東日本大震災と日立市、ひたちなか市の被害

掲載日2011年4月27日                   斉藤 清

     追記日2011年5月2日

 
 常磐線・日立駅から太平洋を望む。ここから見ると大津波が無かったようないつもの光景だった。(4/20撮影)

 ようやく常磐線の各駅停車の電車が、上野駅から勝田駅までの運行が始まり、勝田駅乗り換えで高萩駅までの電車も間引き運転で再開されたので、前から懸案だった震度6強の地震で被災したひたちなか市の家(現役時代に住んでいた家で、現在改築して長男家族が住んでいる)の被災状態と、日立市の平和台霊園から、墓石が被災しているので、修理するようにとの手紙も来ていたので、所用も兼ねて4月15日からしばらく茨城県に出かけていた。所用はHPに掲載する内容ではないので割愛する。

 茨城県北部の日立市、東海村、ひたちなか市は、太平洋に面しているが、今回の東日本大震災では、その被害状況が全国版のマスコミであまり報道されていなかったが、行って見て想像以上の被害に驚いたのであった。

 震度6強の地震とその後の高さ4〜6mの大津波は、この辺では明治以来、初めての大震災だったようだ。

 あちらに行っていた日は、毎日何度も震度4〜4強の余震が襲い、その都度びっくりするやらドキットするやらで、気が休まらなかった。

 東海村には出力110万kWの大出力原子力発電所(福島第1原発1号機は出力46万kW、2〜4号機は78万kW)が1基あり、またひたちなか市の常陸那珂港には、最新鋭の大出力火力発電所があるが、どちらの発電所も停止中などで大きなトラブルが起きなかったのでほっとした。

 東海村の上記原子力発電所が、津波で福島原発と同様の事故を起こしたら、そこから半径30km圏内に水戸市、ひたちなか市、東海村、日立市などがすっぽり入ってしまい、人口密集地帯だから福島原発どころでない大勢の避難者が出るところだった。そして工都・日立市、ひたちなか市は甚大な被害を受け、生産活動が出来なくなってしまう。この原子力発電所は太平洋沿いの国道245号線から排気筒(煙突のような構造)が眼前に見えるほど、国道から1kmも離れていない所で、山や丘などの遮蔽物の全くない海岸に建っているのである。

 東海村の原子力発電所は、現在運転停止中であるが、特に津波に被災しないかつ十分な電力を供給できる非常用電源を確保し、それ以外の津波対策も完全に行ってからでないと、絶対に再稼働してはならない。電力が逼迫しているからといって、安易に運転再開を許可しないでほしいものである。

   
   
 日立港の漁港の被災状況。震災後40日も経っているのにまだ丘に上がった船が散見された。

日立港の大型船の入港する岩壁や荷揚げ設備は甚大な被害を受け、防波堤も大きく崩れているが、
立ち入り禁止で被災状況を見ることはできなかった。日立港は、日立製作所関連工場から出荷する
重さ300トンなどの大型発変電機器の貨物船での発送基地であるとともに、栃木県などの大手自動
車工場で生産された自動車の積み出し港になっているが、船積みを待機していた高級車が数百台、
津波で流されたり、その後の火災ですべてオシャカになったらしい。もの凄い火柱が上がって燃え、戦
場のようだったと地元の新聞記事に書かれていた。また日立港にある大手電線工場の従業員の駐車
場の車も殆ど全てが津波にのみ込まれたらしい。従業員に被害が無かったのはほんとに幸運だった。
ようやく一部復旧した岩壁から、九州電力納めのガスタービンのローターなどが輸送できるようになった。
しかし、日立港の崩落した防波堤の作り替え、大型クレーン、大型船用の岩壁が、従来と同じ機能を
回復するためには、まだ3年以上かかるらしい。
 
 
 日立港の積み出し埠頭で津波後の火災で全焼した高級自動車群。
(2011.03.13付け産経新聞記事の写真を引用)
   
 震度6強を受けたひたちなか市の自宅は、2階の
瓦屋根の峯の部分が壊れただけ。自宅の周辺の
瓦屋根の家は、どこも同じような被害状況だった。
瓦葺き業者が忙しく、修理は年内は無理らしい。
基礎が傾いたり柱が傾いたりの被害は無かった。
一部の家具や食器などは倒れ、割れたそうだ。
日立港付近の国道245号沿いにあった民家が、
津波で跡形もなく全壊していた。



 
 自宅は太平洋から数km西側に建っているので、津波の襲来は無かったが、防災無線で何度も津波
警報が出て、近くの鉄筋コンクリート造の小学校に避難指示が出たそうである。子供たちは、ちょっとした
地震にも、すごく怯えているようだ。

 日立市の平和台霊園に、齊藤家の墓があるが、霊園事務所からの連絡では、墓石が地震で被災して
いるので、修理してほしいと書かれていたが、現場に行ってみたら、多くの墓石がひっくり返っていたり、
通路が地割れしていたりで、たしかに相当の被害であったが、幸いにも、齊藤家の墓は、まったく被害が
無かった。  
   
 日立市駅前の平和通りの桜が満開だった。



日立駅前に、日立製作所から贈られた蒸気
タービンの動翼が鎮座していた。火力または
原子力発電所の蒸気タービンの最終段動翼。
直径=約5.4m、翼長=約1.3m、
回転数=1500rpm、重さ=50トン。 

 それにしても、国道6号線、常磐自動車道や常磐線のいわき以北は、福島原発から半径1km以内のところを通過しているので、いわき市から仙台方面まで直通するのは、何年先になるのであろうか?チェルノブイリ発電所のように25年経過しても、開通できない事態になる心配もあるのである。そうなると福島県の浜通りの相当の区域は死の町になってしまうことになる。それだけは何としても避けていただきたい。

 東京電力が4月17日に発表した福島原発の対策工程表によると、今から3ヶ月で漏れ出す放射線量を減少傾向に持って行き、その後3〜6ヶ月(今から9ヶ月以内)で原子炉を冷温静止状態まで持って行く。その後の中間的課題として、構造体の腐食防止、核燃料の取り出し、そして本格的な水処理施設の設置、原子炉建屋をコンテナで覆うことを挙げている。しかし実際はタービン建屋に溜まった高濃度放射線汚染水の処理、強い放射線が充満していて、かつ水素爆発事故で破損した各種の構造物が散乱している、原子炉建屋内の機器へのアクセスの非常な困難性が立ちはだかっている。世界の英知によって、一刻も早い原子炉の冷温停止と、放射線物質の飛散防止を、何としても実現してもらいたいものである。

 帰りは、常磐線の勝田〜上野間の特急電車が開通したが、途中で何度も徐行運転していた。その度に、「線路の安全上徐行運転します。」とアナウンスされた。多分、それらの地点では、震災で線路が曲がったり、路盤が崩れた所なのだろう。

 常磐線の水戸から土浦辺りまで、沿線の瓦葺きの屋根が、相当被災していた。内陸部まで相当の揺れが襲ったらしい。

 帰宅したら、溜まっていた疲れがドッと出て、体調がイマイチすぐれない。「しばし休息せよ」というシグナルらしい。HPの編集もしばらくお休みしようと思う。また元気が出てきたらアップすることにしよう。

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