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時事通信

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【オピニオン】 道州制論議−見落とされた論点 東京大学公共政策大学院長 森田朗
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 第28次地方制度調査会(地制調)が「道州制の導入が適当」という答申を出して以来、道州制をめぐる論議が活発である。地方分権の時代における市町村合併の次の課題として、都道府県の廃止とそれに替わるより大きな広域自治体である道州制への移行というムードが作られつつあるように思われる。

 これから人口が減少し、ますます高齢化が進む時代にあって、基礎自治体の規模の拡大は不可避であり、市町村合併は推進されるべきである。市町村合併の場合、過去に幾たびか経験もあり、また、既存の市町村制度を前提にして、その規模を拡大し行財政能力を強化することを目指しているからである。

 しかし、道州制が目指す都道府県の統合再編は明治初期以来行われたことはなく、また今推進されようとしているのは、単なる都道府県の合併でもない。道州制が目指しているのは、国からの大規模な事務権限が移譲される全く新しい広域自治体、しかも非常に規模の大きい、国際レベルでは一国に匹敵するような自治体の創造である。

 道州制の導入については、地制調もその時期については示しておらず、課題の大きさは十分に認識されているようである。既に、区割りの問題、国から移譲が予定されている国土管理をはじめとする事務権限の範囲の問題、そして道州間で間違いなく生じる財政力、経済力の格差の調整の問題等、容易に解決できないと思われる課題が指摘されている。だが、これらの問題についてはすでにかなり検討が加えられ、あるいは解決が可能であるという楽観的な見通しが存在しているのであろう。

 しかし、政治学を専攻する者からみると、これまでの道州制論議には、大きな論点が見落とされていると言わざるを得ない。それは、今想定されている道州制が導入されると、これまでのわが国が経験したことのないような大きな政治権力の構造変化が起こるという点である。

 想定されている道州が、現行憲法に基づく地方公共団体であるとするならば、その長(知事)は住民の公選によって選ばれる。現在でも、知事の権限の大きいことが指摘されているように、道州の制度では、議会の権限が大幅に強化されない限り、さらに国からの権限も移譲される道州の知事の権力は強大なものになる。公職にある者の権力の大きさは、他の公職者の権力と相対的な関係にあることから、道州知事が強大な権力をもつことは、反面において大臣や国会議員の地位の大幅な低下をもたらすことになろう。

 それがわが国の将来にとってどのような変化をもたらすか。望ましいことなのか。それを十分に検討することなく道州制の導入を図ることはかなり危険ではないか。地制調も、そのことに気付いていないわけではなく、知事の多選に制限を加えることを提言している。しかし、多選はできないとしても、直接公選で選ばれた知事の権力は強大である。それらの知事が、自分の道ないし州の有権者の利益を最優先し、それを強く主張するとどういうことが起こるか。現在でも、原発や基地等の国策に関わる決定において、都道府県知事は拒否権に等しい強い権力を有している。

 また、道州制が導入されたとき、財政的にも、人口規模においても、大きな州の知事が、自分の州のみの利益を優先して小さな州に対する配慮を欠いた場合、どのようなことが起こるか。今以上に、著しく不均衡な国土の発展をもたらす可能性があり、それを国が制御することは難しいといえよう。

 さらにいえば、全部で十数人の道州知事という権力者が、狭い選挙区から選ばれてきた何百人もの国会議員の声に耳を傾けるだろうか。それどころか、道州知事が、自分を選出してくれた何千万人の有権者をバックに国と対決することになったとき、果たして内閣や大臣の意向に従うだろうか。法制上、いかに国の優位を定めても、実際の政治がその通りに動かないことは、昨今の米軍基地問題での自治体の反対運動のもつ影響力を想起すれば想像できよう。

 こうした道州知事の権力の問題、政治における権力構造の問題をどう考えるべきか。それについての国民の間の時間をかけた十分な議論なしに、現在の都道府県の範囲では狭いから、あるいは人口減少の時代にスケールメリットを得るには大きい方がよいから、さらには交通網が発達した現代の経済圏に適したサイズであるからという安易な理由で、道州制の導入を肯定することは、道州制のもたらす変化についての、あまりにも楽観的な主張である。

 私自身は、道州制に反対するつもりはない。しかし、今指摘したような点についての十分な検討なしに道州制を導入することに対しては反対である。都道府県の範囲が狭いならば、都道府県の広域連合や合併という選択肢もありうる。一気に道州制に移行するだけが方法ではないはずだ。

 このような論点の存在は気付かれてはいるのだろうが、現時点では実現の可能性がまだ薄いと思われているのか、論点としては浮上していない。仮に浮上したとしても、政治家たる国会議員が合理的に行動するかぎり、自らの権力の喪失をもたらすような道州制法案が国会で早急に可決されるとは到底思えないが、早急な導入を目指すことなく、国という政治組織における有効な統治のための権力のあり方について研究を蓄積してきた政治学にも耳を傾けて、より慎重で多角的な議論を望みたい。(了)

(2006年5月31日)

森田 朗(もりた・あきら)氏のプロフィール

 1951年神戸市生まれ。東京大学法学部卒業後、千葉大学法経学部教授、東京大学大学院法学政治学研究科教授などを経て、現在、東京大学公共政策大学院院長。専門は行政学。地方分権改革推進会議委員や中央教育審議会教育制度分科会地方教育行政部会臨時委員などを務め、現在、財政制度等審議会専門委員。

 

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