妖魔界

 グロテスクな表現があります。平気な人だけどうぞ。

37 ザンの過去2

 ザンは9歳になった。母の目論見は外れ、いまだに体を鍛えていた。王が王妃をさらに責めたのは言うまでもない。ザン自身も見つかる度に、こっぴどくお尻を叩かれていたが、決意は揺るがなかった。皆から叱られてもザンは止めるとは言わなかった。それに、母はすっかり面白がって、ザンを激励していた。

「もう9歳ね。6年間も頑張れるなんて。」

「はい。もう俺に勝てるのは、兵士長しかいませんよ。」

「凄いわ。No.3じゃない。」

「第一者になるには、お父様も倒せなきゃ。」

「そうねえ…。わたしはいつまでも応援しているから、頑張ってね。」

 王妃はくすくす笑って、娘の頭を撫でた。ザンも微笑み返す。それなりに幸せだった。

 しかし。

「あれ?何の音だろ?」

 叫ぶような声が聞こえる。物が壊れる音も。

「も・もしかして…。」

 王妃は青ざめてザンと顔を見合わせた。

「「盗賊!?」」

 異口同音だった。盗賊の襲撃は何回もあったけど、いつも兵士達が追っ払ってくれていた。兵士で無理な時は、父王が倒してくれた。こんな風に騒がしい事は無い。二人が不安になってきた時…。

 がちゃ。ずるずる。銀色の長髪を引き摺りながら男が入ってきた。

「だ・誰だ、お前っ?」

「ふふふっ。初めまして、王女様、王妃様。お会いできて光栄です。お初にお目にかかります。わたし、ドルダーと申します。お見知りおきを。と言っても、すぐあなた達は遠い所に行きますけど。」

 男は、妖魔界式の丁寧な礼をする。

「この子には手を出さないでっ。わたしなら何でもしますからっ。」

 王妃はザンとドルダーの間に割り込み、背に愛娘を庇った。ひゅっ。「ああ…。」

「お母様っ。」

 王妃は心臓を貫かれた。ドルダーは剣をぐりぐりと回す。妖怪は丈夫なので、王妃はうめいた。

「しぶといですねえ…。こうならどうでしょう…?」

 ドルダーはさらに剣を動かす。とうとう王妃がこときれた。

「お母様ーーーっ!!!」

「泣かなくてもいいですよ。お前もすぐ逝けますから。」

「貴様あっ、よくもお母様をっ。」

 ザンは殴りかかった。ドルダーは吃驚した顔をする。「殺してやるっ。」

「ああ、度肝を抜かれましたよ、王女様。なんと凛々しいんでしょう。お前のような童女が殴ってきたなんて初めての経験です。」

 ザンの渾身を込めた拳を平気で受け止めながら、ドルダーが言う。「お前の父親も浮かばれませんね…。」

「何っ。今なんて言った?」

 ザンは呆然と立ち尽くす。はっとする。ドルダーの床に垂れている髪の毛の一部が紫色に染まり、そこから腕が出ていた。指輪や腕輪をはめたその腕は見なれた父の…。「お父様…。」

「ええ、わたしが殺してあげましたよ。…お前、何処を見ているんですか?」

 ドルダーはザンの視線の先を辿る。「あ。これはこれは…。ばらばらに切り裂いたんで引っかかっていたんですね。」

 ドルダーは、髪の毛から王の腕を抜き、その腕でザンの頬を撫でた。

「いつもこうしてもらってましたか?…くくくくっ。ねえ、姫様?」

 ザンが引っくり返った。「あれっ、さすがにショックだったみたいですね。…お前は面白いから、殺さないでわたしのペットにしてやりましょう。」

 

「うっ…。」

 ザンは目を開けた。「ひっ。」

 天井にドルダーの髪に引っかかっていた父の腕が埋め込まれていた。がばっと起き上がる。辺りを見回す。ベッドの隣にあるテーブルの上にガラス瓶が乗っていた。

「ぎゃああああっ。」

 瓶の中に瞳が1つ浮いていた。こっちを見ている。

「どうしたんですかっ!?」

 ドルダーが駆け込んできた。吃驚したようにザンの部屋を見回す。「…何もないですけど…?」

「目・目玉が俺を見てるっ。」

 ザンが引きつりながら答える。ドルダーは、やっと分かったという顔をして、瓶を手に取った。

「これはお前の母親の目ですよ。天井の腕を見ましたか?あれはお前の父親の腕です。お前は、父の腕に守られ、母の瞳に暖かく見てもらっています。二つで“見守られている”になるんですよ。…素晴らしいでしょう?」

 ドルダーは、にっこりと微笑んだ。「これからお前は、わたしのペットとして生きるんです。子供のお前が寂しくならないように、部屋をこうしたんですよ。わたしは優しい飼い主になれますね。」

 ザンは何も言えなかった。色んなことがいっぺんに起きてしまって、もう何も理解出来なかった。

「風変わりな王女様をペットに出来た記念と、お前がここに住み始めるのを記念として、人間尽くしのご馳走を作らせました。お前もわたしと同じ鬼ですから、人間が好物でしょう?わたしなんかは古いので人間以外は駄目なんです。…お前と二人きりで美味しく楽しもうと思ってるんですよ。」

 ドルダーは、嬉しそうな顔をしないザンを不思議そうに眺めたが、優しく手を引いて、食堂に連れて行った。

 

 ドルダーの城の食堂に着いた。

「コックが思いつく限りの料理の仕方で作ったんです。」

 ドルダーは食堂のテーブルから溢れそうなお皿を指し示しながら、自分が作ったみたいに自慢げに言った。ザンはそっちを見た。テーブルの真ん中に生け作りがあった。彼女の意識が吹き飛んだ。

「な…。」

 彼女はそれだけ言うと、引っくり返った。

「ええっ?どうしちゃったんですか?こんなに美味しそうなのにっ。」

 ドルダーは訳が分からなかった。ザンが今まで原型のわからない物しか食べたことがないなんて知らないので…。

 

 ドルダーは殺しを楽しむ妖怪である。妖怪は魔の生き物なので、心の悪に引き摺り込まれる場合がある。生きる為に仕方なく戦っているうちに、手段が目的に変わってしまい、ドルダーのような妖怪が出来てしまう。トゥーリナも危うかった時期があった。村を出た頃だ。しかし、彼は踏みとどまった。

 ドルダーのようになると、感覚が変わってしまう。ザンの部屋に両親の体の一部を飾ったのも、ザンに告げた言葉も本気なのだ。

 

「お前は変ですよ。あんな美味しそうな料理を見て引っくり返るなんて。コックも不思議がっていましたよ?でも、お前の為に、作り直させましたから。」

 気がついたザンがベッドから起き上がると、ドルダーがお皿を手にして入って来た。「今度は食べますよねぇ?」

 ドルダーは一口サイズにしてザンへ差し出した。彼女はそれを食べた。美味しかった。お皿を受け取り、優雅に食べ始めるザンをドルダーは優しく微笑みながら見ていた。

 

 ドルダーの屋敷での生活が始まった。ペットになるという言葉は理解出来なかったが、ドルダーの言いなりになっていればいいとは理解出来た。言う通りにしなかった時は、散々暴力を振るわれ、死を覚悟した。しかし、ドルダーはザンを殺さず、彼女はカプセルの中に入れられるだけだった。

「目を開くんじゃない。」

 現在のカプセルと違って、当時は大きな水槽に呼吸用のマスクをつけるだけで、体は薬溶液が対流するままに漂っていた。麻酔も打たないので、意識がはっきりしていて、外で話す声を聞けた。ザンはドルダーを睨みつけていた。

「目を開けると薬溶液にやられる。…言う通りにしないと、失明するからな。」

 医者はザンに言った。失明と聞いてザンはやっと目を閉じた。

「あの子は何故怒っているんでしょうね?」

「ドルダー様の折檻が甘かったのでは?」

「?…ああ、つまりわたしが殴ったのを怒っているんですね。」

「愚かな子供です。…しかし、心は強いです。普通は虐待されると怯えるのですが…。」

「虐待した記憶はありませんが。」

 ドルダーは医者を厳しい目で見た。「お前はわたしを非難するんですか?」

「いいえ、ドルダー様。…しかし人を殴るのは、一般的に虐待と言います。」

「じゃあどうすればいいんです?」

「普通は、折檻する時に尻を打ちます。」

「…遠い過去にそんな経験がありましたねぇ…。年をとると記憶が多すぎて覚えていられなくなります。」

 ドルダーはザンを見た。「聞こえていると思うから言いますけど、これからお前をお仕置きする時は、お尻を鞭で打ちますよ。…ああそうだ。お前の可愛い所も懲らしめてあげるのもいいかもしれませんねぇ…。」

「尻以外を打つのを虐待と…。」

「分かりました。お尻だけですね。…いつからそんな面倒なことになったのですか?かつては体の一部を切ったりと好きなお仕置きが出来た筈ですけど…。」

「ある時、第一者様がそう決めました。その方は切る所がないからと生きていくのに必要な部分まで切り裂かれそうになったと…。」

「はあ…。昔の親は厳しかったですから、その人もいい思いをしたのでしょうね。」

「…そうですね。」

 医者はそう答えるしかなかった。

 

「お前の妖力は強いですね。空を飛べますよ。わたしは飛べませんが、飛べる人に習いなさい。飛べるようになったら、散歩に連れて行ってやりますから。」

 ザンはドルダーを見た。

「俺だけ飛べたって散歩にならねえぞ。」

「お前はペットを飼った経験がないようですね。鎖をつけて一緒に歩くんです。でも、歩かなきゃいけないこともありませんから、お前は飛べばいいんですよ。」

「…。」

「疲れて下りてきたら、お尻を鞭で打ってやりますね。そうしたらお前はまた飛ぶでしょう?とっても楽しいですよ。」

 『何処がだよ。』ザンはそう言いたいのを我慢した。今はただ耐えるしかないと思った。『でも、絶対にいつか必ず…。』そう心に決めた。それくらい強くなれば、第一者になることだって出来るはず。ザンは心で思いながら、ドルダーには笑顔を向けた。

 

目次へ戻る

36話へ