「おまえは、どこの人間だ……?」 
 そして彼女が手に持っている武器に目を止めると、さらに驚きの表情を浮かべた。 
「それは……おれのものだ。どこで手に入れた?」 
「……こんにちは」 
 リセラは弱々しい笑みを浮かべた。ピンクの髪に白い肌、濃い青灰色の目の彼女は、ここの人間から見ると、かなり異質に見えるだろうと思いながら。ミディアルで育っている彼女には、最初はそういうことがわからなかったが、アーセタイルで二節近く過ごすうちに、何となく理解するようになってきていた認識だ。殊にロッカデールでは、どちらかといえば牧歌的なアーセタイルと違って、異なる人種への偏見が強いと聞いたこともある。特に彼女は、一目見てわかるディルト(二つ以上のエレメントが混ざった人間)だ。それも、ここの人間とは全く異なるエレメントの。 
「あたしはミディアルから来たの。他の十人の仲間たちと。でも昨夜、アーセタイルからロッカデールに入る前に野営していたら、鳥にさらわれて……いえ、さらわれたのは、あたしじゃないわ。仲間よ。その子を助けようとして、一緒に来たの。そうしたら矢のようなものが飛んできて、鳥はあたしたちを離したわ。それが、たぶんこれね」 
 彼女は持っていた武器に視線を落とした。そして目の前の若者を再び見た。彼が持っているものも。 
「あなたが撃ったの?」 
「ああ」若者は頷いた。 
「昨夜空を見ていたら、あいつが飛んでいくのが見えた。それで、撃ったんだ。届かないとは思ったが」 
「それならあたしたち、あなたにお礼を言わなければならないわね」 
 リセラは微かに笑い、持っていたものを相手に差し出した。若者は無言で受け取り、他のものと一緒にしてから、再び彼女を見た。 
「仲間と言ったな。そいつらもディルトなのか?」 
「まあ、そうね……」 
「そうか」 
「あなたもやっぱり、ディルトは嫌い?」 
「いや……」相手は少し目をそらした。 
「嫌いというわけじゃないが、初めて見たものだからな。驚いただけだ」 
「それなら良かった」 
 リセラはほっとした笑みを浮かべたあと、思い切って言葉を継いだ。 
「ねえ、あなた……ディルトが嫌いじゃなければ、お願い。もう少しあたしたちを助けてほしいの。少しお水がいただけるかしら。できたら、ポプルも……あたしたち、何も持ってなくて心苦しいんだけれど、もし仲間たちと合流できたら、きっとお礼はするから……」 
「ああ……まあ、いいさ」 
 相手は笑みこそ浮かべなかったが、頷いた。 
「ありがとう!」 
「あんたの仲間たちはどこにいるんだ?」 
「ここから、そんなに遠くないところにいるわ。二人とも疲れて、一人は怪我をしているから、休ませたんだけれど……迷わないように、その矢で木に印をつけてきたの」 
「そうか……じゃあ、一緒に行こう。それで、おれの家まで来てくれたら、水とポプルをやる。傷に効く葉っぱもある。案内しろ」 
「ありがとう……」リセラは再び礼を言い、相手を見て微かに笑った。 
 
 木の陰で待っていたサンディとミレアは、リセラと一緒にやってきた背の高い若者を、驚いたように見た。リセラは彼に会った経緯や、彼が矢を放って救ってくれたことなどを話した。二人はますます目を丸くして驚き、彼女たちもまた、お礼の言葉を口にした。 
「いや、別におれは、おまえたちを助けようとしたわけじゃない」 
 相手は少し照れたように言い、横を向いた。そして再び二人に視線をやった。 
「まあでも、あいつらが狙いそうな獲物だな、たしかに。小さい方は……減衰のひどいものか、さもなければ無色戻りの土だな。もう一人は……土の純血じゃないのか? 少し肌が白いようだが……」 
「いえ、わたしは、見た目はそうですけれど、違います」 
 サンディは首を振り、自分はどうやら別の世界から来たことを簡単に話した。相手はますます驚いたように目を見開き、ついで手を伸ばして、サンディの手を取った。 
「たしかにな……レラはない。しかし、『時の寺院』の話はちらりと聞いた程度で、よく知らなかった。異世界の奴なんて、ディルト以上に稀少だな」 
「ディルトは、ミディアルでは珍しくないけれどね。むしろそれが標準で」 
 リセラが微かに苦笑いしながら首を振り、 
「まあ、ミディアルはそうだろう。でもここはロッカデールだからな」と、相手は表情を変えずに頷く。そして彼はくるりと三人に背を向け、振り返った。 
「おれの家まで案内する。小さい奴は、歩けるか?」 
「なんとか……歩きます」 
 ミレア王女は気丈な様子で、頷いていた。しかし彼女のおぼつかなげな歩みを見ていた若者は、その前に立ち、背を向けて屈んだ。 
「来い。おぶってやる」 
「え?」王女は戸惑ったように声を上げた。 
「そんなひょこひょこした歩き方じゃ、時間がかかる。遠慮はするな」 
「あ……はい。ありがとうございます」 
 若者は立ち上がり、ミレアをおぶって歩き出した。リセラとサンディは感謝の目を彼に向けた。 
「ありがとうございます。そういえば、あなたのお名前を聞いていませんでした」 
 サンディが言うと、相手は振り返ることなく、短く答えた。 
「ローダガンだ」 
 名乗ったのは、それだけだった。ここでは姓も含め、みな最初は名前の全部を名乗るのだが。三人は顔を見合わせ、自分たちも最初の名前だけを名乗った。相手はそれで満足したようだった。 
「長い名前を言っても、覚えきれないだろうからな」 
 ローダガンはちらっとリセラとサンディを振り返り、歩き続けた。やがて一行は小さな木でできた小屋の前に着いた。 
「ここがおれの家だ。入ってくれ」 
 
 その小屋は小さいが、さっぱりと片付いていた。片隅に武器を作っているらしい作業場が見え、奥には寝棚がある。木のテーブルの上には何ものっていず、周りには木の切り株のような椅子が二つほどある。 
「人数分の椅子はないな。あとは床にでも座ってくれ」 
 ローダガンは戸棚を開けて、水の瓶を三本取り出した。それをテーブルの上に置き、さらに同じ戸棚からいくつかのポプルを取り出す。三つの白と、一つの茶色。彼はそれもテーブルの上に置いた。リセラたち三人は感謝の言葉を述べたあと、水を飲み、ポプルを食べた。 
「あんたのエレメントのポプルは、おれは持っていない。白で我慢してくれ」 
 ローダガンはリセラをちらっと見ながら、首を振った。 
「ありがとう。わかっているわ。ここで光ポプルは、なかなか手に入らないのよね」 
 リセラは微かに笑い、白ポプルを食べた。光が補給されないと飛べないが、それは致し方ない。 
 ローダガンはミレア王女の傷も手当てしてくれた。布をほどき、傷口を濡らしている薄い茶色の液体を別の布で拭き取ると、戸棚の上の瓶に詰められた、少し灰色がかった緑の葉を取り出した。それを傷口に当て、新しい布を探してきて巻いた。 
「この葉は、傷の腫れを押さえてくれる」 
「ありがとうございます」 
 ミレア王女は小さな声で、しかし熱意がこもったような礼を口にした。 
 サンディは汚れた布を手に取った。さっきまで王女の足に巻いてあったものだが、そこにところどころ薄茶色の染みが残っている。血が乾いてこんな色になったのだろうとサンディは思っていたが、見たところまだ湿っているようだ。 
「汚れた布は捨てよう。この箱に入れてくれ。あとで庭に埋める」 
 ローダガンは彼女を見やり、薄い木でできた箱を差し出した。サンディはその中に汚れた布を入れた。彼女の指に少し液体がついてきたが、それもやはり薄い茶色をしている。 
「これは……血?」サンディは小さく呟いた。 
「ほかになんだって言うんだ?」 
 ローダガンは少し不思議そうな顔をしていた。リセラやミレアも。 
「血は……赤いものだと思っていたから」 
「血が赤いのは、フェイカンの人だけじゃないの? 火の民の」 
 リセラは怪訝そうに言い、ついで何か思い当たったように手を打った。 
「ああ、そうね。サンディとは世界が違うんだったわ。あたしたちの身体を流れる血は、エレメントの色なのよ。だからミレアの場合は、薄い茶色なの。ここの人たちだと……茶色?」 
「アーセタイルは緑が多いがな。ロッカデールはほぼ茶色だ。灰色がかった奴もいるが」 
 ローダガンは頷いた。そして不思議そうな表情になって、リセラに問いかけている。 
「あんたの場合は、何色なんだ?」 
「あたし? 黄色にピンク交じりよ」 
 その答えに、彼は妙な表情をした。 
「見たことがないな」息を吐くような声を出し、首を振る。そしてさらに不思議そうな表情になって、サンディを見た。 
「さらに世界が違う奴もいる、と。あんたの血は赤いのか? フェイカンの奴みたいに」 
「ええ」サンディは頷いた。ここに来てから、そういえば流血のケガはしたことはないが、たぶんそうだと。彼女は木に擦れた腕の擦り傷を見た。少しだけにじんだ血は、やはり赤い色をしていた。 
 
 
 
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