第100夜 たぶん、人生の20分の1くらいは「ダービースタリオン」


 このゲーム(第1作目)が発売されたのは、1991年の12月ですから、今から約12年前になります。なんとなく、もっと昔からあったような印象もあるのですが。

 最初に「ベスト競馬・ダービースタリオン」を知ったのは、「ファミコン通信」の紹介ページでした。「自分で強い馬を生産し、G1をはじめとした大レースを勝っていく」というのが「ダービースタリオン」。ちなみに、プレイヤーができることは牧場を経営して、牝馬を購入し、高い種牡馬と交配すること、そして産まれた仔馬を厩舎に入れ、日々の調教を行って鍛えていき、出すレースと騎手を選ぶこと、です。実際にレースが始まってからは、プレイヤーは何もできません。そう、肝心のレースについては、本当に「見ているだけ」なのです。

今となっては、誰も驚かないこのシステムなのですが、当時はみんな、その思い切りのよさにビックリしたものです。「レースで馬を自分で操作したりできないの?」って。

「ダービースタリオン」の第一作は、正式名称の最初に「ベスト競馬」とあるように、「ダビスタ」の前にアスキーから発売され、一部のデータ作成・収集マニアに大人気を博した「ベストプレープロ野球」の競馬版のような位置がされていて、「適当に作った、2番煎じ」みたいなイメージもあったんですよね。

牧場・調教画面・レース中と画面は地味だし、1年前には「スーパーファミコン」が出ています。まだスーパーファミコン用ソフトは少なかったとはいえ、「いまさらファミコンでなんて」という空気もありました。
 今から考えると、あの時代のファミコンだからこそ、できた「冒険」だったのかもしれません。
 「ダービースタリオン」は、当時からゲームの評価の中で圧倒的な権威を持っていた「ファミコン通信」のクロスレビューのコーナーで、かなりの高得点を挙げました。

 少なくとも僕はそれまでこのゲームを意識したことはなかったのですが、意外なゲームの高得点に意外に思うと同時に、興味を持ったのは確かです。うちの親は競馬好きで「土壌」があったことも事実なのですが(でも、「競馬なんて何が面白いの?」なんて「ダビスタ前」までは思っていたんですけどね)。

 ただ、「ファミコン通信」での高評価に対しては、「アスキーの自社ゲームだからじゃないの?」という懐疑的な見方もしていましたが。
 結局、思い立って「ダビスタ」を買いに行ったときには、手に入れるのにかなり苦労しました。
 どこも「売り切れ」なんですよ、あの「地味な競馬ゲーム」が。

 今から考えると信じられないことなのですが、当時のゲームショップは、「ダービースタリオン」というゲームが本当に売れるのかどうか非常に懐疑的で、大本の生産数や仕入れ数が少なかったせいだったということは、後に知りました。

 そして、ようやく入手した「ダービースタリオン」。地味な音楽、地味なグラフィック。
 しかし、このゲームに見事なまでに僕はズッポリとハマってしまったのでした。
 寝る間を惜しんで、馬を生産し、調教し、レースに出し続けました。
 このゲームのいちばん良いところは、ゲームの中に「もうひとつの世界」がある、ということなんですよね。

 いろんな馬がいます。短距離向き、長距離向き、早熟、晩成、血統が良い馬、期待ほど走ってくれない馬、安い種牡馬の仔なのに予想外に活躍してくれる馬。
 単にデータと数字のイタズラの世界なのかもしれませんが、そういう「偶然性」こそがまさに、競馬の世界だったのだと思います。
 レースが終って、自分の馬が「競争中止」になってしまい、「えっ、ケガしちゃったのか…」と思っていたら、いきなり画面が真っ暗になり「予後不良」の文字が出てきたときは、本当に何がなんだかわかりませんでした。

 このゲームは、リセットもできませんし、愛馬の死を「自然の摂理」として受け入れていかないといけません。
 でも、それは単なる「データの消失」以上の喪失感を確実に僕に与えていました。

 トライアルレースで勝ったのに、本番のレースの週になって急に調子が落ちたり、破行してしまう馬もいましたし、条件線も勝てなかったのに、急激に成長してG1レースを勝っていく馬もいました。

 そういう「意外性と思い通りにいかないもどかしさ」こそが、「ダービースタリオン」だったのです。

 当時はまだ牝馬が生産できなかったり(当然、生産馬を繁殖入りさせることもできない)、一部のG1レースが以外は関西のレースが無かったり、選べる騎手が20人しかいなかったり、今から考えたら本当にスケールが小さかったのですが、当時の僕にはそのくらいでちょうど良かったのかもしれないし。
 まだ「ブリーダーズカップ」もありませんでしたから、「最強馬」というのは、人それぞれ自分のカセットの中にだけいるものだったし。

 そして、このゲームのシンプルさが逆に、僕の想像力(あるいは妄想癖)をかきたてて、僕は自分の中に「なかなかG1を勝てなかった名馬」とか「これからというときに予後不良になってしまった悲運の馬」なんてストーリーをたくさん作っていたのです。

 おかげで僕は競馬のレース体系にすっかり詳しくなって、3月2週は弥生賞!みたいにいつの間にかレース日程を暗記してしまったくらい。

 「ダービースタリオン」は、当時の僕にとって「もうひとつの世界」でした。
 そして、「ダービースタリオン」は、僕に競馬を教えてくれました。

 「ダービースタリオンを一生遊ぶ本」なんて、ゲームの攻略本というより、競馬への愛を感じる分厚い本も出ていましたね、そういえば。
 なぜかゲーム中の種牡馬では、スティールハートが最強でしたよね(遠い目)

 「ダビスタ」に費やした時間があれば、何か凄いことができたかもなあ、なんて、今でも思うくらいです。