「献体を申し出る人が増えている」理由


YOMIURI ONLINE』の記事より。

死生観に変化、献体急増21万6千人登録制限も(全文はこちら

大学の医学部に、献体を申し出る人が増えている。解剖実習は医師免許を得るために欠かせない課程の一つ。大学はかつて献体集めに大変な苦労をしたが、最近では希望者が多すぎて登録の制限を始めたケースもある。世の中、何が変わったのか。

(中略)

「県内を駆け回っても、なかなか必要な数が集まらず、東京の医大から分けてもらっていました」。こう振り返るのは、琉球大の担当者。本人がその気でも家族が反対したりで、なかなか確保が進まなかったという。

 ところが、近年、状況は一変している。長く献体運動を進めてきた「篤志解剖全国連合会」(東京、87大学加盟)によると、20年前、10万人に満たなかった献体登録者は現在、21万6000人と倍増している。

 神戸大学の献体窓口団体「のじぎく会」には現在、約5500人が登録しているが、一時は献体が必要数を上回る事態に。「解剖されないまま遺体の保管が長くなるのは、遺族を心配させる」と1997年から9年間、入会者を年50人に制限した。

 このほか、千葉大など多くの大学が、年齢制限や面接といった方法で登録数の調整に踏み切った。献体の実態調査をする財団法人「日本篤志献体協会」(東京)は「相当数の大学で制限や登録の一時停止など、何らかの措置を講じた」としている。

 献体運動にかかわってきた順天堂大の坂井建雄教授は、日本人の死に対する意識が変わったことが大きいと分析する。「通夜から納骨に至るまで、何日もかかる一連の儀式を見届けることで、日本人は肉親の死を受け入れてきた。でも、医学の進歩に役立つという意識を持つことで、多くの人が死に理性的に対処できるようになったのでは」と話す。

「申込者はほとんどが60代か70代。自分の死を思い描ける年齢になって、世のために何か役立てたら、と思われるようです」。こう話すのは、千葉大学の窓口団体「千葉白菊会」会長の丸山武文さん(70)。同会には年約300件もの相談が寄せられる。

 中には、懇願するように頭を下げる人も。「両親や兄弟、子どももいない。だから死後の面倒を見てほしい、というのです。本来の趣旨と外れているので、お断りしたいのですが」。大学は慰霊を行い、遺骨の引き取り手がない場合、納骨もする。千葉大には戦前に作られた納骨堂があり、今でも年に数体が納められる。】

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 この記事は、【社会の寂しさは、誰が治療するのだろう。】という一文で締めくくられています。

 「献体が増えた理由」に「高齢化社会の進行と家族関係の希薄化」が影響しているのま間違いないような気はするんですよね。「遺体がないとお葬式のときにややこしいことになる(というか身内にあれこれ言われたりする)」と考える人も少なくなったのでしょうし、この記事でも取り上げられているように「自分が死んだあとに弔ってくれる人もいないから」「経済的に厳しくて、身内に金銭的な負担をかけたくない」(献体した場合、亡くなられたあとの処置から慰霊式までは、ひととおり大学側でやってくれるので)、と言うような理由もあるのでしょう。もちろん、「自分の身体が命を終えたあとでも誰かの役に立つのなら」と考えるようになった人も増えているのだと思います。

 「臓器移植」というのも「死後も自分が生き続けるというひとつのかたち」であるとするならば、解剖されたり病理標本になったりするのも、ある種の「自分をこの世に遺すこと」なのかもしれませんし。

 話題になった『人体の不思議展』で展示されている「臓器」は、みんな「生前の意志にもとづいて献体されたもの」だそうです。

 ただ、その一方で、海堂尊先生が『死因不明社会』で書かれているように、日本の「解剖率」はわずか2%にしかすぎないのです。これはいわゆる「先進国」のなかでも最低水準(ただし、解剖率の低下は、世界的な流れのようです)。

 「医学の発展のため」という意識がそんなに根付いているのなら、こちらのほうももっと増えてきてよさそうなものなのですが、こちらの減少傾向には歯止めがかかりません。まあ、医者側も「異状死や難病での死でなければ、それほど積極的にお願いしなくなった」という面もあるのですけど、「自分の死」に関する「死生観」は変わりつつあっても、「周囲の人の死」に関しては、そう簡単に「合理的な判断」を受け入れきれていないというのが今の世の中なのでしょう。

 「医学の進歩」という観点からいえば、学生実習で解剖させていただく「献体」だけではなく、「病理解剖」がもう少し受け入れられてもらえればな、とも感じるんですよね。日本人的な生涯を送ってきた僕としては、「自分じゃないから好きに解剖していいよ」と言われる世の中よりは「健全」なのかな、とも思うのですが。

 「多くの人が死に理性的に対処できるようになった」という時代は、ある意味、「死」にすら幻想を持てなくなった不幸な時代なのかな、とも僕は感じます。

 「死んでしまったら『モノ』なのだから、医学生たちの役に立ててもらったほうがいい」というのって、逆に「そうでもしないと、『死』というものに何も見出すことができない」という怖さの裏返しなのではないか、という気もするんですよ。

 まあ、僕はどちらかというと、献体の増加は「死生観の変化」というよりは、ドラマ『白い巨塔』のラストの財前五郎の「遺書」の影響のほうが強いんじゃないかな、とか考えているんですけどね。