第112夜 ニューヨークに行きたかった〜!
 「アメリカ横断ウルトラクイズ」



 僕は本当に「ウルトラクイズ」が大好きな少年だったのです。
「知力・体力・時の運、早く来い来い木曜日!」っていう当時の番組の終わりの
キャッチフレーズを今でもソラで言えるくらいに。
あの後楽園球場が一杯になるくらいの凄い数の参加者の中で勝ち抜いてきた
ツワモノが、クイズ勝負でひとり、またひとりと減っていきながら
ニューヨークを目指すという設定は、どんどん少なくなって
個性が印象付けられていく参加者への感情移入もあって、
僕の中ではすばらしくドラマチックなものだったのです。
「大学を休んで参加してます」という参加者に「勉強しろよ!」と毒づきつつも
「僕も大学生になったら、絶対ウルトラクイズに出るんだ、と心に決めていたのに。

 しかし、視聴者参加型クイズの衰退と莫大な予算のため、
僕が大学に入学したのと時を同じくして「アメリカ横断ウルトラクイズ」は終了してしまい、
高校生クイズだけになってしまう、という厳しい現実が。
「答えは、これだ〜!」
という福留さんの声に「オーーーッ!」とか、やってみたかったなあ。

 そういうわけで、ウルトラクイズマニアとしては、
今までさんざん発売されたウルトラクイズのゲームは、ほとんどやりつくしているのです。
20年前くらいには、アーケード版の「ウルトラクイズ」もあったんですよ。

今回はゲームボーイ版の最初の「アメリカ横断ウルトラクイズ」について書きますが、
ゲームは番組の構成をそのまま真似していて、
後楽園での「自由の女神クイズ」から始まって、
成田でのじゃんけん(コレに負けると、実力じゃないだけにムカつきます)、
自分の無知が白日の下にさらされる機内クイズ、泥んこクイズや神経衰弱、
決勝のニューヨークでの一対一の10ポイント先取まで、
さまざまなステージを勝ち抜いていかないといけません。
 まあ、内容的には「普通のクイズゲーム」なんですが、
僕は「ウルトラクイズ」というだけで、優勝するまで何度も何度もやったものです。
 しかし、後楽園の予選で勝ち抜くなんて、よっぽど運がいいか、
問題を記憶していかないと絶対にクリアできない!
たぶん、なんとか優勝できたのは「問題を覚えつくした」からなのだと思います。

 やっぱり、マニアとしては、PSGの貧弱な音源でも、
ウルトラクイズのテーマが流れるだけで、嬉しかったんだよなあ。
それにしても、視聴者参加型のクイズ番組って減りましたよね。
他人が賞品や賞金貰っているのをみるのは、確かに面白くないけどさ。