生誕
ボブ・マーリーは本名をロバート・ネスタ・マーリーといい1945年2月6日、マーカス・ガーヴィーと同じ教区であるセント・アン(オーチョ・リオス)のナイン・マイルズの貧村に生まれる。父親はノーヴァル・シンクレア・マーリーといい、イギリスの陸軍大尉であった。母親はセデラ・マルコムといい、小作農の娘であった。
マーリーと母親は、キングストンのトレンチ・タウンというスラム街に移り住み、そこでマーリーは育っていった。 彼は13歳で歌を書きはじめ、1962年にはレコーディングを行っている。1964年にはピーター・トッシュ、バニー・リヴィングストンらとザ・ウェイリング・ウェイラーズを結成し、最終的にはザ・ウェイラーズと名前を変更し、活動を続けていった。 このころに、マーリーの母親はアメリカに移住していたため、ボブ・マーリーもアメリカへ渡り、しばらくの間アメリカで暮らすことになる。 1966年2月にアルファリタ・アンダーソンと結婚。その後マーリーはアメリカへと旅立っている。マーリーの妻のアルファリタはザ・ウェイラーズのバック・ヴォーカル・グループとして参加し、現在はリタという名で音楽活動を続けている。 マーリーのアメリカ滞在は短く翌年にはジャマイカに戻り、精力的に活動し、1972年にアイランド・レコードと契約、73年にはアルバム「キャッチ・ア・ファイア」をリリースする。彼らはテーマをジャー・ラスタファリへの称賛に絞り、アルバム「ナッティ・ドレッド」を発表。このアルバムは世界に向けたラスタファリアンのメッセージアルバムとなった。 「ラスタの預言者」「空想家」「革命的アーティスト」「第3世界のスーパースター」「ボブ・ディラン以来の吟遊詩人」などといった称号をもらったマーリーは、1981年5月11日に36歳の若さでガンによる闘病生活に終止符を打つまで、世界中にラスタファリ運動を広めていった。 5月20日に行われた彼の葬儀はジャマイカ史上最大の葬儀となった。何万ものジャマイカ人が国立競技場に安置された彼の棺を通りすぎていった。翌21日には生まれ故郷であるセント・アンで埋葬式が行われた。 世界中の人々がマーリーの功績を称え、涙し、彼が世界に与えた影響を考えずにはいられなかった。 |