第103夜 すべては「ドンキーコング」から始まった



 鉄骨の足場の上にたたずむ女の子と、その横でお腹を叩く巨大猿。
 このゲームは1981年に発表されたのですが、発売当時は、ヒットゲームではあったものの、ゲームセンターでは、任天堂というメーカーの知名度もあって、ナムコの「ギャラガ」や「ボスコニアン」そして「ゼビウス」などに比べれば地味な存在でした。
 面が進んでも敵の数が多くなるとか敵のスピードが早くなるだけ、というゲーム全盛の時代に、「鉄骨を上っていくコングと、それを追いかけていくマリオの前に現れる多彩なステージ」というストーリー性は、画期的なものではあったんですけどね。

「ドンキーコング」は1面(25m)が最も有名で(まあ、誰でも1面から遊ぶわけですから、当たり前なんですけどね)、マリオが梯子を使ってレディのところに上っていくのですが、上からコングが転がしてくる樽を飛んだり、ハンマーで叩いたりしながらよけていかないといけません。おまけに、鋭角に飛んでくる樽とかもありますし。
 またこのハンマーが曲者で、樽を叩いて壊せるのはいいのですが、パックマンのパワーエサとは違って、タイミングが合わないとハンマーを持っていても樽にやられることもありますし、ハンマーを持っていると梯子を上れないというデメリットもありました。
 上級者は、あんまりハンマーを使わない人が多かったような。

実際に「ドンキーコング」がこんなに有名ゲームになったのは、ファミコン版が発売されたから、だと僕は記憶しています。
 当時は、「ゲームセンターのゲームが家でできる」なんて、誰も信じていなかった時代(あえて言えば、ぴゅう太の「スクランブル」は、かなりいい線いってましたけど)ですから、「ドンキーコングがファミコンに移植された!」というよりは、「ファミコンというのは、ゲームセンターそのままのゲームができるのか!」という衝撃のほうが大きかったような気がします。正直、別にドンキーコングじゃなくてもよかったような…
 ゲーム自体は「本物そっくり!すごい!でもけっこうすぐ飽きる…」という噂が、当時の子供の間には流れていましたし。
 のちの「ゼビウス」のときには、「あのゼビウスが!」というインパクトはかなりのものでしたが。

しかし、ファミコンの普及という点では、本当にこのゲームと「マリオブラザース」の登場は大きかったと思います。
 だって、みんなおもちゃ屋の店先に並んでデモ用のゲーム機を奪い合っていたくらいですから。

 ちなみに、ゲームセンターの「ドンキーコング」は、全4ステージ(25m、50m、75m、100m)あって、100mでコングを倒すと、また最初のステージに戻るようになっています。でも、ファミコン版は容量の関係か、50mのステージは移植されず、全3ステージの繰り返し。当時のファミコンのカセットの容量というのは、その1ステージを削らないと入りきれないくらいの時代だったのですね。
 なんだか、今から考えたら、「幻のステージ」になっていしまった50mのステージがかわいそうに思える話。

 どうせ「ファミコンミニ」で出すのなら、50mのステージも移植してもらいたかった…それじゃ「懐かしくない」からダメ?