第170夜 忍者の掟より厳しいゲームの掟!「抜忍伝説」


参考リンク:抜忍伝説攻略サイト


 ブレイン・グレイ第1回作品と銘打たれて発売されたのが、この「抜忍伝説」です。
 このゲーム、当時は、「天才ゲームクリエーター」飯島健男さんプロデュースの超大作として、小学館のゲーム雑誌「ポプコム」などで大々的に取り上げられていたものです。

天正九年(1581)九月、伊賀は信長軍による攻撃を受け、伊賀の里に住む忍者軍は壊滅状態に陥った。これを、天正伊賀の乱という。・・・しかし、伊賀忍軍は生きていた・・・これは、戦乱の中、厳しいおきてにそむき、抜忍となった三人の男達の記録である。

この「抜忍伝説」、発売当時は、「それぞれの事情で『抜忍』となった、邪鬼丸・幻妖斎・小源太の3人の主人公がそれぞれ別々のストーリーを進行させながら、ときおり接点を持って、それぞれのストーリーを変化させていく」という、ADV「街」の「ザッピングシステム」のような新機軸で大ヒットを記録しました。もちろん僕もX1版を買いました。

 しかしながら、このゲーム、実際にやってみると、とにかくもう、やたらとシステムが複雑で何をやっていいのかわからず、おまけにイベントが起こるポイントはマップの広さのワリには少なく、歩いているだけでお腹はすくし敵は強いしで、僕はかなり最初のほうで挫折してしまったのです。いやほんと、このゲーム、今こうして攻略サイトで振り返ってみると面白そうなんだけど、やっている当時は、「なんなんだこれは…」という感じだったのです。ずっと「惑星メフィウス」の砂漠シーンが続くようなゲームなんですよ本当に。

 ましてや、当時は「インターネットで攻略サイトを見る」なんていう手もありませんでしたから、毎月発売されるゲーム雑誌を「あの場面のヒントが載っていてくれ!」と祈りつつ開くのですが、まあ、そう簡単に望みの場面は載っていないわけで。

 あの頃のマイコンゲームのトラップの悪逆非道さに比べれば、「ドラゴンクエスト2」の「すいもんのカギ」なんて、まさに「子供騙し」レベルでした。

 例えば、参考リンクのサイトから引用させていただいた、こんな場面。

四鬼は、代わる代わる幻妖斎の肉体をひきちぎると、さもうまそうにむさぼり始めた。その光景は、まさに地獄絵図であった。

幻妖斎:四鬼よ、満足したなら約束を守ってもらおう。

風鬼:んー、約束だあ。よーし魂をやろう。受け取ってみろ・・・どうした?残念だな。手がなくては受け取れぬか。グワァーッハッハッ。

幻妖斎:お、おのれ、だましたな!

風鬼:だまされる人間が馬鹿なのよ。そこで苦しみながら死を待つがよい。四鬼は、幻妖斎をあざ笑うと霧のように消えた。幻妖斎は手足をもぎとられ、血だるまになり床につっぷしていた。

幻妖斎:死んでたまるか・・・

保存したところからゲームを続けますか(はい/いいえ)?

「はい」を選んだ場合:極悪なトラップ。ここで「はい」を選んでいると、永遠に先には進めません。

「いいえ」を選んだ場合:こちらを選んで、往生際悪く方向キーを一定時間押し続けると、四鬼は幻妖斎の執念に折れて仲間になってくれます。


「保存したところからゲームを続けますか(はい/いいえ)」ですよ!

 そんなの「ゲームオーバーなのか…」と思うよ普通は。

 まあ、当時のパソコンゲーム慣れしていれば、「ちょっとおかしいかな?」と思うかもしれませんが、そのあともさらにしつこく方向キーを押し続けなければ、話は先に続かないのです。

 こんなの答えを知っているか、解析でもしないと絶対に解けないよ……

 いや、このゲームって、この手の「即死トラップ」が結構多いし、当時としてもかなり難しかったんですよね。世界観とかストーリーは非常に面白そうだっただけに、すごく悔しかったのをよく覚えています。そういえば、このゲームとほぼ同時期に「誰でもクリアできるアクションRPG」として、「イース」シリーズが発売されたのは、「とにかく難しくて長く遊べるのがパソコン(マイコン)ゲームの良いところだ」という固定観念が、ついに飽和してしまったことの象徴なのかもしれません。今から考えたら「クリアできることがセールスポイントになる」なんて、ヘンな話なんですけどね。

 まあ、こんな苦難の道のりなら、僕は絶対に「抜忍」にはならないと思いますので、「教育目的」には、素晴らしいゲームなのかもしれません。飯島さんの「ラストハルマゲドン」や「ブライ」は家庭用ゲーム機でも発売されましたが、さすがにこれは内容のグロさもあいまって、家庭用機では出なかったしねえ。