「いい医者」って何だろう?って、健さんと考えてみた


日刊スポーツの記事「日曜日のヒーロー・No.497(上)」より、高倉健さんのインタビューの一部です。

【50年。真摯に俳優という職業と向き合ってきた。気合を入れるために、撮影現場では待ち時間もイスに座らない。スタッフや若い俳優が緊張していると感じたら、ちゃん付けで呼び掛け、空気をなごませる。辺境の地の撮影も多かった。厳しい環境にもあえて立ち向かった。厳冬の八甲田山、北海道、北極、南極、アラスカ、砂漠が広がるアフリカ…。

高倉健「どこにでも行ったね。僕はすぐに甘えちゃうから、厳しいところをどんどん選んだ。自分を磨くってことは痛いよ。だって削っていくんだもん。芯しか残らないんだよ。でも、やるぞって思ったら、その時しかないんだよね。いろいろ言っているうちに、みんな年をとって死んでいく。時間は意外とないものですから、飛び出していかないといけないね」。

 今、あらためて俳優という仕事について考えている。

高倉健「最近、いい俳優って何だろうって考えているんですよ。書き出してみたんです。セリフ覚えの能力がある。恥をかくことをいとわない。所得の額。人気投票の数。全部違うでしょ? これが分からないですよ。50年もやっているのにね。真剣に考えてこなかったから、いまだに分からないんです」。】

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 このインタビューを読んでいて、僕も「いい医者」って何だろう?と考えてしまいました。日頃から「いい医者」になりたいと漠然と思っているわりには、具体的にどういうのが「いい医者」なのかについて、決定的な「答え」を持ってはいないような気がします。「患者さんに信頼される」「研究で世界的に有名になる」「手術が上手い」「収入が高い」「休まずによく働く」「スタッフに協力的である」これらはもちろん「全部違う」というわけじゃないのですが、このうちのどれかが「絶対的な正解」だとも思えないのです。これらを全部兼ね備えれば、「いい医者」だと言えそうですが、それはさすがに人間ワザではないのでは…という気がしますし。
 「50年間真摯に俳優という仕事に向き合ってきた」健さんでも「分からない」のだから、職業ひとつにしても、自分のことを「いい○○」だなんて言ってしまうのは、所詮、思い上がりなのかもしれません。「真剣に考えてこなかった」と御本人は仰っておられますが、健さんにそう言われてしまっては、他の俳優は立つ瀬がありますまい。月並みな答えなのですが、「いい医者」の答えを探し続けることが、「いい医者」への道なのかもしれませんし、逆に、考えれば考えるほど、答えから遠ざかっていくような気もするし…
 それにしても、この【いろいろ言っているうちに、みんな年をとって死んでいく。時間は意外とないものですから、飛び出していかないといけないね】という言葉、本当に身につまされます。ほんと、口ばっかりで行動が伴わなければ、結局は何にもならないですよね。ほんと、僕も「残された時間」を大事に使わなくては。