妖魔界

7 トゥーリナとターラン7

 長い月日が流れた。リトゥナは15歳になっていた。ザハランは、やっとターランに追いついた。ターランは、彼がネスクリとの試合がそう遠くない位に力をつけた途端、急に身を入れて体を鍛え始め、ネスクリをぎりぎりで倒した時には、遠くになっていた。

 腹を立てながら必死になって鍛えたザハランは、やっと、ターランとの試合の日を迎えた。

「なんのつもりだったんだよ。」

 ザハランは、ターランに問い掛ける。闘技場の部下達は静かだった。何を言い出すんだろうと思っている。

「僕だって男さ。上が見たくなったんだよ。僕にも第一者になる力はあるんだ。別に君に追い越されたくないからじゃ…。」

 不機嫌そうに睨みつけるザハランへ、ターランはのんびりと答える。

「そうかよ。ザンはお前がえらく必死に鍛えているって言ってたぜ?また下に戻ったら、俺が離れて行くって思ってるんじゃねえのか?」

「君の心は既に俺の元にないだろ。…俺は本当に第一者になろうかと思ってるんだよ。なんで君をゆっくり待っていたのか、不思議でならないんだ。」

「…。また心理戦か?俺を操って何がしたい?」

「操りたいわけじゃないさ。…ただ、…君は僕に君の父親の話をしてくれなかった。ザン様が教えてくれようとしてたけど、僕は君が教えてくれるまで待つと断ったんだ。でも、君は話す素振りがなかった。それに、冷たくしながらも、百合恵達をしっかり守ってる。…君は俺をなんだと思ってるんだよ?」

「お前は、お前さ。俺の親友。そして、俺の家族の敵だ。」

「君に愛されたいと焦がれている俺が、君が大切に思っている俺の敵を愛せと言うのかい?俺はそこまで心が広くないよ?」

 ターランは頭に来た。

「父親の事は確信が持てるまでは話したくない。お前が悔しがる顔が見たいのもあったけどな。」

 ザハランはターランを馬鹿にした顔で、くくっと笑う。それから真面目な顔で彼を見据える。「…お前には家族がいた。お前を愛し、お前を本当に大事に想っていた。なんで弱い息子に殺られるままになっていたと思う?息子の望みを叶えてやりたかったのさ。尻を叩き始めたのも後悔していたんだ。じゃなきゃなんで大人しく殺されたか分からない…。…でも、俺にはそんなものなかった。俺はいつも一人で苦しかった。…お前とは違う。」

「…。」

「なんでも持っていたお前。何もなかった俺。俺の為に、食べられる草を探すお前の姿は滑稽だった。それでも、草を差し出すお前の顔は、俺の不幸を憐れみ、自分の幸福を自慢していた。乱暴に扱ってもお前は微笑みながら、俺に従ってきた。…でも、俺より上に立ったお前は、自分の気持ちを押し付けてきた。」

 ザハランの顔に凄みが増してくる。口調が鋭くなっていく。「かつて、餌を与えてやったペットが思い通りに動く様は楽しかったか?自分が何処かで優位に立てなくなると分かった途端、お前は、必死になって体を鍛え始め、また俺を見下ろそうとする。従っているように見せかけて、俺より下だったことが今までで一度でもあったか?」

「そ・そんな…。トゥー、俺は…僕は君に対してそんな態度をとっていたつもりはないよ。君にそう思わせていたなんて…。本当に悪かった。」

 ターランはうつむいた。「…家族に対する君の気持ちに気が付かなかったなんて、僕は馬鹿だね。…僕は君をとても愛していて、自分のことしか考えられなかったんだ。君がどんな思いでいたかまで頭が回らなかったよ。君が怒るのは当然だ。…ただ、言い訳をすれば、時には恋してる本人さえも見えなくなることがあるんだよ。自分の理想を押し付けてしまって。君にやる気があんまりなかった頃の俺の態度がそうさ。第一者になった君が見たくて、無理矢理に色んなことをやった。」

「…。」

「君が僕を憎んでいても、仕方ないのかも知れないね。」

 ターランは淋しく笑った。「あのさ、なんで俺が急に鍛えたのかと言うと、最初に言った通りに、第一者になりたくなったのと、あのままの俺を倒したって、ザン様はまだ遠いから、少しでも強くなっておこうと思ったからなんだ。そうすれば、君は僕を早く倒したくて、頑張ると思ったから。」

「まだ俺を試したかったのかよ。」

「ああ。でも、それはついでにそう思っただけだよ?本当に第一者になれるもんなら、なりたいんだ。」

 ターランは、厳しい顔になった。ザハランとターランの視線がぶつかる。

 と、その時。

「お前等いつまでくっちゃべってるつもりだっ!さっさと試合を始めろっ。」

 我慢できなくなったザンが叫んだ。その声につられて、部下達も騒ぎ始める。

「えー、ザン様もああ言っておられますし、そろそろ始めて欲しいのですが…。」

 司会役の部下が言った。

「今始まる所だったんだよっ。」

「気を殺ぐんじゃねえっ。」

 ターランとザハランが、司会を怒鳴りつけた。

「す・済みません…。…では、始めて下さい…。」

 なんで俺が怒られなくちゃならないんだ…という顔で司会は開始の合図をした。気を取り直したザハランとターランが改めて、睨み合った。

 

 試合は激しかった。でも、ターランはやっと追いついてくれたザハランに満足して、つい気持ちが緩んでしまい、負けた。手を抜いたつもりはなかったけど、彼はザハランが上にいて欲しいので、最後は気が抜けた。第一者になりたいという気持ちより、ザハランの下にいたい気持ちが勝ってしまった。

 ただそれだけだったんだけど。

 カプセルに入るには体力が落ちすぎていると医者が判断し、二人は医務室のベッドに寝かされていた。

「貴様、どこまで俺を馬鹿にすれば気が済むんだっ!!!」

 ザハランはとても怒っていた。彼に思い切り怒鳴られ、ターランは身を竦めた。

「だって、もういいやって思っちゃったんだよー。僕はもう君と戦いたくなかったんだ。君が勝ちでいいじゃない。」

「ふざけるなっ。この馬鹿堕天使っ。」

「そんなに怒らないでくれよ。…いいじゃないか。俺に勝ったからって、自動的に第一者になれるわけじゃないし。これからまだザン様もいるんだ。それに、これでザン様に追いついたんじゃないから、影響ないって。ね♪」

「ね♪、じゃねえよっ。」

 ザハランはぎろっとターランを睨みつけた。

「へへ…。」

 ターランは嬉しかった。ザハランがもう怒っていないと分かったから。口調では分かりにくいけど。

 リトゥナと百合恵が医務室に入ってきた。

「パパ。痛くない?」

「痛いに決まってるだろ、馬鹿息子。それにそんななりして、俺をパパなんて呼ぶな。」

「そんなに元気があるのなら、あの機械に入っても大丈夫そうですけど。」

 百合恵は、不思議そうに夫を見た。

「医者に言え。俺に分かるわけないだろ。」

「そうですけど…。」

「…僕、なんて呼べばいいの?」

 両親の会話が終わったらしいと感じたリトゥナは、父に言った。

「せめて、お父さんにしろ。」

「はい、お父さん。」

 その会話を聞いていたターランは胸を刺されるような気がした。『さっきまでトゥーは俺の側にいたのに…。』

 

 リトゥナ20歳。百合恵が鳥の妖怪になって少し経った頃。誰一人いない闘技場で、ザハランはザンと向き合っていた。

「こういう気分を味わうのは久しぶりだ。実力が近い相手と思う存分に戦える高揚感。」

 ザンが言った。「俺は中途半端じゃない強さを持ってしまった自分に嫌気がさす。相手が少なすぎる。暇だ。頂点を極めるなんて、うんざりするぜ。」

「第二者だろ?頂点じゃない。」

「…どういう意味か知りたいか?」

「…。」

「俺に勝ったら、全てを教えてやる。妖魔界を動かしているのが誰なのか。どうしてギンライはお前のような子供を作っているのか。…そして、お前の父親を。」

「あの時、ターランの馬鹿のせいで俺の名前が分かったんだろ?何故、本名を名乗りたくないかも。俺の父親がギンライかどうかも。」

「ああ。あの後アルバムを見に行ったからな。知りたきゃ俺に勝て。…さあ、こいっ。」

 ザンは身構えた。ザハランが拳を握り締める。

 

「どうして皆に見せてくれないのさー。」

 フェルがぶうぶう膨れる。

「お前なんかより、俺の方がよっぽど見たいと思っているんだ。」

 ターランはフェルを睨む。

「なんだと、この男色堕天使っ。」

「馬鹿狐は黙ってろっ。」

「喧嘩をしている場合じゃないだろうっ。」

 ジオルクは、ばしんっ、ばしんっとターランとフェルのお尻を引っぱたいた。

「何するんだよっ。」「いたっ。」

 お尻を撫でている二人を横目で見ながら、百合恵はジオルクに問い掛ける。

「妖怪って物凄く沢山生きているんですよね?なのになんで子供っぽいんですか?」

「年を取った人間だって、常に冷静な大人ではないだろう?似たようなもんだ。それにあいつ等は若いから。」

「大人は大人でも、まだ子供の気分が抜けていないんですね。」

「そんなもんだ。」

「あ、ひどーいっ。」

 フェルが膨れた。「あの堕天使はまだ3ケタだけど、僕は違うんだよっ。」

「じゃ違う所を見せてくれよ。」

「なんだとこの堕天使っ。」

「やるか?」

「いい加減にしないと、赤剥けるまで尻を鞭で打つぞっ。」

 ジオルクが怒鳴りつけた。この部屋にネスクリは居ない。2者になったザハランに侮辱的な言葉を言って、彼に殺されてしまったから。

 

 はあはあ…。ザンとザハランは荒い息を吐く。

 ザハランは愛用の弓なりの剣を使っていなかった。あんまり良いものではないので、ザンに効かないからだ。ザンは、首に赤いプロテクターをつけた。首枷みたいに見えるそれは、保護する為ではなく、本気になった時に、気合を入れるのに付ける物だった。それを見たザハランは、ザンがいよいよ本気になったのだと分かった。

「俺が今まで本気で戦った奴は、二人しかいない。ギンライとお前だ。」

「ギンライと…だと?」

「歴史では、第一者で善人の王“善王”と呼ばれていた男を殺したのは、息子のタルートリー、そいつを殺したのはギンライとなっている。そして、その少し後に第二者を倒したのは、タルートリーの女の一人だった、この俺。女が、それも元第一者の女が第二者を倒したから大騒ぎになった。お前が生まれる前の話だな。」

「教会で習ったから、少しは知ってる。」

「それからは、第一者ギンライ、第二者ザンと今まで変わること無くきた。でも、違う。…正確に言うと、事実がいくつか抜けている。」

 ザンは息をつく。「続きは終わったらにしよう。」

「…分かった。」

 ザンとザハランは戦いを再開した。

 暫く後。

「ギンライは俺に勝てなかった。」

 ザンはかがんでいた。ザハランはその下になっていた。彼はもう動けなかった。

「俺も勝てない様だ…。」

「俺はあいつに妖気をぶつけると脅す余裕があった。…今はない。お前はギンライより強い。」

 妖気イコール妖力は体を癒すのにも使えるが、塊をぶつけて物などを壊せる。その強さは妖怪によって違う。

「なんでお前が第二者なんだ。」

「タルートリーの側で、俺はあいつの仕事を見ていた。あいつは、膨大な仕事を平気な顔でこなしていた。…俺には出来そうもなかった。」

「仕事だけが第一者になれねえ理由なら、仕事をしない支配の仕方も出来るだろう?第一者は“支配すべき者”だ。やり方は手前の勝手だ。」

「俺が目指す妖魔界のあり方を考えると、そういうわけにはいかねえ。」

「ギンライはお前に負けて、お前の言いなりになって第一者をやったのか。お前は思う通りにする為に第二者になったのか。まともにやろうとすると、第一者だけじゃ世の中は動かし辛いから。」

「そうだ。…基本的に妖魔界は男尊女卑だ。ギンライは普通の男だったけれど、女の言うままにやらなければならない、しかも、世の連中は自分が一番強いと思っていて…。」

「壊れ始めたのか…。なんでだよ、何の恨みがあってそんな酷いことを…。」

「俺はタルートリーを愛していたんだ。幸せな時間が永遠に続くと思っていた。…本当はそれじゃ駄目だったんだけど。ギンライに半分は感謝している。」

 ザンは言った。「…俺はギンライがああなるとは思っていなかったんだ。俺の復讐は、俺の命令どおりにさせるだけで、女の言いなりは嫌だろってくらいのものだった。自分より強い者の前で、自分の方が強いという振りをするのがあいつにとってそんなに辛いことだとは思わなかった。」

「本当は第一者じゃないのに、第一者と呼ばれる…。…俺だったら、そんなに嫌じゃないけどなー。俺は名前が欲しいだけだからな。それに、権力争いに出てこない奴で第一者並みの力を持っている奴だって結構いる筈だし…。」

 ザハランは訳わからんという顔で言った。

「でも、ギンライはそう思えなかったんだな。倒せなかった俺が第二者なんてやってなきゃ、気にも止めなかったかも知れないが。ギンライが自暴自棄になって女遊びを始め、子供を捨てさせるという暴挙に出た時には、もうどうにもならなくなっていた。仕事以外の俺の言葉は耳に入らなかった。」

 ザンは顔をしかめる。「10年ほど位前に体を壊したから、もう女達も寄り付かなくなった。第一者の仕事は、ギンライの所の二者がやってる。」

「…じゃあ、会っても俺が分からないんじゃないか?…うーん、でも、赤ん坊の時に捨てたんなら、覚えていなくても当然か…。俺があいつの息子なら…だが。」

 顔をしかめるザハランを見ながら、ザンは座った。疲れきっていた。

「お前は俺に勝てなかったが、ギンライにもう第一者をさせておけない。…次はお前が第一者になれ。」

「…次は俺に操り人形になれって言うんだな?」

「名前があれば、気にしないんだろ。そして父親に会え。…アルバムにお前の写真と母親の写真があった。記憶を取り出す機械で調べたんだが、俺はギンライがお前を捨てろと部下に命令している時に、そこにいた。今までの母親達は、諦めて自分の子供が捨てられるのに耐えていたが、お前の母親は、ギンライに抗議して、城を追い出された。母親が印象的だったから、お前が記憶に残っていたんだ。」

「俺の母親がどうしているか知ってるのか…?」

「母親は、町で働いていたが、その町は盗賊に滅ぼされた。盗賊達は女を何人か連れ去ったとも聞いたが…殺されたと考えた方がいいだろうな。」

 ザンの言葉にザハランは目を閉じる。母親にも会えるのではないかと考えていたのだが…。

「じゃ、墓もないのか。」

「ないな。壊れた町は巨大な墓になったが、一つ一つ墓を作る余裕はなかった。」

「そりゃそうだな。その町だけを特別に扱う筈ないか。」

「そういうことだ。…休んだら、ギンライの所へ行くぞ。」

「…ああ、分かった。」

 ザハランは、その後、善王やタルートリーに関する過去もザンから聞いた。しかし、それは長いので、ザンの過去で書こうと思う。

 

 数日後。回復したザハランは、ギンライに会っていた。ギンライは大きな部屋の大きなベッドの上にいた。とても手厚く看護されていたが、幽閉と違わないとザハランは感じた。ザンが言ったように体と精神が壊れている彼は、誰もまともに相手をしていなかった。

 ザハランの顔を見たギンライは嬉しそうな顔をした。ザンからアルバムを見せられ、話を聞いていた彼は、息子が来るのをとても楽しみにしていた。会って、ザハランをはっきり思い出した様だった。

「親父が生きていて、会えるかも知れないと分かった時、どうしても聞きたいと思ったことがあったんだ。」

「なんだ?」

「何故、俺に“トゥーリナ”なんて恥ずかしい名前をつけたんだよ?」

「…そこにいるお前の息子と一緒で、赤ん坊だったお前は女の子に見えたんだ。可愛かったぜ?今は女には見えないが…。」

「当たり前だ!」

「あの、ずーっと思っていたんですけど、“トゥーリナ”って、どういう意味なんですか?」

 百合恵が聞いた。ザハランが睨み、ギンライは笑った。

「心の美しい子、可愛い子という意味で、普通は女の子につける名前だ。」

 百合恵とリトゥナは目を丸くした。それじゃ嫌がるわけだ!

 

 トゥーリナは、名のない男ザハランのままでは、おかしいと思い、第一者らしい男っぽい名をつけようとした。しかし、皆に反対されて、仕方なくそのまま、トゥーリナを名乗ることにした。

「やっぱりさあ、第一者らしい格好ってあると思うんだ。」

 ターランは、嫌がるトゥーリナにジャラジャラと飾りをつけ始めた。彼自身も、リトゥナまで、首飾りだのイヤリングだの、飾り紐だのをつけている。百合恵はピアスだけで勘弁してもらった。

「マントは分かるけど、うるせーし、いらねえよ、こんなものまでっ。」

「駄目だよ、トゥー。明日、新しい第一者って、TVに出るんだから。」

 ターランは微笑んだ。「言うことを聞かないと、またお尻をぶつよ。」

 それを聞いたトゥーリナが立ちあがる。ターランはびくっと後ずさる。

「馬鹿なことを言いやがって、俺がお前の尻を引っぱたいてやるっ。」

 バシッ、バシッ。トゥーリナは、逃げ出そうとしたターランのお尻を叩き出した。「いてえだろっ、あの後何日も痛かったんだからなっ。俺を馬鹿にしやがって。誰が上か尻に叩きこんでやるっ。」

「わあっ、ごめんよーっ。もう二度と言わないよーっ。」

 ターランは叫んだが、怒ったトゥーリナはなかなか止めてくれそうになかった…。

 

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