「いい医者」と「よき家庭人」との両立は可能なのか?(1)
先日、先輩Drたちと呑んでいた際に、それぞれの家庭の話になった。
大先輩たちが言うには、「医者というのは、仕事を一生懸命やればやるほど、家にも帰れなくなるし、家族サービスをやっている時間もなくなってしまう。それじゃ、家庭がうまくいくわけがない。家庭円満ってことは、仕事を一生懸命やってないってことなんだよなあ。少なくとも今の日本の医療制度では、仕事と家庭生活を両方とも最高にうまくやってくことは、無理だよ」ということだった。独身である僕は、今ひとつ実感がわかずに、そうですねえ〜なんていって、聞き流すような感じになってしまったのだけれど。
反論したいような気もするけれど、やっぱりそうかなあ、という気もする。
まあ、こういうのは忙しい仕事をやっている人間にとってはつきものの話で、医者に限ったことではないんだろうけれど…
それにしても、医療業界には、家庭的な不幸が起こる頻度が多い気がします。これは、一般的にいわれているような、「世間知らずの医者」とか「看護婦さんを手篭めにしまくる医者」みたいな状況があふれているためか?というと必ずしもそうでもない。もちろん、モテまくり、遊びまくりの医者というのはいますが、大部分の人は普通のサラリーマンであり、常識の範疇で生きています。
ただ、テレビドラマのようなカッコいい、仕事に燃える医者、というのは逆に、家庭人としては失格なことが多いのも確かで。例えば、救命病棟24時に出ているような生活をずっと送っていたとして、彼らは家には帰れません、ほとんど。
で、家では「どうしてあなたはいつも仕事仕事なの?」と責められる。いや、たいへんな仕事だと理解しているつもりでも、必ずそうなります。で、病院で看護婦さんに優しくされたりすると、ついつい情が移ってしまう。で、奥さんと別れてその看護婦さんと再婚したりすると、またふりだしにもどる、と。無限ループ。
傍目でみて、仕事に燃えるカッコいい医者、モテる医者、というのは、家庭人としては、最悪なわけですよ、要するに。
家にたまに帰ってくれば、家庭に対する不実を責められるし、外ではチヤホヤされる。
家庭生活がうまくいかないのも、むべなるかな。
ただ、僕は最近思うのです。仕事に生き、患者さんのために身を粉にして働く医者もマイホームパパで、休日診療お断りの医者も、結局、その人のもっている情の量は同じで、ベクトルが異なるだけではないのか、と。どっちが正しいとか、そういう筋合いのものではなくて。
患者さんという対象に、雨のようにふりそそぐのか、家族というより身近な範囲に、滝のようになだれ落ちるのか。
しかし、これもあまりに多くの人ににいきわたるようにしようとすると霧吹きのようになってしまって誰にも伝わらず、あまりに一点に集中しすぎると相手は溺死。
仕事と家庭のパーフェクトな両立、というのは、かなり難しそう。
やっぱりバランスなのかなあ、とあいまいなひとまずの結論を出して、
パート1を終わってみます。