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このページは『現代の香港を知るKEYWORD888』から飛び出して、もっと広く深くはたまた細かく香港情報を考えるところです。
『現代の香港を知るKEYWORD888』が世に出てから徐々に拡げてゆきますね。

●左にある3桁数字が『現代の香港を知るKEYWORD888』に掲載された項目番号です。

項目番号  内  容
036 ビザ:日本のパスポートの場合ノービザで香港に滞在できる期間が間違っていました!
本書記載は1ヶ月間とありますが、90日間が正当です。済みません。m(_ _)m〈JK〉
121 海洋公園:拡張工事の進展による変化。名称変更:正門(正面入口)側の「ローランド・パーク」は「海濱楽園 The Waterfront」に、海側の「ヘッドランドパーク」は「高峰樂園The Summit 」に。また、2009年秋にはその双方を結ぶ「海洋列車/Ocean Express」が運転開始。これは、地下トンネルを走るケーブルカー。
122,167 観光業(122)、旅行客(167):日本と香港で相互に観光客を増やすために、日港両政府が2009年を日本香港観光交流年と決めました。両政府およびHKTBとJNTOの両政府観光局で各種イベントなどが開催されます。
381 切手:香港通常切手について、本書製作中に新シリーズが発行されました。2007年夏の最新の通常切手は「鳥シリーズ」です。
391 日本語新聞:香港で発行されている日本語新聞(週刊)である「香港ポスト」。2008年初夏から購読料が無料になりました。つまり、日本語フリーペーパーとなったわけです。日本国内でも入手できる場所があります。
451 オクトパス: 中国深圳で使用した場合の為替レート。本書原稿締切時点では、香港ドルと人民元が1:1で決済されていましたが、2007年6月30日以降実勢レートにあわせて一定の計算レートが適用されるようになりました。
449 オープントップバス: オープントップバスで運転する唯一の路線は15Cとの記載。2009年頃かはツアーバスと路線バスの中間形態の観光路線が増えてきた。新巴の「人力車觀光巴士」、城巴の「觀光城巴」など。純粋な路線は依然15Cだけではあるが。
457,458 九広鉄西鉄(457)、九広鉄路(458):〈JK〉2009年8月16日に西鉄線が尖東まで延伸。南昌~尖東間には柯士甸(Austin)駅が新設され、尖東~紅磡間が西鉄線に変更されました。これにより、東鉄線と西鉄線は紅磡乗換と変更になります。
459 九広鉄路接続バス:〈JK〉2009年8月16日の西鉄線と東鉄線の接続にともない、接続バスK16路線の乗継ぎ無料サービスは同日廃止となり、k16路線そのものもその1か月後に廃止される予定。
458,490 九広鉄路(458)、地下鉄(490): 2007年12月2日九広鉄路(KCR)と地鉄(MTR)が合併。新会社名は「香港鉄路(MTR)」となりました。一部の区間では運賃が下がりました。
469 港珠澳大橋:〈JK〉2009年12月に香港政府により建設が決定されました。香港側イミグレーションは香港空港東のランタオ島沖合埋立地に建設されます。
481 深港西部通道の開通日が確定しました。
〈JK〉本文では2007年7月と記しましたが、7月1日に開通しました。当日は香港返還10周年の記念日であり、開通式には中国国家主席胡錦濤、香港行政長官曾蔭權ほか広東省長、シンセン市長なども列席したそうです。
また、同日から新界元朗と深圳を、結ぶ路線バスが運行開始しています。-->参考B2バス 
490 地下鉄:2009年7月26日に將軍澳線の支線が開通し路線が増えました。新しい区間は將軍澳~康城(LOHAS Park)の一駅間です。康城はMTRの車庫があり、周囲は駅開業に合せて、大団地が建設されます。
※2007年の合併は上記「458,490」項のとおり。
498 定期券: 〈JK〉地下鉄(MTR)と九広鉄路(KCR)には定期券がないと記載されていますが、2008年1月現在香港鐵路の東鐵線と西鐵線に「全月票」という定期券があります。オクトパスに書き込むもので、月初から月末まで使える。東鐵線用は馬鞍山線を含み、羅湖と落馬洲および馬場駅の利用はできない。西鐵線用は輕鐵も利用できます。
510 ピークトラム: 開通日は1888年5月30日です。本文には開通年のみ記載してありますが、2008年の120周年では多彩なイベントや割引などが実施されました。
529 路面電車乗場: 〈JK〉路面電車の停留所はいくつくらい、そしてどこにあるの。
-->これは、〈JK〉のサイトへジャンプします。全停留所一覧をつくってあります。
535 オリンピック: 2008北京オリンピックの馬術会場は香港。沙田と粉嶺の2か所で競技が行われる。-->詳細 
651 アレックス・トー:〈SH〉アレックスの長年の夢であったファッションブランドの立ち上げが決まりました。ブランド名はMNAMute NostrilAgonyの略)で、20104月上海にOPEN予定。ブランド名は、生き残りの脆さという意味と、実際に肺機能の低下による呼吸困難から心停止を引き起こして亡くなられたお母様を忘れないという意味合いがあるそうです。
651 アレックス・トー: 〈SH〉アレックス・トーについてもっと知りたい方は次のサイトも覗いてみてください。
本書筆者〈SH〉Shinobuの主催するAlex To Fun Club Japan http://ashinobu.hp.infoseek.co.jp/alexindex.html
杜徳偉国際後援会(台湾) http://www.alexto.hk/
699 香港音楽:〈SH〉張露(2009年1月26日没)
765 茶餐廳:茶餐廳はいつごろ香港に登場したか?
各説あって定まりません。現代の香港を知るKEYWORD888を書いているときも、〈NF〉〈JK〉で見解と情報がバラバラでした。

〈NF〉説:
 私は「茶餐廳」という言葉で追っかけてみました。『食べ物が語る香港史』(平野久美子著、新潮社刊)では、「1950年代末ごろに生まれ、60年代に盛んになった「茶餐廳」とは、喫茶店を表す「茶」と、レストランを表す「餐廳」が合体した庶民派食堂である。言うなれば、「粥麺専家」の西洋版のようなもので、街のいたるところにあった」。また、「文化人類学者のデイビッド・ウー氏によれば、茶餐廳が香港に出現したのは1940年代のこと。それまで人々の憧れであった西洋風の料理と飲み物を大衆向けに提供する店として広まり、同時に中国式(人口の大多数を占める広東式)の簡単な食事も出すようになって現代に至る」 『香港・広州菜遊記』(日野みどり著、凱風社刊)。さらに、インターネットで見てみますと「1946年中環にできた蘭香閣茶餐廳が、恐らく「茶餐廳」の初見であろう。・・・「茶餐廳」は恐らく戦後、中上環一帯の商業区に現れ、50年代以降に徐々に広まっていった」『在茶餐廳裡尋找香港精神』(曾偉強)があります。『香港の食いしん坊』(飛山百合子著、白水社刊)には茶餐廳はでてきませんが、「30年代から、餐室と呼ばれる洋食店が町場にも何軒かでき始めた。よく見合いの場所に利用されていたが、30年代後半になると、現在と同じように餐廳とよばれるようになる。」と書かれています。
 以上の記載から1940年代後半にすでに「茶餐廳」 が存在していたのではないかと考えているのです。ただし、当時の「茶餐廳」が現在のものと形態が全く同じだとはいえませんが。
〈JK〉説:
 1970年代頃にあった洋食系系食堂である「餐廳」が変化発展したのではないかと思います。1980年代前半に香港に行ったときは、普通の食堂としての茶餐廳を目にした記憶はないのです。また、かの名著『香港旅の雑学ノート』でも触れられていないということは、その頃にはまだ香港で目立った存在ではなかったと思います。そうでなければ山口文憲さんが見逃すないのでは。
〈その他〉:
 茶餐廳といえば『香港無印美食』(龍陽一さん)では、珈琲室(香港では口偏)や冰室そして餐廳などから発展したのではと記されている。
846 孫文: 卒業校が香港大学医学部の前身である「西院書院」とありますが、正しくは「西醫書院」です。
859 アンソン・チャン: 2007年12月2日立法会の補選で当選。立法会議員となりました。政府の元保安局長のレジーナ・イップとの事実上の一騎打ちでした。



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