「医者」と「パイロット」と「胴体着陸」
時事通信の記事より。
【「決められた通りにやりました」。前輪が出なかった全日空1603便ボンバルディア機を高知空港に胴体着陸させた今里仁機長(36)は、着陸後、会社に対しこう冷静に報告したという。
全日空によると、機長は別の航空会社勤務を経て1996年に入社。2003年から機長を務め、総飛行時間は約7900〜8000時間だった。事故を起こしたDHC8−400型機での飛行時間は900時間弱で、「十分な経験」(関係者)を備えていた。機長を知る人によれば「冷静沈着な人物」という。
機長は大阪(伊丹)空港を離陸して約1時間後、「前輪が下りないため、地上と連絡を取り合いながら原因を究明しています」とアナウンス。後輪を滑走路に接触させ衝撃で前輪を出すため「タッチアンドゴー」を行ったが、成功しなかったため、「緊急着陸します」と告げ、胴体着陸に踏み切った。最悪の状況ながら1人のけが人も出ず、「前輪がないとは思えないほど衝撃が少なかった」と振り返る乗客もいた。】
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僕もあの胴体着陸のシーンをリアルタイムで観ていたのですが、飛行機が見事に最低限の衝撃で空港に着陸したのを観て、思わず拍手してしまいました。いや、パイロットって本当に凄いなあ、と。
機長は「決められた通りにやりました」と話しておられたそうですが、ああいう「緊急事態」で「決められた通りにやる」というのは、けっして簡単なことではないはずです。パイロットというのは、普段から不測の事態に備えて、精巧なシミュレーターに何百回、何千回と乗ってトレーニングしているのでしょうけど、シミュレーターで失敗しても人が死ぬわけではないですし、やっぱり「練習」と「本番」とは違うはずです。
僕が聞いたかぎりの話では、最近の飛行機、とくにジャンボジェット機などの大型の飛行機はかなり自動化されており、順調に飛行できているときの機長・副機長の仕事というのは、そんなにあわただしいものではないそうです。そんな話を耳にすると、「いいなあ、僕もパイロットになりたかったなあ」と思うのですけど、今回のようなトラブルが起こると、「人の命を預かる仕事」の怖さというものをあらためて考えさせられるのです。この機長だって、この日の朝に家を出て、この飛行機に乗って離陸して、前輪が出ないことを確認するまでは、「ごく普通の1日」を過ごしていたはずです。もちろん、それなりの緊張感はあったのでしょうが、戦闘機のパイロットならともかく、航空会社の定期便では「何も大きなトラブルが起こらない」のが「あたりまえ」でしょうし。
僕の日頃の仕事の愚痴というのは、「外来の患者さんの人数が多すぎる」ことや「検査の数が多すぎる」というような「忙しさ」に関するものがほとんどなのです。でも、そうやって日常業務をなるべく手際よくこなしながら(って言うほど実際は手際よくできてないんですけどね)、突然やってくる、入院患者さんの急変や救急車、当直時の急患にも対応していかなければなりません。それが「医者として(少なくとも病床がある病院の内科勤務の医者として)当然」なのです。そう考えると、「ずっと重症の急患ばかりが送られてくる救急救命センター」のストレスはすごいだろうなあ、と思います。
僕だって口笛を吹きながら出勤しても、医療ミスを起こしてそのまま拘置所へ、というような事態だってありえないとは言い切れないのです。そういう「臨機応変」「咄嗟の対応」がけっして得意ではない僕は、朝、家を出るとき、「今日は無事に帰ってこられるだろうか?」と、ふと考えることがあります。まあ、今のところそれは「杞憂」に終わってくれているのですが……
「胴体着陸」が本番でできるかどうかなんて、ほとんどの人が「やってみなければわからない」と思うのですよ。「訓練してきたから技術的に可能」であっても、それをプレッシャーのかかる、失敗が許されない場面で完璧にやってのけるというのは、さらに難しいことのはず。そして、医療の場合は、医者からみれば「前輪が出ていない」ような状況でも、それを患者さんたちがすぐに理解できるように説明するのは困難であることも多いのです。実際は「胴体着陸」をしていても、患者さんや御家族が理解してくれず「どうしてあんなに着陸のときに揺れたんだ!」なんて怒られたりすることもあります。
ほんと、「人の命を預かる仕事」のスゴさと怖さをあらためて思い知らされたような気がします。でも、24時間常に「胴体着陸ができる精神状態」を維持するというのは、あまりに辛いことですし、実際にはパイロットの能力以前に、爆弾テロやハイジャックなどの、 どうしようもない事故に巻き込まれる可能性だってあるんですよね。